周口店上洞人とアルタミラ・ラスコーの壁画|旧石器時代の心をたどる

完新世

※この記事にはアフィリエイト広告を含みます。

問1 化石人類の名称

中国の北京郊外、周口店第1地点の上部にある洞窟から見つかった旧石器時代後期の新人(現生人類)を何といいますか。人骨と赤鉄鉱などの赤色顔料、穴を開けた動物の歯や貝殻の装飾品が出土し、埋葬や身体を飾る習慣を考える手がかりとなっています。

問2 洞窟壁画遺跡の名称

旧石器時代後期の現生人類が残した、次の洞窟壁画遺跡を答えてください。

  1. スペイン北部にあり天井に赤や黒を用いたバイソン(野牛)の絵が描かれている洞窟。
  2. フランス南西部にあり、野生の馬、ウシ、シカなどが色彩豊かに描かれている洞窟。

問1の答えは周口店上洞人(しゅうこうてんじょうどうじん)。問2は、(1)アルタミラ洞窟、(2)ラスコー洞窟です。装飾品と壁画は、旧石器時代の人々が、物や色、形に意味を込めていたことを探る大切な手がかりになります。

ただし、彼らの祈りの言葉や、絵に託した思いまで分かるわけではありません。残された品物から分かることと、その意味を読み取ろうとする解釈を分けながら、北京郊外から西ヨーロッパへと旅を進めてみましょう。

周口店上洞人が残した赤い色と小さな装飾品

北京原人と同じ土地に暮らした、別の時代の人々

最初の舞台は、北京の南西にある周口店です。この名から北京原人を思い出す人もいますね。周口店には時代の異なる複数の遺跡があり、一つの名前の下に、長い人類の歴史が重なっています。

北京原人はホモ・エレクトスに分類され、上洞人は私たちと同じホモ・サピエンス、つまり現生人類に属します。「上洞」という呼び名は、北京原人の遺跡の上部に位置する洞窟に由来し、中国では山頂洞人とも呼ばれてきました。

上洞の発掘が行われたのは1933〜1934年。人骨に加えて、加工した動物の歯、貝殻、石のビーズ、赤い顔料などが見つかっています。同じ周口店の出土品でも、北京原人と上洞人のものを混ぜずに見ることが大切です。

年代については、2018年に公表された研究が、人骨や装飾品を多く含む地層を約3万8000〜3万5000年前と推定しました。これは同じ遺跡に残された動物化石の年代と発掘記録を照合した結果で、人骨そのものを直接測った数字ではありません。

研究の背景には、戦争中に重要な人骨や多くの遺物が失われた事情があります。一方、残った動物化石には発掘時の番号が記されていました。いつ、どこから掘り出されたかという地道な記録が、数十年後の年代研究を支えたのです。

穴を開け、色を付け、身につける

小さな動物の歯を思い浮かべてください。そのままなら自然の一部ですが、穴を開けて衣服などに取り付ければ、人が選び、手を加えた飾りになります。素材の形だけでなく、どこに穴を開けたか、どこがすり減ったかにも、使った人の動作が残ります。

上洞の装飾品を再検討した研究では、残存する3点のアナグマの犬歯について、首飾りとして下げるより、衣服に縫い付けていた可能性が示されました。表面の赤い付着物も顔料と確認されており、「歯の飾り」という一言から、身につけ方まで少しずつ見えてきます。

飾りは、見た目の好みだけでなく、仲間同士のつながりや所属を示すものだった可能性があります。現代でも同じ形の記章を身につければ、仲間だと伝わりますね。この例は当時の意味を証明するものではありませんが、装飾が人と人との関係にも働くことを理解する助けになります。

人骨とともに見つかった赤い顔料や装飾品は、死者を特別な仕方で扱う埋葬行為とも結び付けて考えられてきました。赤鉄鉱(せきてっこう)は赤い顔料の原料となる鉱物で、その粉末によって物を赤く染められます。

赤に生命や再生への願いを読み取るのは、一つの解釈です。出土状況から死者への特別な扱いを考えることはできても、信仰の内容や共同体の決まりまでは復元できません。小さな飾りと赤い色は、当時の心を探る入口を残してくれました。

アルタミラでは、天井の膨らみが野牛の体になる

次は、スペイン北部のカンタブリア地方へ移ります。アルタミラで目を引くのは、天井に描かれた赤や黒のバイソンです。背中の盛り上がり、腹の丸み、脚を折り曲げた姿には、動物をよく見ていた人の目が感じられます。

絵を支える岩は平らではなく、あちこちが膨らみ、くぼんでいます。描き手は、その自然の起伏を胴体や胸の厚みに取り込みました。輪郭だけを紙に写しても、現地の絵が持つ立体感のすべては伝わりません。絵の具と岩の形が一緒になって、一頭の動物を見せているからです。

黒い輪郭には木炭が使われ、赤や黄みのある色が体を彩ります。さらに刻んだ線で目や角、毛などを表す工夫もありました。塗る、描く、刻むという複数の方法を組み合わせた仕事なのです。

アルタミラでは、野牛のほかに馬、シカ、手の形や記号も見つかっています。国立アルタミラ博物館が示す洞窟美術の年代は、約3万6000〜1万3000年前という長い期間です。有名な多彩色の野牛を含め、すべての図像が同じ時に制作されたと考えず、長く描き継がれた洞窟として見ると理解しやすくなります。

壁画が発見されたのは1879年のことでした。その発見は、旧石器時代の人々にも、壁や天井にこれほどの絵を描く力があったと認識する大きなきっかけになります。古い時代の作品だから描写も単純なはずだ、という思い込みを離れて見ると、動物の体を表す巧みさがいっそう際立ちます。

「アルタミラなら野牛」は、場所を思い出すためのよい手がかりです。そこに「岩の膨らみを利用した天井画」という特徴を一つ添えると、名前と技術が結び付きます。

ラスコーの動物たちは、何を見せているのか

スペインからピレネー山脈の北側へ目を移すと、フランス南西部のドルドーニュ地方にラスコーがあります。こちらでも動物が主役で、数の上で最も多いのは馬です。ほかにオーロックスやシカなども描かれています。

オーロックスとは、家畜のウシの祖先に当たる野生のウシです。ラスコーの「ウシ」を、牧場で飼われた家畜として想像すると、時代の風景が変わってしまいます。人々が向き合ったのは、野生の動物が暮らす世界でした。

馬の胴やシカの角、ウシの輪郭を追っていくと、形の特徴をつかむ力に驚かされます。ただ、描かれた動物の種類や数は、普段の食事の内容をそのまま表してはいません。食べるために追った動物と、絵に残そうとした動物を分けて考える必要があります。

また、ラスコーには動物のほか、点や線、四角形などの記号が描かれています。人の姿はごく少数です。外の景色を隅々まで写した記録というより、描く対象が選ばれた空間として眺めると、動物と記号の配置にも目が向きます。

描き手と年代をどう考えるか

旧石器時代のヨーロッパ人として有名なクロマニョン人も、現生人類です。もともとはフランスのクロマニョン遺跡で見つかった人骨にちなむ呼び名で、洞窟壁画を描いた個々人の名前が分かっているわけではありません。

ラスコーの年代にも、研究による幅があります。フランス文化省の解説は、関連する遺物や図像の比較から約2万3000年前とする見方を紹介する一方、新たな測定では洞窟が使われた時期を約2万1500〜2万1000年前に位置づけています。

洞窟に残った動物の骨の年代と、壁の絵が描かれた年代は、同じ手続きで分かるものではありません。両者が同時期なのかも調べる対象となります。およそ2万年以上前の旧石器時代後期の美術と捉え、細かな制作時期には検討が続いていると理解すると、数字の意味を見失わずに済みます。

また、放射性炭素による測定値は、そのまま暦の年数と一致するわけではありません。暦に合わせて補正した年代かどうかで、示される数字は変わります。「何を測ったか」と「どの方法で年数を示したか」は、古い時代の年代を読むときの二つの確認点です。

1940年に発見されたラスコーは、保存のため1963年に一般公開を停止しました。壁画を伝える方法として複製施設も作られています。私たちが写真や展示で鮮やかな動物を楽しめる背景には、見る機会を作りながら、洞窟の環境を守ろうとする長い取り組みがあるのです。

暗い洞窟で描くために、色と明かりを用意する

壁画の写真では、動物の姿に目を奪われがちです。けれども、描く人の側に立つと、先に解決すべき問題が見えてきます。自然光の届かない場所では、岩肌も手元もよく見えません。

ラスコーからは石製のランプが出土しています。浅いくぼみに燃料を入れる簡素なもののほか、柄が付いた丁寧な作りの例もあり、動物の脂肪を使う明かりが洞窟内の活動を支えました。

明かりを用意したら、次は色です。赤には赤鉄鉱など鉄を含む鉱物、黒には木炭やマンガン酸化物が使われました。ただし、材料は場所によって異なります。ラスコーの黒を考える際は、マンガン系の顔料が重要になります。

描き方も一通りではなく、顔料を直接こすり付ける、道具で塗る、吹き付ける、石器で線を刻むなど、さまざまな方法がありました。色の材料を用意し、岩の性質を見て、表したい形に合わせて方法を選ぶ。完成した動物の姿には、こうした作業が積み重なっています。

岩の凹凸は、場所によって描きやすさも見え方も変えます。平らな壁で役立つ方法が、ざらついた面でも同じように使えるとは限りません。壁画を見るときは、線や色だけでなく、「どんな岩肌に描いたのか」まで目を向けてみてください。

フランス南西部からスペイン北部にかけての旧石器時代美術は、フランコ・カンタブリア美術と呼ばれます。「フランコ」はフランス側、「カンタブリア」はスペイン北部の地域に関わる言葉で、アルタミラやラスコーを広い地理の中に置くための呼び名です。

そこには線で描く表現だけでなく、彩色や彫刻的な表現も含まれます。すべてを一つの線描技法で説明するより、同じ広域の中に多様な表現があったと見るほうが、実際の作品に近づけます。

マドレーヌ文化では、狩りの道具にも造形が宿る

洞窟の外へ戻り、今度は手に持つ道具を見てみましょう。西ヨーロッパの旧石器時代後期を代表する文化の一つに、マドレーヌ文化(マドレーニアン)があります。遺跡名に由来する考古学の呼び名で、道具や美術の共通した特徴をまとめています。

年代は地域や区分によって幅がありますが、暦に合わせた年代ではおよそ2万1000〜1万4000年前が大きな目安です。この長い期間を通じて、どこでも同じ道具一式が使われたわけではありません。例えば、地域によって銛の出土状況にも違いがあります。

骨角器(こっかくき)は、動物の骨や角で作った道具です。マドレーヌ文化では、槍の先端や、獲物に掛かる突起を備えた銛(もり)などが発達しました。投槍器(とうそうき)は、槍を投げる動作を助ける道具で、腕の動きに道具の働きを加えて槍の勢いを強めます。

注目したいのは、実用の道具にも動物の彫刻や装飾が施されたことです。トナカイの角やマンモスの牙を材料にした作例があり、道具を作る技術と形を表す工夫が、一つの品物の中で結び付いています。

当時のフランス南西部には、今より寒く乾燥し、木の少ない草原やツンドラに似た景観が広がる時期がありました。動物の動きや季節の変化を知ることは、狩猟採集の暮らしに深く関わります。ただし、マドレーヌ文化の全期間を、寒さが最も厳しかった一時期にまとめることはできません。

獲物を観察する目と、それを形にする手は、こうした暮らしの中にありました。道具と美術を別々の項目として覚えるより、同じ人々が使い、作ったものとして並べると、日常と表現の距離がぐっと近づきます。

狩猟の祈りと生命の象徴は、どこまで読み取れるか

狩猟呪術説が生まれた理由

これほど手間をかけて、なぜ洞窟に動物を描いたのか。その問いに対する代表的な説明が、狩猟呪術説です。獲物の絵を描いたり、絵に働きかけたりすることで、現実の狩りの成功を願ったという考え方を指します。

この説の手がかりとなったのが、動物の体に重なる矢のような印です。狩猟に結び付くように見える表現があるなら、絵にも狩りに関する役割があったのではないか。そう考える筋道は理解できます。

一方、調査された洞窟が増えると、そのような印のある動物は限られることが分かってきました。描かれた動物と食生活のずれも含め、狩猟の成功を願う行為だけで、すべての壁画を説明することはできません。

研究では、動物や記号の配置、季節の変化、集団で共有した物語など、さまざまな角度から意味が探られています。名画を残すなら、制作意図も一行添えておいてほしかったところです。もちろん、意味が一つに決まらなくても、描く行為に注がれた技術と手間は確かに残っています。

三角形や線を、生殖の象徴と読む考え方

洞窟には、動物とともに抽象的な図形も残されています。その中には、人体の一部、特に男女の生殖器を表したと考えられる図像があり、生命の誕生や繁殖との関わりが論じられてきました。

20世紀の研究者ルロワ=グーランは、動物と記号の組み合わせや配置を調べ、男性的なものと女性的なものの対を読み取ろうとしました。一枚の絵だけを見るのでなく、洞窟全体に何らかのまとまりがあると考えた点に、この研究の特徴があります。

ただ、三角形や楕円、縦線の意味は、形だけで自動的に決まりません。人体を比較的はっきり表した図像と、意味の定まらない抽象記号は分けて扱う必要があります。同じ形でも、周囲の動物や置かれた場所まで含めて読み方を検討することが大切です。

生命や再生に関わる象徴を考えることと、旧石器時代の人々が共通の宇宙論、つまり世界の成り立ちについての考えを持っていたと証明することの間には、まだ距離があります。何が残っているかを確かめ、その意味を考える。この順序で眺めると、遠い時代への想像を楽しみながら、証拠から離れずに歴史を学べます。

まとめ

周口店上洞人の装飾品と埋葬の痕跡、アルタミラの岩の起伏を生かした野牛、ラスコーの動物と記号。それぞれの遺跡は、旧石器時代の人々が何を作り、どう扱ったかを伝えています。

祈りや生命への思いは、そこから探っていく問いです。小さな歯に穴を開ける手と、大きな岩に動物を描く手を思い浮かべると、遠い祖先の暮らしが少し身近になります。名称に加えて、その場所から何が分かるのかを一つ語れれば、歴史の知識はもう一段深まります。

参考資料

資料確認日 2026年9月24日