ラスコー洞窟とアルタミラ洞窟の違いは?旧石器時代の壁画と「描く人類」をたどる

洪積世

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問1 フランス南西部で発見され、馬・オーロックス(野生のウシ)・シカなどが躍動的に描かれた、後期旧石器時代のホモ・サピエンスによる代表的な洞窟壁画遺跡の名称は何ですか。

問2 スペイン北部で発見され、天井に描かれた写実的なバイソン(野牛)の絵画で知られる洞窟壁画遺跡の名称は何ですか。

答えは、問1がラスコー洞窟、問2がアルタミラ洞窟です。 どちらも後期旧石器時代の洞窟壁画を代表する遺跡ですが、場所も発見の経緯も、作品の構成や年代の捉え方も同じではありません。

この二つを「昔の人が洞窟に動物を描いた」と一括りにすると、覚えるのは簡単でも中身が薄くなります。むしろ、なぜ暗い洞窟の奥に、これほど大きく、色彩豊かな動物像を残したのかという問いから見ると、旧石器時代の人びとの技術、観察力、象徴表現まで一本につながります。

まずはラスコー洞窟とアルタミラ洞窟を同じ軸で比べる

比較点 ラスコー洞窟 アルタミラ洞窟
場所 フランス南西部、ドルドーニュ地方 スペイン北部、カンタブリア地方
現代の発見史 1940年、4人の若者が洞窟へ入って壁画を発見 洞窟自体は1868年ごろ知られ、1879年に天井画が認識された
目立つ動物 馬、オーロックス、シカ、バイソンなど バイソン、馬、シカなど
表現 大きな動物群、彩色、線刻が組み合わさる 岩面の凹凸も利用した多彩色の動物像が有名
年代の見方 近年の研究では約2万1千年前の人間活動が重要 洞窟の壁画は一時期だけでなく、長い期間にわたり制作された

ここで年代の数字に幅がある点にも注意が必要です。洞窟では、壁画そのものを直接年代測定できる場合と、できない場合があります。木炭なら放射性炭素年代測定を使えることがありますが、鉱物顔料だけの図像では別の手がかりが必要です。そのため、壁画の年代、洞窟を人が利用した年代、地層から出た道具の年代は、いつも同じ一つの数字になるとは限りません。

表で見ると、アルタミラのほうが「先に発見された」ように見えます。実際、旧石器時代の洞窟美術が学問的に認識される歴史ではアルタミラが先です。一方、ラスコーの発見は20世紀半ばで、すでに旧石器美術という研究分野が育ってからの出来事でした。この差が、二つの洞窟が学問史で果たした役割の違いにもつながります。

ラスコー洞窟では何が見つかったのか

1940年9月12日、フランス南西部のモンティニャック近郊で、マルセル・ラヴィダら4人の若者が地面の穴から洞窟へ入りました。フランス文化省の資料によると、彼らが細い通路を進むと、現在「軸状ギャラリー」と呼ばれる区域で最初の壁画が見えてきます。

洞窟内には、馬、シカ、オーロックス、バイソン、ヤギ類、ネコ科動物などが描かれています。とくに有名なのが「雄牛の広間」と呼ばれる区域です。巨大なオーロックスと多くの馬が壁面を埋め、輪郭線だけでなく色面や線刻も組み合わされています。

「クロマニョン人」とだけ覚えないほうが分かりやすい

学校教材では、ラスコーの作者を「クロマニョン人」と説明することがあります。クロマニョンとは、フランスのクロマニョン岩陰で1868年に見つかった初期のヨーロッパのホモ・サピエンス化石に由来する呼び名です。現在の人類学では、これを別の人類種の名称として扱うのではなく、後期更新世のヨーロッパに暮らしたホモ・サピエンスとして理解するほうが正確です。

ラスコーについても、作者の一人ひとりの所属集団まで特定できるわけではありません。フランス文化省の近年の年代研究は、洞窟内の人間活動を約2万1500〜2万1000年前の時期と結びつけています。古い教科書にある「約1万7千年前」という一つの数字だけでは、研究の更新を十分に表せません。

動物は「狩りの記録」だけでは説明しきれない

ラスコーの壁画は、かつて「狩猟の成功を願う呪術」と結びつけて説明されることがありました。ところが、研究が進むと、矢のような記号が付く動物は限られ、単純な狩猟呪術説だけでは説明しにくいことが分かってきました。

壁画の意味を「狩猟祈願だった」と一つに決めることはできません。 豊穣、神話、シャーマニズム、洞窟内の配置、季節性など多くの仮説が論じられてきました。大切なのは、「宗教的な意味がありそうだ」という可能性と、「何を祈った場所だったかが分かっている」という断定を分けることです。

アルタミラ洞窟は「発見」より「認められるまで」が物語になる

スペイン北部のアルタミラ洞窟は、現代の発見史が少し複雑です。洞窟そのものは地元のモデスト・クビリャスが1868年ごろに見つけ、マルセリーノ・サンス・デ・サウトゥオラは1875年に訪れました。そして1879年、サウトゥオラが娘のマリアと再訪した際、マリアが天井の動物像に気づきます。

サウトゥオラは1880年、これらの絵を旧石器時代のものとする小冊子を公表しました。しかし当時の学界には、「石器時代の人間がこれほど高度な絵を描けたのか」という疑いが強く、すぐには受け入れられませんでした。その後、フランスなどで旧石器時代の洞窟壁画が相次いで確認され、1902年ごろにはアルタミラの真正性が広く認められるようになります。

つまりアルタミラは、壁画そのものだけでなく、19世紀の研究者が先史時代の人間像を修正していく転換点として重要です。先入観は、ときに洞窟の天井より低いところに頭をぶつけます。歴史を学ぶ側も、少し気をつけたいところです。

バイソンが立体的に見える理由

アルタミラの「多彩色の天井」では、バイソンや馬、シカなどが描かれています。制作した人びとは平らな壁だけを使ったのではなく、岩の出っ張りやくぼみを動物の背や腹の形に取り込みました。岩そのものを身体の量感に利用したため、火の揺れる明かりの中では像が立体的に感じられたと考えられます。

技法も一つではありません。スペイン国立アルタミラ博物館によると、輪郭を刻み、木炭で黒い線を引き、赤や黄の顔料を重ねる方法が使われました。赤や黄には鉄酸化物、黒には木炭やマンガン酸化物が利用されます。色を塗るだけでなく、線刻と彩色を重ねていたのです。

二つの洞窟を並べると「旧石器人の観察力」が見えてくる

ラスコーとアルタミラに共通するのは、動物を単純な記号として描いていない点です。背中の曲線、脚の動き、毛並み、角の向き、身体の重なりまで観察し、岩面の形も利用しています。狩猟採集生活では、動物の姿勢や季節ごとの行動を読むことが生活そのものに結びついていました。

ただし、写実的だから「見たままを写した」だけとも限りません。現実にはありえない組み合わせ、抽象記号、手形、人間と動物が入り混じるような図像もあります。そこには観察と象徴が同時に存在しています。

暗い場所に描くには準備がいる

洞窟の奥は自然光が届きません。そこへ入り、壁面を選び、顔料を準備し、灯りを確保して描くには、思いつき以上の段取りが必要です。顔料となる鉱物を砕き、木炭を使い、場合によっては吹き付けや筆のような道具を使います。

この手間を考えると、壁画は日常の落書きと同じではなかったと考えられます。ただ、その目的を現代人が一つの言葉で言い切ることはできません。考古学で分かるのは、残された物質、配置、年代、制作技法です。そこから意味を推測するときには、証拠と解釈を分けて読む必要があります。

洞窟壁画だけではない|身体・色・線に広がる旧石器時代の表現

旧石器時代の表現文化は、洞窟の壁だけに残ったわけではありません。小像、赤色顔料、携帯できる石片の線画を並べると、「描く」「彫る」「色を使う」という行為が広い地域と長い年代にわたって現れることが分かります。

ヴィレンドルフのヴィーナスは「母神」と断定できない

オーストリアで1908年に発見されたヴィレンドルフのヴィーナスは、高さ約11センチの石灰岩製の女性像で、約2万9500年前のものとされています。頭部には細かな模様があり、顔の表情は表されず、胸部や腹部など身体の一部が強調されています。表面には赤色顔料の痕跡も残ります。

「ヴィーナス」という名は後世の研究者が付けた呼び名です。妊娠、豊穣、女性性、自己表現などさまざまな解釈が提案されてきましたが、ウィーン自然史博物館も意味の解釈は一つに定められないと説明しています。したがって、「母神信仰の像」と確定させるより、意味は不明だが、身体表現を考える重要な資料として見るほうが資料に忠実です。

赤色顔料は「生命の象徴」と決める前に用途を見る

赤いオーカー、つまり鉄酸化物を含む天然顔料は、旧石器時代よりさらに古い遺跡から使われています。イスラエルのカフゼー遺跡では、約10万年前のホモ・サピエンスの埋葬とともに赤色オーカーが見つかり、儀礼との関係が考えられています。ヨーロッパの旧石器時代の埋葬でも、赤色顔料を伴う例があります。

赤を血や生命、再生の象徴とみなす解釈は理解しやすい一方、すべての赤色顔料が同じ宗教観を表したとは限りません。顔料は絵を描くほか、皮革加工など実用的な用途にも使われました。「赤がある=同じ信仰」と一直線につなげないことが、古い時代を読むコツです。

約7万3千年前のブロムボス洞窟では抽象的な線が描かれた

南アフリカのブロムボス洞窟からは、約7万3千年前の地層で、小さなシルクリート片に赤いオーカーで格子状の線を描いた資料が見つかっています。2018年に『ネイチャー』で報告されたこの資料は、刻み込んだ線ではなく、オーカーをクレヨンのように使って描いたものです。

線の意味は分かっていません。文字だったと確認されたわけでも、特定の記号体系だったと証明されたわけでもありません。それでも、ホモ・サピエンスが動物像よりはるか以前に、幾何学的な図形を意図的に作っていたことを示す資料として重要です。

なぜ本物の洞窟をそのまま見せないのか

壁画を学ぶと、次に「現地へ行けば本物を見られるのか」と気になるところです。ところが、ここでは保存の歴史そのものが重要な教材になります。洞窟は長いあいだ外気から隔てられ、温度や湿度が大きく変わりにくい環境にありました。そこへ大勢の人が入り、照明や通路を設けると、二酸化炭素、温度、湿度、微生物などの条件が変化します。

ラスコーは1948年に一般公開されましたが、観光客の増加で洞窟内の二酸化炭素濃度が高まり、壁画を守るための対策が必要になりました。最終的に1963年4月20日、本物の洞窟は一般公開を停止します。現在は実物を守りながら学べるよう、ラスコー2、ラスコー3、ラスコー4といった複製展示が整備されてきました。

アルタミラでも、多数の来訪者による洞窟内の微気候の変化が保存上の問題となりました。20世紀後半から入場制限と調査が繰り返され、現在の実洞窟への一般公開は厳しく管理されています。一方、博物館には洞窟を三次元的に再現した「ネオケイブ」があり、岩面の形や天井画の配置を学べます。

複製を見ることは「本物の代用品を見るだけ」ではなく、本物を未来へ残すための保存技術と研究の成果に触れることでもあります。 先史時代の人が残した壁画と、現代人がそれをどう守るか。二つを合わせて考えると、洞窟壁画は過去だけの話ではなくなります。

地図と年表で整理すると、四つの表現は混ざらない

最後に、場所と年代を簡単に並べます。南アフリカのブロムボス洞窟では約7万3千年前の抽象線画、オーストリアでは約2万9500年前の女性小像、フランス南西部では約2万1千年前前後のラスコーの人間活動、スペイン北部のアルタミラでは約3万6千〜1万3千年前にわたる壁画や線刻が確認されています。

おおよその年代 地域 資料から分かること
約7万3千年前 南アフリカ 赤色オーカーで描いた格子状の抽象線画
約2万9500年前 オーストリア 石灰岩製の小さな女性像と赤色顔料
約2万1千年前前後 フランス南西部 大規模な洞窟壁画と線刻、人間活動の痕跡
約3万6千〜1万3千年前 スペイン北部 長期間にわたる洞窟壁画・線刻・多彩な技法

この表の年代は「一つの文化が次の文化へ順番に発展した」という意味ではありません。地域ごとに別の証拠を置いた比較です。地図では南部アフリカから中欧、西ヨーロッパへと位置を確かめ、年表では年代の幅を見る。この二つの作業を分けると、先史時代の表現文化を一本の進化物語にしてしまう誤解を避けやすくなります。

年代を一本の「進化の階段」にしない

ブロムボス洞窟の抽象線画、ヴィレンドルフの小像、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画を年代順に並べると、表現が単純な線から写実的な絵へ一直線に進歩したように見えるかもしれません。しかし、考古学資料は地域も用途も異なります。

約7万3千年前の南部アフリカの線画と、約3万年前の中欧の小像と、約2万年前前後の西ヨーロッパの洞窟壁画は、それぞれ別の社会と環境で作られました。古いものが未熟で、新しいものが完成形という順序ではありません。

むしろ覚えたいのは、ホモ・サピエンスが非常に早い段階から色、線、立体、壁面を使い分けていたことです。そこから先は、「何を描いたか」「どこに残したか」「どんな材料を使ったか」を地域ごとに比べると、先史時代がぐっと具体的になります。

まとめ

ラスコー洞窟はフランス南西部、アルタミラ洞窟はスペイン北部にある代表的な旧石器時代の洞窟壁画遺跡です。ラスコーでは馬やオーロックスなどの大きな動物群、アルタミラでは岩面の凹凸を利用したバイソンなどの多彩色画がよく知られています。

二つの洞窟を「狩猟祈願の場所」とだけ覚える必要はありません。壁画の意味には複数の仮説があり、確定していないからです。小像、赤色顔料、南部アフリカの抽象線画まで視野を広げると、旧石器時代のホモ・サピエンスが、かなり古い時期から多様な象徴表現を行っていたことが見えてきます。

復習するときは、ラスコー=フランス南西部、アルタミラ=スペイン北部を入口に、「発見史」「描かれた動物」「技法」「意味の解釈は確定していない」の四点を自分の言葉で説明してみてください。

参考資料