問1 アムル人とヒッタイト
紀元前2千年紀の西アジアの人々と国家について、正しいものを一つ選んでください。
- (ア)アムル人系の王たちはメソポタミアの都市で力を持ち、バビロン第1王朝もその一つだった。
- (イ)アナトリアを中心に発展したヒッタイトの言語は、インド=ヨーロッパ語族に属する。
- (ウ)ヒッタイト軍は紀元前16世紀頃にバビロン第1王朝の終わりに関わり、さらに後の紀元前13世紀にはエジプトのラメス2世とカデシュで戦った。
- (エ)(ア)〜(ウ)のすべてが正しい。
問2 古アッシリア商人の取引
主に紀元前20〜前18世紀頃、アッシュールとアナトリアを結んだ古アッシリア商人の活動について、正しいものを一つ選んでください。
- (ア)カネシュなどのカルムを拠点に、錫(すず)や羊毛の織物をアナトリアへ運び、銀などを得た。
- (イ)商人たちは出資や貸借(たいしゃく)、取引を行い、その契約・会計・手紙を楔形文字(くさびがたもじ)の粘土板に残した。
- (ウ)取引では紙幣が全面的に使われ、金属を用いた支払いはなかった。
- (エ)(ア)と(イ)の両方が正しい。
問3 都市の神と雨をもたらす神
エラムと地中海東岸の信仰について、正しいものを一つ選んでください。
- (ア)インシュシナクは、エラムの重要都市スサの守護神として信仰された。
- (イ)ウガリットなどで信仰されたバアルは、嵐や雨、土地の実りと関わる神だった。
- (ウ)ヘブライ聖書には、ヤハウェへの信仰の立場からバアル崇拝(すうはい)を批判し、両者を対立させる記述がある。
- (エ)(ア)〜(ウ)のすべてが正しい。
遠くの都市と商売を続けるには、荷物を運ぶだけでは足りません。
代金を集め、相手と約束を交わし、離れた家族や仲間へ知らせる仕組みが必要です。
古代オリエントの交易路には、商品とともに、契約を記した粘土板や、人々の祈りを伝える言葉も行き交いました。
商人の仕事をたどると、古代の都市が、物資・約束・信仰によってつながっていたことが見えてきます。
今回は、前2千年紀前半のアッシュールとカネシュから出発し、後半に栄えた地中海東岸のウガリットへ視野を広げます。
途中ではアムル人系の王たちやヒッタイトを、東方ではエラムの神々を見ていきます。
異なる時期の記録をつなぎ、都市ごとの仕事や信仰を比べながら、西アジアの社会を眺めていきます。
1.ロバの背に積まれた、遠い都市の商品
荷をくくり、数を確かめ、道中に必要なものをそろえる。
隊商(たいしょう)の出発を思い浮かべると、古代の交易が、具体的な仕事の集まりだったことに気付きます。
ロバは商品を運ぶ大切な担い手でしたが、それを歩かせるには、人も飼料も必要でした。
出発点のアッシュールは、北メソポタミアのティグリス川沿いにあった都市です。
現在のイラク北部に当たり、古アッシリア時代には、アナトリアとの商業を支える拠点になりました。
アナトリアは小アジアとも呼ばれ、現在のトルコの大部分を占める半島です。
その内陸のカネシュ、現在のキュルテペは、商人たちが活動した重要な都市でした。
代表的な積み荷は、錫と織物です。
アッシュール側からアナトリアへ持ち込まれ、代わりに銀や金が戻ってきました。
さらに、商人はアナトリア内部の銅の取引にも関わりました。
一つの道を、同じ荷物だけが往復したのではなく、複数の商品の流れが都市で交わっていたのです。
錫が重要なのは、銅と混ぜて青銅を作る材料になるためです。
金属を加工する側には原料が必要であり、商人は、それを産地から使う場所へつなぐ役割を担いました。
ただし、アッシュールが荷物の出発地だからといって、すべての商品がその都市で生産されたとは限りません。
都市は、生産する場所であるとともに、各地の商品を集めて送り出す場所でもありました。
隊商の会計には、商品への投資に加え、道案内の賃金、ロバの装備、飼料などの支出も記されています。
売値と仕入れ値の差が、そのまま手元に残るわけではありません。
長い旅を成立させる費用まで考えると、商人が細かく記録を残した理由が、少し身近になります。

積み荷を確かめる仕事と、旅の費用を見込む仕事は、隊商を送り出すために結び付いていました。
2.カネシュのカルムは、どんな場所だったのか
長い道の先には、荷を下ろし、売り先を探し、仲間と連絡を取る場所が必要です。
カネシュの下の町には、アッシリア商人たちの居住・商業活動の地区がありました。
その拠点を理解する鍵が、カルムという言葉です。
カルムは、もともと「岸」や「港」に関わる語で、古アッシリアの交易では商業拠点や商人の組織を指します。
内陸のカネシュにあるカルムを、海辺の港そのものとして想像する必要はありません。
人と商品が集まり、遠方との商売を支える場所という働きに注目すると、内陸の都市でも理解できます。
教科書では「商業植民地」「商業植民市」と訳されることがあります。
ここで大切なのは、商人の活動が、現地の支配者との取り決めのもとで営まれた点です。
アッシュールの大軍がアナトリア全域を征服し、その領土に一斉に商館を建てたという姿ではありません。
現地の王たちがいる社会へ、商人が入り込み、暮らしと取引の関係を築いていきました。
取引には税も伴いました。
アッシュールを出るときの税、道中の通行に関わる負担、カネシュへ着いたときの輸送・輸入に関わる税などが、商人の手紙から分かります。
どこで何を払うかは、商売の利益にも関わる問題でした。
交易網は、道と町を線で結んだだけのものではなく、その土地の権力や制度との交渉で動いていたのです。

カネシュとハットゥシャはアナトリア内陸、アッシュールはその南東、ウガリットは地中海東岸、スサはメソポタミアのさらに東に位置します。
地図は、異なる時代に扱う都市の位置関係を示しています。
一つの王国の領土や、一人の商人の実際の旅程を表したものではありません。
3.銀を託し、粘土板で約束を残す
遠い土地へ送り出す荷物を、商人が毎回すべて自分の資産で用意するとは限りません。
資金を出す人と、現地で売買する人が協力する形もありました。
この協力関係を知ると、古代の商売にも、時間をかけて資金を動かす仕組みがあったことが分かります。
商人を指す語と、出資の仕組み
商人を表す語に、タムカルムがあります。
文書の文脈によって、売買に携わる人、商品を所有する人、貸し手など、指す役割に幅があります。
ある一つの商人団体だけの固有名ではありません。
また、複数の出資者が資金を集め、取引を行う商人へ運用を託す仕組みは、ナルックムと呼ばれました。
この語には「袋」に関わる意味があり、商業の資金を指す使い方がありました。
契約では、決算や利益の分配、途中で資金を引き揚げる場合の扱いなどが定められています。
現代の会社や投資と似た働きを見いだせますが、そのまま同じ制度だったと考える必要はありません。
共通するのは、資金を預ける側と商売を担う側の間に、約束が必要だったことです。
相手が遠くにいるからこそ、誰が何を負い、どのように精算するかを、言葉で確かめておく意味がありました。
硬貨の前にも、支払いと信用はあった
この交易では、銀が代金や貸借の重要な基準になりました。
現代の買い物のように、決まった額面の硬貨や紙幣だけで支払う世界を重ねると、様子をつかみにくくなります。
銀の数量を重量で示すことと、後の鋳造(ちゅうぞう)貨幣を数えることは、分けて考えます。
記録に登場するのは、商品の売買、借金、返済、支払いを求める連絡などです。
そのため、商業を「物と物をその場で取り替えるだけ」と捉えることもできません。
商品が届く時期と、代金が戻る時期には隔たりがあり、その間を信用と契約がつないでいました。
契約や会計、手紙は、楔形文字の粘土板に残されました。
粘土の封筒や印章(いんしょう)も、取引を支える道具でした。
キュルテペなどから見つかったこうした文書群は、カッパドキア文書とも呼ばれます。
王の勝利を語る碑文とは違い、商人の家に蓄えられた記録から、生活の細部が見えてきます。
もし古代の経理担当者が現代へ来たら、「書類の山」を見て安心するかもしれません。
ただし、粘土板の山を丸ごと紙へ替えられると、保管棚の頑丈さだけは余りそうです。
道具の重さは変わっても、取引の内容を後から確かめられるように残すという仕事には、長い歴史があります。
4.遠くの商売を支えた、家に残る人々
隊商を追っていると、どうしても道を歩く人ばかりに目が向きます。
しかし、商品を用意し、家計を守り、手紙で相手へ注文を出す人の仕事も、取引の一部でした。
アッシュールの女性たちが残した手紙は、その姿を伝えています。
前19世紀頃の女性タラム・クビは、アナトリアで商売をする夫イナヤと離れて暮らしていました。
彼女は家を管理し、織物の生産に関わり、遠くの親族へ連絡しました。
家にいることは、商業の外側にいることを意味しませんでした。
女性たちの中には、織物から得た収入を交易へ出資し、銀を貸す人もいました。
タラム・クビの手紙には、自分の織物をもっとよい値で売るよう、相手へ求める内容もあります。
旅先で売る人と、生産や資金を支える人が、利益をどう扱うかをめぐって意見を交わしていたのです。
こうした記録は、すべての女性が同じ立場や資産を持っていたことを示すものではありません。
商人の家には、立場の異なる人々の労働がありました。
それでも、実際に残された手紙を読むことで、交易史の登場人物を、王や旅する男性だけに限らずに捉えられます。

織物の仕上がりを確かめ、発送の準備をする仕事も、遠方の売り場につながっていました。
商人の記録には、損失が出た際に、財産の価値を神に誓って申告する例も見えます。
そこではアッシュール神やイシュタル女神が、誓いの文脈に登場します。
経済の話から宗教の話へ、別の世界に移るわけではありません。
取引の信頼をめぐる場面にも、神々への信仰が関わっていたのです。
5.商人が行き交う世界で、王国も姿を変えた
商業の記録と並べて、政治の動きを見てみます。
前2千年紀初め、メソポタミアの都市では、アムル人系の王たちが力を持ちました。
バビロン第1王朝も、その一つです。
第2回で扱ったハンムラビは、この王朝の王でした。
アムル人は西セム語に関わる人々として知られますが、全員が同じ年に一つの砂漠から押し寄せ、そのまま都市を置き換えたという単純な流れでは捉えきれません。
都市の外での暮らしと、都市社会へ入って活動する姿の両方を考える必要があります。
実際、この時代のアムル人は都市社会へ深く組み込まれていました。
言語の系統と、国の住民は同じ区分ではない
一方、アナトリアでは、ハットゥシャを中心にヒッタイト王国が発展しました。
その言語はインド=ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属します。
ただ、ヒッタイトの国家で使われた言語が一つだけだったわけではありません。
ハットゥシャの文書には、近縁のルウィ語やパラー語、別系統のハッティ語なども現れます。
「セム語系」「インド=ヨーロッパ語系」という分類は、言語の関係を整理するものです。
人の容貌(ようぼう)や血統、国境を、そのまま区切る札ではありません。
商人の移動、婚姻(こんいん)、征服、共同生活が重なる世界では、一つの都市に異なる言葉と習慣が共存します。
金属利用と征服を、年代に沿って見る
ヒッタイトの軍がバビロンへ遠征し、バビロン第1王朝の終わりにつながったのは、前1595年頃とされます。
ここでは、第2回と同じ中年代説に沿った目安を用います。
アッシュールの商人が活発にカネシュへ通った時期からは、さらに後の出来事です。
ヒッタイトの時代には鉄も知られ、文書や出土品から、その生産と利用が研究されています。
鉄は貴重な金属で、王への贈り物や神殿への奉納(ほうのう)にも関わりました。
一方、この王国は青銅器時代の大国であり、戦争では戦車も重要な役割を担います。
鉄を知っていたことと、鉄製武器を軍隊全体へ広く配備したことは、区別して考える必要があります。
さらに時代が下り、前13世紀には、シリアの支配をめぐってヒッタイトとエジプトが対立します。
前1274年頃のカデシュの戦いでは、エジプトのラメス2世と、ヒッタイトのムワタリ2世の軍が戦いました。
バビロン遠征と同じ王が、続けてエジプトへ進んだという話ではありません。
数百年の隔たりを挟んで、アナトリアの王国が関わる国際関係も変わっていたのです。
6.地中海へ開いたウガリットの港と文字
ここで、隊商の道から地中海東岸へ視線を移します。
シリア沿岸のウガリットは、内陸と海の世界が出会う都市でした。
特に前14世紀から前12世紀初めにかけての文書や遺物が、その国際的なつながりを伝えています。
市街は海岸から少し内側にあり、海辺のミネト・エル・ベイダなどと密接につながっていました。
ここは単に、内陸で届いた物を海へ積み替えるだけの場所ではありません。
アナトリア、キプロス、エジプト、エーゲ海方面、シリア内陸、メソポタミアなどに関わる交流の結び目でした。
キプロスは銅に関わる重要な島でした。
原料、製品、食料などが、陸路・川・海を通して移動します。
ただし、遠方から届いた物のすべてを、現代の自由な市場で売買された商品と同じには扱えません。
国際関係には王への納入や贈与などもあり、品物の移動を、その背景の関係とともに読むことが大切です。
前14世紀半ば頃からウガリットはヒッタイトの勢力下に入りつつ、周辺との活動を続けました。
独自の王がいることと、大国の影響を受けることは、両立していたのです。
都市の繁栄(はんえい)は、商人の手腕だけでなく、政治的な関係にも支えられていました。

海辺で荷を扱う人々の仕事は、内陸の都市と地中海の各地をつないでいました。
くさび形なのに、アルファベット
ウガリットの文字で注目したいのは、くさび形の記号で音を表すアルファベットです。
よく知られる長い字母表(じぼひょう)は、三十の記号から成ります。
主として子音(しいん)を表す文字体系で、前14〜前12世紀初めの資料が伝わっています。
「楔形文字」と聞くと、すべてが同じ仕組みに感じられるかもしれません。
しかし、くさび形は記号の形の特徴であり、何を表すかとは別の問題です。
多数の記号で音節(おんせつ)や語を表すメソポタミアの文字の使い方と、比較的少ない字母を組み合わせるウガリットの仕組みは、見分けて考えます。
また、ウガリット文字が世界のアルファベットの唯一の出発点だったという意味ではありません。
すでにあったアルファベット的な表記を、粘土板にくさびを押す書記文化へ適応させた仕組みと考えられています。
文書には地元の言語だけでなく、国際的な外交で使われたアッカド語などもありました。
多くの土地と付き合う都市は、文字と言葉も使い分けていたのです。
7.スサの守護神と、雨を待つ人々のバアル
商品の道をたどってきたところで、人々が何を大切に祈ったかを見てみます。
神々の名前を一列に暗記するより、都市、自然、王権との関わりを考えると、信仰の働きがつかみやすくなります。
エラムの信仰は、地域と時代によって姿が変わる
メソポタミアの東、現在のイラン南西部を含む地域に、エラムの世界がありました。
その重要都市スサの守護神が、インシュシナクです。
名前は「スサの主」という意味に関わり、都市と王を守る神として重んじられました。
正義や、死後の裁きに関わる役割も伝わります。
ただ、エラムの宗教は、一つの都市の神だけで全体を説明できるものではありません。
ナピリシャやキリリシャなどの神々もおり、地域と時代によって重みが異なりました。
スサ周辺はメソポタミアとの関わりが深く、シュメールやアッカドの神々も信仰されました。
交易や政治の接点となる土地は、宗教の面でも複数の伝統が交わる場所でした。
ウガリットでは、雨が実りを左右した
地中海東岸へ戻ると、バアルという神が登場します。
ウガリットの神話で活躍するバアルは、嵐や雷、恵みの雨、土地の実りと結び付いていました。
雨は、人間が必要な時に必ず降らせられるものではありません。
麦、ブドウ、オリーブなどを育てる地域にとって、空から届く水は、食べ物と生活の行方に関わります。
雷鳴が恐ろしいだけでなく、雨がもたらす恵みへの期待とも結び付くと考えると、嵐の神の姿が理解しやすくなります。
バアルをめぐる神話には、海に関わるヤムや、死に関わるモトとの争いが描かれます。
こうした物語は、神々の競争を語りながら、人々が自然の力や生命をどう捉えたかを伝えています。
雨の神がいるから、その社会の人々が全員同じ物語を同じ意味で理解した、とまでは言えません。
それでも、神話の言葉と、その土地の暮らしを並べることで、遠い信仰に近づく手掛かりが得られます。

農作物を育てる営みと、空の変化への関心は、雨に関わる信仰を理解する入口になります。
ヤハウェ信仰との対立を、史料の語り方から読む
さらに後の時代を伝えるヘブライ聖書、キリスト教でいう旧約聖書には、バアルがヤハウェに対する競合相手として登場します。
ヤハウェに従う立場から、バアルへの崇拝を批判する語りがあるのです。
ここでは、信仰する人々が何を守ろうとし、どのような行為を退けようとしたかが問題になります。
一方、古代イスラエルの宗教と周囲の文化には、共有・受容・変形・拒否のさまざまな関係がありました。
二つの信仰が、初めから完成した別々の体系として、ずっと同じ形で対立したと考えると、その歴史は見えにくくなります。
ウガリットの神話は前2千年紀後半の資料、聖書の記述は後の時代を語る資料として、成立と背景を分けて読むことが大切です。
8.三つの問題を、年代と仕組みから解きほぐす
| 年代の目安 | 主な場所・人々 | 読み取ること |
|---|---|---|
| 前2千年紀初め | メソポタミアのアムル人系の王たち | 都市社会の中で進む政治の変化 |
| 前20〜前18世紀頃 | アッシュール、カネシュ | 錫・織物・銀、商人の契約と家族の仕事 |
| 前17世紀頃以降 | ハットゥシャを中心とするヒッタイト | 複数の言語と伝統を含む王国 |
| 前1595年頃 | ヒッタイト軍のバビロン遠征 | バビロン第1王朝の終わり。中年代説の目安 |
| 前14〜前12世紀初め | ウガリット | 国際交流、文字、バアルをめぐる神話 |
| 前1274年頃 | カデシュ | ヒッタイトとエジプトのシリアをめぐる戦い |
表では、交易の盛んな時期と、王国の政治的な動きを並べています。
カネシュの商人の時代、バビロン遠征、カデシュの戦いを、前2000年頃の一つの出来事へまとめないことが要点です。
エラムの神々はさらに長い期間の地域的な伝統に関わり、ヤハウェ信仰との比較では後の時代へも視野が広がります。
問1の解答:(エ)――三つの記述を、それぞれの時期へ置く
(ア)はアムル人系の王たちとバビロン第1王朝、(イ)はヒッタイト語の系統、(ウ)は異なる世紀のヒッタイトの対外活動を述べています。
三つとも正しいため、解答は(エ)です。
この問題で結び付けたいのは、「人々の呼び名」「言語の系統」「国家の行動」という三つの軸です。
アムル人系の王が都市を治めることと、アナトリアの国家が遠征することは、同じ種類の出来事ではありません。
また、ヒッタイトの言語分類から、その国家の全住民の出自や容貌まで決めることもできません。
バビロンへの遠征は前16世紀、カデシュでラメス2世と戦ったのは前13世紀です。
年代を一緒に添えることで、ヒッタイトが長く活動した王国であり、その関係する相手も変化したことが分かります。
金属利用については、鉄の貴重品としての利用と、軍事装備の普及を分けて押さえます。
問2の解答:(エ)――商品を運ぶ仕事と、約束を残す仕事
(ア)の錫・羊毛の織物と銀、(イ)の粘土板による契約・会計・連絡の両方が正しいため、(エ)です。
(ウ)の紙幣による全面的な支払いは、この時代の商業の姿に当てはまりません。
商人の仕事は、カルムに着いて荷を売るだけでは終わりませんでした。
資金を集め、商品を送り、費用と税を払い、代金や利益を精算するまでがつながっています。
粘土板は、その過程を他人と共有し、後から確認するための道具でした。
商人を指すタムカルムと、資金を集めて運用を託すナルックムも、役割を分けると理解できます。
さらに、アナトリアの商人だけでなく、アッシュールで織物を用意し、出資や連絡に関わった人々を加えると、交易網の広がりが見えてきます。
問3の解答:(エ)――神の名を、都市と暮らしへ結び付ける
(ア)はスサとインシュシナク、(イ)は雨や実りとバアル、(ウ)はヘブライ聖書の中の信仰上の対立を述べています。
いずれも正しいため、(エ)です。
ただし、三つの説明から、古代西アジア全体に一つの宗教体系があったと考える必要はありません。
スサの守護神と、ウガリットの嵐の神は、それぞれの都市や伝統の中で働きを持ちます。
一方で、他地域の神々の受容や、共通する表現もありました。
信仰は、交易とは無関係な付録ではありません。
都市を守ること、王の権威を支えること、雨と収穫を願うこと、取引に際して誓うこと。
神々は、暮らしのさまざまな場面に関わっていました。
物資が行き交う世界の中に、こうした関係も重ねて見ることが、今回の学びの中心です。
まとめ
古代オリエントの商人が運んだのは、錫や織物だけではありませんでした。
取引の情報、契約を守るための言葉、離れて暮らす家族の知らせも、都市を結ぶ道を通って移動しました。
その都市には王がいて、異なる言語を話す人が暮らし、神々への祈りがありました。
アッシュールからカネシュへ、そして時代を下ってウガリットへ。
商品がどこから来て、誰が用意し、どのような約束で動いたかを考えると、王朝の名前の向こうに人々の仕事が見えてきます。
神の名も都市や自然と結び付けて読むことで、交易と信仰を、同じ社会を生きた人々の営みとして理解できます。
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参考資料
- メトロポリタン美術館「隊商の会計粘土板」――カネシュの商人、錫・織物・銀、道案内やロバの費用。
- アマンダ・ポダニー『織り手、書記、王たち』「商人と家族」――現地の王とカルム、独立した商人の活動。
- 大英博物館「古代アッシリアの交易と密輸」――商人の手紙と、出発・道中・到着時の税。
- フェーンホフ「古代アッシュール、その商人と商業網」――商人を指す語、カルム、出資・信用・資金運用。
- セシル・ミシェル「家を守り、織り、商売をするアッシリアの女性たち」――タラム・クビらの手紙、女性の経済活動と神への誓い。
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- 大英博物館「ヒッタイト」――シリアをめぐる対立とカデシュの戦い。
- トルコ文化財・博物館総局「カデシュ条約」所蔵資料解説――前1274年頃の戦いの両王と、その後の外交。
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- ピサ高等師範学校「ウガリット文字」――三十字母、子音表記、成立と使用年代。
- タヴェルニエ「インシュシナク」専門事典項目――スサの守護神、王権と裁きに関わる役割。
- 『イラン百科事典』「エラムの宗教」――地域・時代による神々の違いと、スサの複数の伝統。
- ルーヴル美術館「東地中海の宝物」――ウガリットのバアルと、雷・雨・植物の関わり。
- フランス文化省「レヴァントの王国の地理」――ウガリット周辺の農業と地中海環境。
- 同「バアルをめぐる物語群」――ウガリットの神話文学。
- イェール大学公開講座「カナーンの宗教」――バアルとヤハウェ、周辺文化の共有・受容・変形・拒否。

