第3回:インダス文明の全盛と広域遠隔地交易(紀元前2400〜前2000年)
問1 モエンジョ=ダーロやハラッパーに見られる、街路や住居、排水設備などを、街全体の配置を考えて整える営みを何と呼びますか。
問2 インダス文明の住居や排水設備などに使われた、粘土を成形して窯(かま)で焼いた建築材料は何ですか。
代表的な寸法の比は、長さ・幅・厚さの順に、およそ4対2対1です。
問3 アッカド時代などのメソポタミアの楔形文字(くさびがたもじ)文書に登場し、インダス文明の地域に当たると考えられている交易相手の地名は何ですか。
インダス文明の大きな特徴は、計画的な都市、共通するレンガや重さの規格、遠い地域へつながる交易です。
現在のパキスタンからインド北西部などに広がり、成熟期はおおむね紀元前2600〜前1900年に当たります。
紀元前2400〜前2000年の街を、排水溝から海の向こうまでたどってみましょう。
文字には今も広く合意された解読がなく、王の名前を読んで歴史を追うことはできません。
それでも、レンガ、分銅(ふんどう)、小さなビーズをつなぐと、都市を動かした人々の仕事が見えてきます。
インダス文明はどこにあり、いつ栄えたのか
地図の上で、南アジアの北西部へ目を向けてください。
インダス川はヒマラヤ周辺に源を持ち、支流を集めながら南へ流れ、アラビア海に注ぎます。
文明の範囲は本流沿いにとどまらず、支流の平野、現在のインド北西部、さらにグジャラート地方へも広がっていました。
有名な遺跡のハラッパーは現在のパキスタン北東部、ラヴィ川に近い場所にあります。
同じパキスタンの南方、インダス川下流域にあるのがモエンジョ=ダーロです。
モヘンジョダロとも表記されるこの都市とハラッパーは、文明を代表する二つの大都市です。
もう一つ、現在のインド西部にあるドーラビーラも覚えておきたい都市です。
乾燥した土地で、季節的な水の流れを集める貯水施設を発達させました。
この都市まで視野に入れると、「インダス文明は川沿いの同じような街だけでできていた」という印象が変わります。
年代にも、少し幅を持たせておきます。
村や初期の都市が育つ時期が先にあり、その後に大都市が広く発達する成熟期が続きました。
今回の紀元前2400〜前2000年は、この成熟期の途中に置きます。
| 時期の目安 | インダス地域の動き | 読み取るポイント |
|---|---|---|
| 紀元前2600年ごろ | 成熟期の都市社会が発達 | 先行する村や工芸の蓄積がある |
| 紀元前2400〜前2000年 | 大都市と地域間の交易が展開 | 今回の中心となる時代 |
| 紀元前1900年ごろ以降 | 大都市が縮小し、居住や生産の形が変化 | 地域ごとに異なる変化として見る |
「いつ始まったか」への答えは、何の始まりを指すかで変わります。
成熟した都市文明なら紀元前2600年ごろが目安です。
その土地で人々が暮らし、農耕や工芸を始めた時期まで、同じ年代にそろえるわけではありません。
問1の答え:都市計画は、家の外まで水を考える仕事
道路、住居、排水溝を一緒に造る
問1の答えは都市計画です。
これは一つの建物の様式名というより、街路、建物、公共的な施設などの配置を、街全体として整えることを指します。
モエンジョ=ダーロでは、直角に交わる街路や、住居とつながる排水設備が確認されています。
街を理解する入口として、一軒の家で使った水を考えてみましょう。
井戸から水を得て、体や物を洗う場所で使い、その後の水を外へ流す。
家の中だけを立派にしても、外の水路につながらなければ、使い終えた水がたまってしまいます。
発掘されたレンガ造りの排水溝や覆いは、こうした家の外の仕組みまで整えていたことを示します。
覆いがあれば上を通れますし、外して内部に手を入れることもできます。
造る段階だけでなく、使い続けるための手入れまで考えると、都市計画が日々の暮らしに近づいてきます。
古代の排水設備を、現代の下水処理場や水洗トイレと同じ仕組みだと考えることはできません。
水を集め、家の外へ導く遺構(いこう)と、その先で水を処理する現代の施設は区別しておきます。

「城塞」と大浴場から分かること
モエンジョ=ダーロには、高く造成された西側の区域と、東側の低い市街地があります。
高い区域は城塞(じょうさい)と呼ばれますが、名前だけで王の城や軍事要塞だと決めることはできません。
建物の位置、構造、出土品を合わせて、施設の役割を考えます。
その高い区域にあるのが、有名な大浴場です。
水槽部分は長さ約12メートル、幅約7メートル、最大の深さ約2.4メートル。
レンガを丁寧に組み、しっくいや瀝青(れきせい)というアスファルト状の材料を使って、水が漏れにくいよう工夫されています。
階段で水槽へ下りる構造から、多くの研究者は、体を清めるような宗教的行為との関係を考えています。
ただし、儀礼(ぎれい)の具体的な内容は分かっていません。
現在の銭湯のように、誰もが毎日利用する施設だったとまでは言えないのです。
また、この大浴場をすべてのインダス都市に備わる共通施設として覚えると、都市ごとの姿を見失います。
排水に工夫を凝らした街もあれば、ドーラビーラのように水を蓄える施設が際立つ街もあります。
共通する技術を持ちながら、土地の条件に応じた設計が行われていました。
問2の答え:焼きレンガと「4対2対1」の意味
問2の答えは焼成(しょうせい)レンガ、つまり焼きレンガです。
粘土を形にして窯で焼き、水に強い建材に仕上げました。
モエンジョ=ダーロでは、住居、井戸、排水設備など、さまざまな場所で使われています。
長さ・幅・厚さがおよそ4対2対1になる寸法は、インダス文明の代表的な特徴です。
ハラッパーの発掘例には、厚さ6.5センチ、幅13センチ、長さ26センチの焼きレンガがあります。
幅二つ分が長さになり、厚さ二つ分が幅になる関係が、数値から見て取れます。
こうした比率なら、レンガの向きを変えながら組み合わせやすくなります。
壁の角や接合部分でも、部材同士の関係をそろえて積めます。
一個一個の形を合わせる仕事が、街の大きな建設を支えていたわけです。
現代人が充電器の端子をそろえるのに苦労している間に、インダスの職人はレンガの互換性を相談していたのかもしれません。
もちろん古代の会議録は残っていませんが、部材を合わせることの大切さは、今の私たちにも身近です。
ただし、同じ発掘地でも時期によってレンガの実寸は変わります。
「一定の比率を好むこと」と「全域で一ミリも違わないこと」は区別が必要です。
さらに、比率の規格は焼きレンガだけの特徴ではなく、日干しレンガにも見られます。
日干しレンガは、土を成形して乾燥させた建材です。
焼きレンガ、日干しレンガ、石材が、地域や用途によって使い分けられました。
石を多く用いたドーラビーラも含めると、文明をまとめる共通性と、現地の材料を生かす工夫を同時に捉えられます。
分銅と印章は、離れた相手とのやり取りを支える
小さな石が、重さの共通言語になる
都市の建設から、品物を受け渡す場面へ移りましょう。
赤い石のビーズを一定量渡すとしても、売り手の「一つ分」と買い手の「一つ分」が違えば、話がまとまりません。
そこで手掛かりになるのが、各地から出土する立方体の石製分銅です。
分銅は、天びんで品物と重さを比べるための基準です。
インダス地域では、小さい単位に1、2、4、8、16、32と倍になる関係が見られます。
大きい単位には十進的な組み合わせもあり、重量の体系全体が、単純に倍々で続くわけではありません。
倍になる分銅の使い方は、現代の数字で考えると分かりやすくなります。
仮に基準の重さを一単位とすれば、三単位は「一と二」、七単位は「一と二と四」で表せます。
これは仕組みを説明する例ですが、少ない種類の分銅を組み合わせて重さを示せる利点が伝わります。
ハラッパーで出土した一群には、よく使われた重さが約13.7グラムの分銅もあります。
見た目の小さな石に、品物を比較するための約束が詰まっています。
レンガの寸法が建設を助けるように、重さの規格は、別の場所で作られた品を扱う土台になりました。

もっとも、共通の分銅があることだけで、取引が常に公正だったとは証明できません。
税や物資の管理に使う場合も考えられ、売買の細かな制度も十分には分かっていません。
発掘から確かめられるのは、広い範囲で重さをそろえようとする仕組みがあったことです。
印章の模様と文字は何を伝えたのか
もう一つの小さな道具が印章(いんしょう)です。
動物の姿や記号列を刻んだ品が知られ、粘土などに押して印を残しました。
品物や包みとの関係を示す、所有や管理に関わるなどの用途が考えられています。
押した印があれば、包みを目の前の品として見るだけでなく、誰かの管理や手続きと結びつけることができます。
ただし、個々の記号が人名、組織名、品名のどれを表したかは読み取れていません。
現代の会社印や送り状と同じ制度があった、と決めることも避けます。
問3の答え:メルッハからメソポタミアへ
海の向こうの記録に、インダスの地域が現れる
問3の答えはメルッハです。
メソポタミアの楔形文字文書に現れるこの地名は、一般にインダス文明の広い地域を指すと考えられています。
現在の国名のように、確定した国境を持つ一国家の名前として扱う必要はありません。
アッカドのサルゴンに関する記録には、メルッハ、マガン、ディルムンの船がアッカドに来たという記述があります。
マガンはオマーン方面、ディルムンはバーレーンを中心とする湾岸地域に比定(ひてい)されます。
それぞれ、インダスとメソポタミアの間の海を考える重要な場所です。
地図でインダス川の河口から西へ進むと、アラビア海を隔ててオマーン方面があり、その先にペルシア湾が開けます。
湾を北西へたどれば、南メソポタミアの都市圏につながります。
陸上の都市から港へ、そして湾岸の拠点へという地理的な関係が、遠隔地交易の輪郭を教えてくれます。

地図の点線は交流圏の関係を示した概念線です。
個々の船が進んだ航路や、一回の航海の寄港順を復元したものではありません。
直接の往来に加え、途中の地域で品物を受け渡す形も視野に入れておきます。
何を運んだのか――赤いビーズを追う
交易品を具体的に見るには、紅玉髄(べにぎょくずい)、カーネリアンのビーズがよい入口です。
硬い赤い石を整え、細い穴を通して装身具に仕上げます。
インダス地域には、そのような加工を行った工房の痕跡があります。
メソポタミアのウルやキシュなどからは、インダス地域の技術と関係するカーネリアンのビーズが見つかっています。
単に赤い石が似ているというだけでなく、形、加工、穴あけの特徴を比較することが、産地や技術のつながりを探る方法になります。
オマーン方面ではインダス系の土器や象牙(ぞうげ)製品なども見つかり、海を隔てた交流を裏付けています。
一方、オマーン方面の銅がインダス地域へ入ったと考えられる例もあります。
品物の流れを一方向にそろえず、原材料と加工品の双方が動く関係として見ることが大切です。
広い交易を支えたものには、船だけでなく、内陸の工房と沿岸をつなぐ移動、荷物の扱い、重さを比べる道具もありました。
ここまで見てきた都市の仕事が、海上交易の話につながります。
ただし、規格の存在から、すべてを一人の王が管理したとまでは読み取れません。
インダス文字は読める?文明に謎が多い理由
インダス文字には、広く合意された解読がまだありません。
印章などの短い記号列は残っていますが、どの言語をどのように表しているかが確定していないためです。
読める言語と対応させた、解読の決め手となる対訳文も見つかっていません。
このため、「文明を築いたのは誰か」と問うとき、特定の王や一つの民族名を答えることはできません。
地域で暮らした多くの人々が、農業、建設、工芸、物の交換を積み重ねました。
その言語や政治組織を、後の時代の名前だけで決めることは慎重である必要があります。
文字を読めないと、税の額、取引の契約、施設を管理した人の肩書などを、当事者の言葉から確かめにくくなります。
共通の規格が広がった理由も、国家の命令、都市間の調整、職人や商人の関係など、複数の仕組みを検討することになります。
一方、遺跡には、材料を切った跡や、建物を直した跡、作りかけの品が残ります。
文字が読めないことは、文明について何も分からないという意味ではありません。
人名を中心に追う歴史とは違う入口から、作業と暮らしを組み立て直せるのです。
「何を発明した文明か」という疑問にも、この視点が役立ちます。
排水、重さの規格、工芸技術は重要な特徴ですが、それらを一括して世界初の発明とすることはできません。
すでにある技術も含め、多くの人が暮らす街と広い交流の中で、どう組み合わせて使ったかに、この文明を学ぶ面白さがあります。
なぜ衰退したのか――消滅ではなく、都市の変化を追う
成熟期の大都市には、紀元前1900年ごろ以降、規模の縮小や、従来の施設・生産のあり方の変化が見られます。
都市文明の変化を、その地域の人々が一斉に消えた出来事と捉えることはできません。
環境を調べた研究では、季節風であるモンスーンの弱まりが、農業を支える水の条件を変えたと考えられています。
降雨や川の増水に頼る農業では、水の量や得られる時期が変わると、同じ場所で同じ作物を育て続けることが難しくなります。
食料を生産する村と、それを受け取る都市はつながっています。
水や農業の条件が変われば、住む場所、作物の組み合わせ、物を運ぶ関係にも調整が必要になります。
ただし、環境変化一つで、すべての都市の推移を同じように説明できるわけではありません。
集落の分布には東方への移動や小規模な居住の継続も見られます。
大都市を中心としたまとまりが弱くなっても、人々は地域ごとの条件の中で暮らしを続けました。
どの都市で、どの時期に、何が変わったかを分けて見ると、単純な「滅亡」の一語では隠れてしまう歴史が現れます。
ガッガル・ハクラ川の地域も、河川の変化を考える重要な場所です。
ただし、大河の流路変更と都市の衰退を結びつけるには、それぞれの年代を確かめる必要があります。
2017年の研究では、この地域の古い流路を流れていたサトレジ川が現在の流路へ移ったのは、約8000年前で、成熟期の都市が発達するよりはるか前だと示されました。
古い流路の周辺にも、人が暮らせる土地が形成されていました。
乾燥化、流域ごとの水事情、居住や生産の変化を、年代と地域を合わせながら見ることが、都市の歩みを理解する手掛かりになります。
インダス文明の後半は、環境に応じて社会が姿を変える歴史でもあります。
まとめ:街の小さな規格が、海の向こうへつながる
3問の答えは、都市計画、焼成レンガ、メルッハです。
道路と排水設備は住まいを街へつなぎ、レンガの比率や分銅は、離れた場所でも部材や品物を扱うための共通性を生みました。
その先には、工房から沿岸へ、アラビア海から湾岸の拠点へと広がる交易があります。
同じ規格を使う場面と、土地に応じて工夫する場面を一緒に見ると、インダス文明を支えた仕事が具体的になります。
未解読の文字や都市の衰退も、分かることの範囲を確かめながら読むと、人々の長い暮らしの続きとして捉えられます。
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- 長江文明の稲作は社会をどう変えた?良渚とインダスの歩み:大都市以前のハラッパーで育った農耕、工芸、交流を振り返れます。
参考資料
- メドウ・ケノイヤー「ハラッパー発掘1998〜2000年の主な成果」:成熟期の年代、都市と工芸、文字研究。
- ユネスコ世界遺産センター「モエンジョ=ダーロの考古遺跡群」:街路、都市の区域、排水設備。
- ハラッパー「モエンジョ=ダーロの大浴場」:寸法、防水構造、用途の解釈。
- ケノイヤー「日干しレンガの基壇と焼きレンガの寸法」:レンガの比率と実寸の違い。
- ユネスコ世界遺産センター「ドーラビーラ」:位置、石造建築、水管理、工芸と交流。
- ハラッパー「ハラッパーの分銅」、「分銅」:出土した重量体系、小さい単位と大きい単位の違い。
- インフリブネット大学教材「インダス文明の交易と都市化」:メルッハなどの地名、交易品、印章と海域の交流。
- パルポラ「インダス文字」:解読の難しさ、言語と対訳文の問題。
- ジオサンほか(2012)「インダス文明の河川景観」:降雨・河川環境と農業、都市縮小や集落分布の変化。
- シンほか(2017)「ヒマラヤ河川の変化とインダス都市の立地」:サトレジ川の旧流路と都市成立の前後関係。
