問1(ヒクソスの支配と第二中間期)第二中間期のエジプトと、ヒクソスと呼ばれる支配者たちに関する説明として適切なものを、一つ選べ。
(ア)東地中海方面との交流や移住を背景に、アジア系の支配者たちがアヴァリスを拠点として下エジプトなどを支配した。
(イ)彼らはエジプトの王権の伝統を取り入れ、アヴァリスではセト神への信仰も重んじられた。
(ウ)この時期には馬・戦車・複合弓などの技術が広がり、テーベの王たちも新しい軍事技術を利用した。
(エ)上記のすべてが適切である。
問2(アハモーセと第18王朝)新王国の始まりに関する説明として最も適切なものを、一つ選べ。
(ア)テーベの王家に属するアハモーセ1世が、先代からの戦いを引き継いでヒクソス支配を終わらせ、第18王朝の初代王と位置づけられた。
(イ)アハモーセ1世はアケメネス朝の王で、エジプト第26王朝を創始した。
(ウ)アハモーセ1世はエジプトをローマ帝国の属州にした。
(エ)新王国成立と同時に、アレクサンドリアが都になった。
問3(数学と来世への願い)古代エジプトの数学文書と宗教について、適切なものを一つ選べ。
(ア)土地の測量や穀物の分配などで、十進法による数の表記や面積・分数の計算が使われた。
(イ)第二中間期に書き写されたリンド・パピルスは、より古い数学の知識を伝えている。
(ウ)新王国以降に用いられた『死者の書』には、来世を助ける呪文や、心臓をマアトの羽と量る審判の図像が見られる。
(エ)上記のすべてが適切である。
ナイル川を下れば、川の先は枝分かれし、地中海へ開けます。
その東側にあったアヴァリスには、西アジアとエジプトを結ぶ人や品物が集まっていました。
異国との接点だった町は、やがてヒクソスと呼ばれる王たちの拠点になります。
ヒクソスはエジプト北部を支配したアジア系の王たちで、その支配を終わらせたのがテーベ王家のアハモーセ1世です。
紀元前16世紀半ば頃の再統一を境に、第18王朝と新王国の歴史が始まります。
ただ、その道のりには、移住と交易、地域ごとの王権、軍事技術の受け入れが重なっています。
北の港町から南のテーベへ、そして書記の机の上へと視線を移すと、戦いの時代にも続いていたエジプト社会の仕事が見えてきます。
ヒクソスはどこから来たのか――港町に積み重なった交流
ヒクソスという呼び名は、古代エジプト語の「異国の支配者たち」に由来します。
一つの民族が自ら名乗った国民名というより、外国に由来する支配者を表す言葉です。
彼らの中心は、現在のシリアやパレスチナなど、東地中海沿岸に結びつく人々だったと考えられています。
その前史は、中王国時代にさかのぼります。
第12王朝の頃から、ナイル・デルタ東部には西アジア系の住民が移り住み、交易や生活を通じたつながりが育っていました。
アヴァリスは現在のテル・エル・ダバア遺跡に当たり、住居、土器、埋葬の習慣などに、エジプトと東地中海双方の要素が見られます。
ここで地理が効いてきます。
北の下エジプトは、ナイル川の流れの下流にある地域です。
南の上エジプトは上流側で、テーベが重要な拠点でした。
「上」「下」は地図の上下ではなく、川の上流と下流を指します。
アヴァリスとテーベの距離は、政治の分裂を理解する手掛かりにもなります。
第13王朝以降に中央の統制が弱まるなか、デルタでは地域勢力が力を増しました。
ヒクソスの第15王朝が成立する経緯には未解明な部分もありますが、長年の移住と交流が先にあり、政治的な支配の成立が後に続く、という時間の厚みがあります。

なぜエジプトは分かれたのか――北と南に王がいた時代
第二中間期とは、中王国と新王国の間に置かれる時代区分です。
研究によってその始まりの取り方は異なりますが、北のヒクソス王権と南のテーベ王権が並び立ったことが大きな特徴です。
エジプト全土が一人のヒクソス王の下にまとまっていたわけではありません。
アヴァリスを拠点とした第15王朝は、メンフィスを含む北部などへ支配を広げました。
一方、テーベにはエジプト系の王たちが存在し、さらに南ではヌビアのケルマ勢力も力を持ちます。
ナイル流域の政治地図には、複数の中心がありました。
支配する側にとっても、エジプトの社会を動かす仕組みは必要です。
ヒクソスの王たちはファラオとしての称号などを取り入れ、エジプトの伝統と結びつきました。
外国から来た支配者が、現地の王の姿で統治する。
古代の政治にも、そうした適応が見られます。
アヴァリスで重んじられたのがセト神です。
セトは砂漠や暴風、異国などと関係する神で、西アジアの嵐の神バアルとの結びつきも指摘されます。
同じ多神教世界のなかで、似た働きを持つ神々が重ね合わされたのです。
セトを後世の単純な「悪の神」のイメージだけで捉えると、この信仰の意味が見えにくくなります。

馬と戦車が変えたもの――新兵器を使うにも仕事が要る
ヒクソスといえば馬と戦車がよく知られています。
第二中間期には、それまでのエジプトでは一般的でなかった馬や馬引き戦車が広がり、複数の材料を組み合わせた複合弓も軍事技術の一部になりました。
ただし、技術ごとの最初の伝来や、その担い手を一度の侵入にまとめて確定することはできません。
馬の骨などの出土資料に加え、テーベ側でも馬が利用されたことが知られます。
北に現れた技術を南の王たちが受け入れ、自分たちの軍事力に組み込む。
この相互作用が、新王国の強い軍隊へつながる背景になりました。
戦車を動かすには、馬の飼育と訓練、木製の車体や車輪の製作、革や縄の手入れが要ります。
速く走れる道具を一台得るだけでは、軍隊全体を変えられません。
人と動物を養い、部品をそろえる仕事まで続いて初めて、新しい装備が戦力になります。
新王国の王たちは、のちに西アジアへ軍を進めるようになります。
ヒクソス支配の経験は、エジプトが北東の世界へ強い関心を向ける背景の一つでした。
ここでは、外から来た技術がエジプトの中で使い直されていく過程が重要です。
なお、名前の似たヒッタイトは、主にアナトリアを拠点とした別の王国です。
ナイル・デルタを支配したヒクソスと、後にエジプトとシリアで対峙(たいじ)したヒッタイトを区別すると、場所と時代が整理できます。
ヒクソスを追放したのは誰か――テーベ王家の長い戦い
ヒクソス支配を終わらせた王はアハモーセ1世です。
イフメス、アアフメスなどの表記もあります。
彼は突然現れた地方の有力者ではなく、テーベの王家に属し、先代たちの戦いを引き継いだ王でした。
対ヒクソス戦争には、セケンエンラー・タアやカーモセの時代からの経緯があります。
アハモーセの再統一は、その積み重ねの上に実現しました。
王の交代を一人ずつ見るだけではつかみにくい、王家と軍事組織の継続があったのです。
アハモーセはメンフィスやアヴァリスをめぐる戦いを経て、北のヒクソス支配を終わらせました。
さらに南パレスチナ方面やヌビアにも軍事行動を広げます。
再統一と国境の確保が一連の課題になっていました。
新王国の始まりは、一般に紀元前1550年頃を目安とします。
ただし、古代の王の在位年代には年代観の違いがあり、再統一の全過程を現代の一つの日付へ固定することは難しいのです。
大きな位置づけとして、紀元前16世紀半ば頃、アハモーセと第18王朝、新王国の開始を結びつければ、歴史の流れを見失いません。
新王国ではテーベの王権とアモン神への信仰が大きな力を持ちました。
やがてハトシェプスト、トトメス3世などの王たちへ続く時代が開けます。
南の王家による再統一は、エジプトがより広い対外関係を持つ出発点でもありました。
戦いの時代にも数学は受け継がれた――リンド・パピルス
その頃の社会を、もう一つ別の角度から伝えるのがリンド・パピルスです。
書記がパピルスに書き写した数学文書で、分数、数量の分配、面積などを扱います。
土地や建築、穀物の管理に必要な計算が、書記の学習と深く結びついていたことが分かります。
この文書は紀元前1650年頃と紹介されることが多く、書き写した人物はアーメスと呼ばれます。
記された王の治世年は、ヒクソスのアポフィス王の第33年です。
さらに、元になったのは第12王朝の文書だと記されています。
年代の置き方に幅はありますが、ヒクソス支配の時代に、中王国以来の知識が受け継がれていた点は明瞭です。
数学文書のアーメスと、再統一を成し遂げたアハモーセ1世は別人です。
名前が似ていても、一人は書記として、もう一人は王として登場します。
彼らを同じ人物にしてしまうと、数学と政治の両方の歴史が混線します。
円の面積の計算には、直径からその9分の1を引き、残りを二乗する方法が見られます。
直径を9とすれば、残りは8、面積は64です。
現代の式と比較すると、円周率を約3.16とした場合に相当します。
身近な土地を測る必要から、扱いやすい計算法が磨かれていました。
古代の書記が気にしたのは、円周率の小数点以下を何桁覚えたかより、畑の広さをきちんと出せるかでした。
数学の試験官が畑の持ち主だったら、暗記点より実務点が高くなりそうですね。
ナイル川の増水後の測量は、幾何学を説明する際によく挙げられます。
ただ、数学の用途は測量だけでなく、分配、建築、行政にも及びました。
十進法の数の表記も、この時代に突然生まれたものではありません。
長く使われてきた知識が、さまざまな仕事を支えていたのです。

心臓を量る天秤――『死者の書』が願った来世
人々が準備したのは、生きている間の暮らしだけではありません。
新王国以降には、来世での安全を願う呪文(じゅもん)や挿絵をまとめた『死者の書』が広く用いられました。
固定した一冊を全員が持つ形式ではなく、持ち主に応じて内容や組み合わせが異なる文書です。
よく知られるのが、死者の心臓を、真実や正しい秩序を表すマアトの羽と天秤(てんびん)にかける場面です。
心臓は感情や知性、人格に関わるものと考えられました。
神々の前で生前のあり方が問われ、オシリスに結びつく来世へ進む希望が表現されています。
有名なフネフェルのパピルスは第19王朝の例で、アハモーセより後の時代の資料です。
新王国の始まりと、その後に残された宗教文書を、時間の幅を持って結びつけることができます。
数学文書と『死者の書』は、ともに文字と絵を扱う知識の文化に属します。
一方で、心臓を量る図は宗教的な審判の表現です。
土地の面積や品物の重さを実際に測る技術とは目的が異なります。
現世の計算と来世への願い、その両方がパピルスという媒体に残りました。
問題の解答・解説――王権と知識の流れを結びつける
問1の正解は(エ)です。
(ア)は、ヒクソス王権の背景に東地中海とのつながりがあり、拠点が北東デルタのアヴァリスだったことを示します。
(イ)は、エジプト的な統治の形とセト信仰の受容を述べています。
(ウ)の馬・戦車・複合弓は第二中間期の技術交流に関わり、テーベ側による利用も含む説明です。
問2の正解は(ア)です。
アハモーセ1世はテーベ王家の戦いを引き継ぎ、北のヒクソス支配を終わらせました。
アケメネス朝の支配、ローマによる属州化、アレクサンドリアの建設は、いずれもはるか後の時代に属します。
王の名前だけでなく、紀元前16世紀半ば頃という位置を結びつけると、選択肢を判断できます。
問3の正解は(エ)です。
(ア)の計算は行政や生産の仕事に関わり、(イ)のリンド・パピルスは古い知識の継承を伝えます。
(ウ)の『死者の書』は、新王国以降の来世への願いを示す資料です。
三つは同じ瞬間に成立したものではなく、エジプトの長い知識と信仰の歴史の中で結びつきます。
まとめ――再統一は、新しいエジプトの始まりだった
ヒクソスの歴史をたどると、アヴァリスに集まった人々と、北部を治めた王たちの姿が見えてきます。
第二中間期の分裂を経て、テーベ王家のアハモーセ1世が再統一を進め、第18王朝と新王国が始まりました。
馬や戦車を使う技術、書記が受け継いだ数学、来世を願う文書。
王朝が変わる時代にも、人々は新しいものを取り入れ、以前からの知識を使い続けます。
その積み重ねが、次の時代のエジプトを形づくったのです。
