ヒマラヤ山脈・日本列島の弧状化・第四紀をつなぐ|新生代の地球をプレート運動から読む

ヒマラヤと日本列島を題材に新生代の地球を描いた創作イメージ 洪積世

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問1(ヒマラヤ造山運動)
新生代にインドプレートがユーラシアプレートに衝突して隆起し、世界最高峰の山脈を形成した新期造山帯の代表的な山脈の名称を答えなさい。

問2(日本列島の弧状化)
新第三紀の中新世を中心とする日本海の拡大に伴い、アジア大陸東縁から分離した日本列島の原型が形づくられました。海溝とほぼ平行に弓なりに連なる列島を何と呼びますか。

問3(第四紀への移行)
約260万年前から現在に至る、氷期と間氷期が交互に訪れる寒冷化と激しい海水面変動を特徴とする地質年代の名称を答えなさい。

答えと解説

三問の答えは、問1がヒマラヤ山脈、問2が弧状列島(島弧)、問3が第四紀です。ヒマラヤでは大陸の衝突、日本列島では日本海の拡大、第四紀では氷期・間氷期と海水面の変化が鍵になります。
山脈・列島・地質年代という三つの答えを時間軸へ置くと、新生代の地球がどう変わったかをたどれます。ヒマラヤの形成は約5000万〜4000万年前ごろから、日本海拡大の最盛期は約2400万〜1500万年前、第四紀の始まりは約258万年前です。
現在、新生代は古第三紀・新第三紀・第四紀に分かれます。古い資料の「第三紀」は、古第三紀と新第三紀をまとめた呼び方に対応します。

三問の時期と地球の変化

問題 答え 主な時期 何が起きたか
問1 ヒマラヤ山脈 約5000万〜4000万年前ごろから インドとユーラシアの大陸地殻が衝突し、地殻が厚くなって山地が成長した
問2 弧状列島(島弧) 日本海拡大の最盛期は約2400万〜1500万年前 アジア大陸東縁が引き延ばされ、日本海が広がり、日本列島の原型が形づくられた
問3 第四紀 約258万年前〜現在 寒冷な気候を背景に氷期・間氷期が繰り返され、海水面も大きく変動した

ヒマラヤ山脈は大陸どうしの衝突で成長しました。日本列島の原型は、海洋プレートが沈み込む帯の背後で起きた日本海の拡大と地殻変形によって形づくられました。第四紀は、こうした地球の歴史を区切る地質年代の名称です。

「新生代」という大きな時間の箱を開く

新生代の始まりは約6600万年前です。この大きな時間の箱の中に、ヒマラヤの形成、日本海の拡大、第四紀の気候変動が入っています。古第三紀は約6600万年前から約2300万年前、新第三紀はその後から約258万年前まで、第四紀は約258万年前から現在まで、と大まかに区切れます。中新世は新第三紀の前半に当たり、約2300万年前から約530万年前です。

「新期造山帯」の新しい、「新生代」の新しい、「新人」の新しいは、それぞれ比べる相手が違います。造山帯は山地の形成史、地質年代は地球史の区分、人類の呼び名は人類学上の整理です。たとえば約5000万年前から成長したヒマラヤは地質学では新しい造山帯ですが、その歴史は私たちの種であるホモ・サピエンスの歴史よりはるかに長く続いています。

三問で使う時間の単位もそろえておきましょう。100万年を1 Maとすると、5000万年前は50 Ma、1500万年前は15 Ma、258万年前は2.58 Maです。年代の桁を見ながら読むと、地殻変動がつくった地形の上で、後に気候と人類の生活環境が変化した順序をつかめます。

深掘り|大陸衝突と背弧拡大の仕組み

ヒマラヤでは、インドとユーラシアの間の海が狭まった後、大陸地殻どうしが衝突し、地殻が押し縮められました。日本列島の形成では、太平洋側からの海洋プレートの沈み込みと、その背後で地殻が引き延ばされて日本海が開いた過程が重要です。
沈み込み帯では、海溝付近の圧縮とともに、その背後で地殻が伸び、海盆が形成されることがあります。日本海はこの背弧海盆の代表例です。「背弧」は、火山弧を海溝から見たときの後ろ側を指します。
ヒマラヤは大陸衝突型の造山帯、日本列島は沈み込み帯と背弧拡大を伴う島弧系として整理できます。地殻が縮む場所と伸びる場所をたどると、山地や海盆ができる理由も見えてきます。

大陸衝突で地殻が押し縮められる様子を示した学習用の模式図
大陸衝突による圧縮と地殻の厚みの増加を概念的に示した創作図です。形や縮尺は模式化しています。

プレートは地殻と上部マントルの一部を合わせた岩盤

プレートは、地球表面を覆う硬い岩盤のまとまりです。地殻と、その下の上部マントルの硬い部分を合わせた「岩石圏」が、いくつものプレートに分かれています。さらに下には、高温の岩石が長い時間をかけてゆっくり変形できる部分があり、その上でプレートが動きます。ふだん手に持つ石も、地球内部の高温と圧力の下では、数百万年という時間をかけて変形する対象になります。

海洋地殻は玄武岩質の岩石を主体とし、大陸地殻には花崗岩質の比較的軽い岩石が多く含まれます。厚さや密度の違いは、プレートが接近したときの動きに関わります。冷えて重くなった海洋プレートがマントルへ沈み込む場所では、地表に海溝ができます。一方、浮力の大きな大陸地殻どうしがぶつかると、岩盤が押し縮められ、重なり、厚くなって山地が育ちます。

プレートの境界には、互いに近づく場所、離れる場所、横にずれ合う場所があります。離れる場所では地殻が伸び、海底では新しい岩盤がつくられます。横ずれの境界では、地塊が境界沿いに移動します。この三つの動きが地球上の各地で組み合わさって、山脈、海盆、断層をつくっています。日本海の形成を読むときも、「どこで沈み、どこで伸びたか」を場所ごとに見ます。

問1:ヒマラヤ山脈は大陸どうしの衝突で生まれた

インドを載せたプレートは北上し、約5000万〜4000万年前ごろにユーラシア側との本格的な衝突へ入りました。米国地質調査所も、ヒマラヤの形成開始をおよそ4000万〜5000万年前と説明しています。
大陸地殻は海洋地殻より軽く、衝突しても簡単には深いマントルへ沈みません。そのため地殻は押し縮められ、断層で重なり、厚くなります。行き場を失った岩石が上方へ持ち上げられた結果が、ヒマラヤ山脈とチベット高原の巨大な高まりです。地球規模の「押しくらまんじゅう」と言いたくなりますが、実際には数千万年かけて岩盤が変形する、非常にゆっくりした運動です。
現在もインドとユーラシアの収束は続いています。米国地質調査所のヒマラヤ周辺の地震活動に関する資料では、両プレートの相対的な収束速度は年40〜50ミリ程度とされています。地震活動にも、衝突帯が現在まで活動していることが表れています。
新期造山帯とは、地質学的に比較的新しい時代の造山運動で形成された山地が連なる帯を指す、学習上の表現です。ヒマラヤ山脈はアルプス山脈などとともに代表例として扱われます。衝突・隆起・侵食は数千万年にわたり、地域ごとに異なる速度で重なってきました。

海が閉じて、岩石が山の一部になるまで

インドとアジアの間には、かつてテチス海と呼ばれる海域が広がっていました。インド側の北上に伴って海洋部分が狭まり、海底の地殻が沈み込む過程を経て、大陸どうしの衝突へ進みます。海の底にたまった堆積物も衝突帯の変形に取り込まれました。山の岩石を調べると、地形が高くなるより前の海や陸の環境までさかのぼれるのは、このように古い岩石が次の地殻変動の材料になるためです。

岩盤に力が加わると、地層が波打つように曲がる「褶曲(しゅうきょく)」や、断層に沿って岩盤が重なる運動が起きます。堆積したときには下にあった地層が持ち上がり、地表へ現れることもあります。現在の地層の向きと、堆積した当時の向きを区別することで、山脈ができるまでの変形の歴史が分かります。

衝突によって山地が高まる一方、雨、河川、氷河は岩石を削り、土砂を下流へ運びます。山の高さは、地殻の変形で高くなる働きと、侵食で削られる働きが重なった結果です。プレートの収束速度、地面の隆起速度、山頂の標高の変化は、それぞれ測っている対象が異なります。先ほどの年40〜50ミリという値は、プレートどうしが近づく速さとして読みます。

山地の雪と川を、暮らしにつなげて考える

ヒマラヤを含むヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域には、雪や氷河として蓄えられる水があり、インダス川、ガンジス川、ブラマプトラ川などの大河の水系につながっています。国際山岳総合開発センター(ICIMOD)の地域研究は、こうした山地の水、河川、生態系が、山村と下流域の生活を支えていることを説明しています。ここで扱うヒンドゥークシュ・ヒマラヤは、ヒマラヤ山脈だけより広い地域です。

山地の水を暮らしへ結びつけると、仕組みが具体的になります。山に降った雨や雪が川へ流れ、雪や氷が季節に応じて融けると、下流では飲み水や農業用水として利用されます。田畑へ水を届けるには、川から引く水路や取水の場所、必要な季節の水量を考えます。山が高いという一つの特徴から、水がどこに蓄えられ、いつ流れ出し、どこで使われるかへ視点を広げられます。

ICIMODが整理する山岳農業には、作物栽培と家畜飼養などを組み合わせた複数の方式があります。高度、斜面、降水、利用できる土地に違いがあるため、暮らし方にも地域差があります。これは現在の地域研究を用いた具体例です。山脈ができ始めた数千万年前の地殻変動と、その地形を利用する後代の生活を、時間を分けてつなげてください。

問2:日本列島の原型は中新世を中心に形づくられた

北海道から本州、九州へ続く日本列島は、ゆるやかな弓なりに連なっています。海溝とほぼ平行に弧を描く列島や火山帯を島弧(とうこ)と呼び、日本列島も複数の島弧から成ります。設問の答えは「弧状列島」または「島弧」です。
産業技術総合研究所の研究紹介によると、日本海の拡大は約2400万〜1500万年前に最盛期を迎えました。能登半島周辺の地質研究では、約1800万〜1500万年前ごろに急激な拡大と深化が進んだと説明されています。主要な拡大期は、新第三紀の中新世に当たります。
日本海が広がる前、日本列島の土台となる地質体はアジア大陸の東縁にありました。大陸縁辺の地殻が引き延ばされ、背弧側、つまり沈み込み帯から見て大陸側の後方で海盆が開くと、日本海が形成されていきます。この過程で東北日本や西南日本の地塊は回転を伴って移動し、現在の日本列島の原型へ近づきました。
日本列島は複数の地質帯・島弧・衝突帯が組み合わさった構造を持ちます。日本海の拡大がそれらの配置を大きく変え、その後の衝突や地殻変形も現在の形に関わりました。東北日本では、日本海拡大時の回転の時期・規模・方向に地域差があり、産総研の研究は、堆積盆ごとの回転が地域差を生む一因と考えています。地域ごとの運動の仕組みには研究が続いています。
日本海が広がった時期を中新世へ置き、地塊の移動と回転によって列島の原型が形づくられたと理解しましょう。

地層の小さな磁石が、大地の回転を記録する

日本列島の地塊が動いたことを調べる手掛かりの一つが、岩石や地層に残る古地磁気です。地磁気は方位磁石の向きを決める地球の磁場です。岩石に含まれる磁性鉱物は、岩石ができる過程などで当時の磁場の情報を記録します。後にその岩盤が回転すると、保存された磁気の向きと、もともとの向きとの間にずれが生まれます。

地磁気そのものも、長い地球史の中で向きが何度も逆転しています。この逆転の履歴を年代の分かった記録と比べると、調査した地層がどの時期にできたかを絞れます。年代を調べる作業と、地塊の回転を調べる作業には、同じ磁気の記録の異なる情報が使われています。

具体例が茨城県大子町周辺の堆積盆です。2023年の産総研の研究では、約1720万〜1660万年前の地層群と、それ以後の地層で磁気の方位を比較し、この期間に大地が約30度回転したと判断しました。同じ頃、堆積盆は急速に沈降し、環境も陸から海へ変わりました。棚倉断層帯の横ずれ運動が、盆地の形成・沈降と回転に関わったと考えられています。

地質的に近い栃木県茂木町周辺では、同じ時期の回転が確認されていません。隣り合う地域の違いを比べることで、断層沿いの堆積盆に起きた運動の範囲が見えてきます。大子町の約30度という値は、その地域の地塊についての研究結果です。日本列島全体の回転を説明するときには、ほかの地域の資料と合わせて検討します。

能登の岩石から、浅い海が深い海へ変わった過程を読む

能登半島北部の地質には、日本海が広がる過程が違う形で残っています。産総研の「輪島」地質図幅の研究紹介は、はじめに扇状地や内湾・浅海の堆積物ができ、その後、深い海の環境で珪質・珪藻質の細かい堆積物が厚く積もったと説明します。珪藻は、珪酸質の殻を持つ微小な藻類です。その殻も、昔の水域の記録になります。

石の大きさや化石の種類が変わると、堆積した場所や環境が変化した可能性を調べられます。川が運ぶ粗い礫、沿岸に積もる砂、海へ沈む細かい粒子には、運ばれ方や積もる場所の違いがあります。研究者は地層の重なり、広がり、含まれる化石、年代を合わせて、昔の地形を組み立てます。

今の陸上にある岩石の一部が昔の海の堆積物であることも、この方法で分かります。堆積した環境と、隆起や変形を経て現在置かれている場所は、別々に調べる対象です。中新世の海の記録を読み、その後の地殻変動まで追うと、現在の半島や丘陵の成り立ちが時間の厚みを持って見えてきます。

問3:第四紀は約258万年前から現在まで続く

第四紀は、約258万年前から現在まで続く地質年代です。2009年、国際地質科学連合は第四紀と更新世の始まりを、イタリア・シチリア島のモンテサンニコラにある基準となる地層の境界に定めました。国際層序委員会の年代層序表では、その年代は2.58 Ma(約258万年前)と表記されています。Maは100万年を表す単位です。
第四紀は大きく更新世と完新世に分かれます。更新世には氷期と間氷期が繰り返され、大陸氷床が拡大する時期には大量の水が陸上の氷として蓄えられました。そのため海水面が低下し、逆に氷床が縮小すると海水面が上昇します。気候変動と海水面変動が、海岸線や陸橋、河川地形、生物の分布、人類の移動環境にも影響を与えました。
更新世には寒冷な氷期と温暖な間氷期が繰り返され、気候には地域差もありました。現在は約1万1700年前に始まった完新世にあります。第四紀には、氷床が広がる時期から私たちが暮らす現在までが含まれます。
研究者は地層・化石・古地磁気などの記録を比較し、世界で共通して使える地質年代の境界を定めます。境界の基準となる地層の位置と、そこに与えられた数値年代は区別され、数値は研究によって見直されることがあります。学習では「約260万年前」と丸めると全体の時間軸をつかみやすくなります。

氷期のリズムは、夏に雪が残るかどうかに関わる

氷床が大きくなるには、冬に降った雪の一部が夏にも残り、長い時間をかけて積み重なる条件が必要です。その条件に関わるのが、地球の公転軌道の形、地軸の傾き、地軸の向きのゆっくりした変化です。これらをまとめて「ミランコビッチ・サイクル」と呼びます。NASAの解説では、軌道の形には約10万年、地軸の傾きには約4万1000年、季節と軌道上の位置の関係には約1万9000〜2万3000年という代表的な周期が示されています。

重要なのは、ある緯度のある季節に届く日射の量です。北半球の高緯度で夏の日射が弱まる条件は、雪が融けずに残ることに関わります。氷の面積が増えると、太陽光を反射する面積も大きくなり、気温の変化を強める方向に働きます。海洋や大気中の二酸化炭素、氷床の大きさなども関わり、気候の応答が積み重なります。

更新世の氷期の周期も、全期間で同じではありません。NASAは、前の時期に目立つ約4万1000年の間隔と、約80万年前頃以降に目立つ約10万年の間隔を説明しています。周期が長くなった詳しい仕組みには研究が続いています。地球の軌道の変化が季節ごとの日射を変え、氷床や海洋の応答を通して環境が変わる、と段階を追って理解すると、周期の数字にも意味が出てきます。

第四紀の海水面変動は地図そのものを変える

氷期と間氷期の変化は、海岸線にも表れます。氷期に大陸氷床が拡大すると、海へ戻る水の一部が陸上に氷として蓄えられ、世界平均の海水面は低下します。間氷期に氷床が縮小すると、海水面が上昇します。
海水面が下がれば、浅い大陸棚の一部が陸地として現れ、海岸線の位置が現在とは違って見えます。上昇すれば低地へ海が入り込みます。つまり第四紀の地図は一枚で固定できず、同じ場所でも時期によって「陸」と「海」の境界が移動します。
海岸線や浅い海域の変化は、人類や動物の移動経路にも関わります。陸橋が形成されたかを判断するには、その場所の海底地形・水深と、対象とする時期の海面の高さを確かめる必要があります。

氷床と海岸線の変化を題材にした創作イメージ
氷床と海岸線を題材にした創作画像です。特定の時代・地点を復元した写真ではありません。

広がった陸地を、食料と移動の場所として読む

海岸線が沖へ移ると、今は海底にある浅い場所が、当時の人々や動物の生活空間になり得ます。逆に海が低地へ入り込むと、河口の位置、沿岸の地形、利用できる陸地の広さが変わります。海岸線の変化は、水辺までの距離、移動の道筋、利用できる環境にも関わります。

遺跡から当時の水辺までの距離は、遺跡の年代と同じ時期の海面を推定し、周囲の地形や堆積物を調べて考えます。現在の海岸や河川の位置を、その時期の地形と照らし合わせます。陸上からの発掘資料に海底の地形や地質の資料を合わせる必要があるのは、かつて人々が使った場所の一部が現在は水中にあるためです。

動物と人間の移動も、環境と技術を合わせて考えます。陸が続けば徒歩で移動できる範囲が変わり、海峡が残れば水域を越える方法が関わります。実際の移動を確かめる材料は、動物の化石、石器の分布、人骨などです。海面と地形から移動できる条件を調べ、遺物や化石からその場所にいた証拠を調べる、という二つの作業を組み合わせます。

ここには異なる長さの時間が重なっています。中新世の地殻変動が日本海と列島の原型をつくり、その後の第四紀の海面変化が海岸線を動かし、人々はその時代の環境で暮らしました。列島の骨格ができる時間と、海岸線が変わる時間を分けることで、地質学の説明を人類の生活史へつなげられます。

「第三紀」はどこへ行ったのか

「新生代第三紀」は、古い教科書や地質図でよく見かける言葉です。白亜紀の終わりから第四紀の始まりまでをまとめて指すために使われ、現在の年代値でおよそ6600万年前から258万年前までに対応します。古い資料では、第四紀の開始年代も現在の定義と異なる場合があります。
現在の国際的な地質年代尺度では、新生代を古第三紀・新第三紀・第四紀の三つの紀に分けます。日本地質学会も「第三紀」を非公式な用語として使用できる場合はあるものの、学術論文・教科書・地質時代表では用いない方針を示しています。古第三紀は暁新世・始新世・漸新世、新第三紀は中新世・鮮新世を含みます。
古い文献を読むときは、その時代に使われた「第三紀」の範囲を確かめ、現在の説明では古第三紀と新第三紀に分けて読み直します。地質年代の名称は、地球の歴史を整理するための「目盛り」です。

古第三紀・新第三紀・第四紀の関係を示す学習用の地層イメージ
年代区分の関係を説明する創作図です。描かれた地層の色や厚さは模式的なものです。

新生代の生態系を変えた地形・気候・生物の進化

恐竜のうち鳥類以外の系統が絶滅した約6600万年前以後、哺乳類は大きく多様化しました。被子植物も中生代にすでに多様化していましたが、新生代にも系統の多様化が続いています。大陸配置、山地の隆起、海峡の開閉、気温や降水の変化は、生物が暮らす環境を長い時間をかけて変えてきました。
巨大山脈の形成は、大気循環や侵食、河川系を変え、生物の生息環境にも関わります。生態系はさらに、気候や海洋の変化、植物相の移り変わり、絶滅と進化など、複数の要因が重なって変化してきました。
地殻変動が生物の暮らす舞台を変え、その舞台の上で気候と生物も変化しました。 地形・環境・進化の関わりをたどると、新生代の生態系を立体的に理解できます。

ヴィラフラキアン期は大型哺乳類化石を基準にした生物年代

ヴィラフラキアンは、ヨーロッパの陸生大型哺乳類化石をもとにした生物年代区分です。動物群の移り変わりや分布の拡大を基準に、おおむね約350万年前から100万〜110万年前までを指します。後期鮮新世から前期更新世の大部分にまたがる区分です。
ヴィラフラキアンの途中に、約258万年前の第四紀の境界が入ります。「紀」「世」という国際的な地質年代と、哺乳類群を基準にした生物年代は、同じ時間を異なる物差しで区切っています。
ヴィラフラキアンの研究では、ヨーロッパの大型哺乳類群の移り変わりが重要な手掛かりになります。寒冷化に向かう気候とともに、動物相にも大きな変化が起きました。この名称の定義は、大型哺乳類群の変化を基準にしています。

大型哺乳類化石を発掘する研究者を描いた創作イメージ
大型哺乳類化石の調査を描いた創作画像です。特定の発掘現場・化石標本の写真ではありません。

哺乳類の化石と人類の道具を、別々の証拠として重ねる

大型哺乳類の化石を調べると、その地域にどんな動物がいたかを知る手掛かりになります。種類の組み合わせが時間とともに変わるため、地域の動物群を比較して生物年代を組み立てられます。ヴィラフラキアンという名前は、そのようにヨーロッパの大型哺乳類群を比較する研究の中で使われてきました。

一方、人類の活動を調べるときには、人骨や石器などの資料が中心になります。同じ時期にある動物が生息していたことと、人類がその動物を利用したことは、それぞれ証拠を確かめます。利用を考える手掛かりには、骨の加工痕や解体に関わる傷、石器や遺構との位置関係などがあります。化石の名前に、出土した地層や人類の遺物を加えることで、環境と暮らしの関係を具体的に追えます。

スミソニアンの人類進化研究は、気候や植生が変動する環境で、人類がどのように対応してきたかを検討しています。森と草地の割合、水の得られる場所、動物群の変化は、食べ物や移動の条件に関わります。環境の変動への対応が人類進化に果たした役割は研究上の仮説であり、化石・考古資料と環境の記録を比較して確かめられています。

年代を読む|境界の位置と現象の年代幅

5000万年前、260万年前のように丸めた数字は、地球史の全体像をつかむのに便利です。詳しく確かめたいときは、国際年代層序表に示された数値と、基準となる地層の位置を合わせて見ます。第四紀の開始は、現在の表では2.58 Maと表記されています。
ヒマラヤの衝突開始や日本海拡大は、長い時間をかけて進んだ現象であり、年代に幅があります。共通の区分として定めた境界と、地質現象が進んだ年代幅を分けると、時間軸を整理しやすくなります。

離れた地域の地層を、同じ時刻へ合わせる火山灰

地層を重ねて読むと、原則として下の地層が先にでき、その上に後の堆積物が積もった順序が分かります。そこに広い範囲へ飛んだ火山灰が挟まっていれば、離れた地点どうしを結びつける手掛かりになります。同じ噴火で積もった層は、粒の大きさや厚さが場所ごとに異なっていても、同じ出来事の記録です。

産総研の解説では、火口の近くには大きな軽石が、遠くには細かな火山灰が積もる様子を説明しています。阿蘇4火山灰のように、日本の広い範囲へ分布する例もあります。広い地域で使える火山灰を「広域テフラ」と呼び、地層を対比する鍵層として利用します。研究では、含まれる鉱物や火山ガラスの性質なども比較して、同じ噴火のものかを検討します。

たとえば二つの遺跡で石器が見つかり、それぞれの上に同じ火山灰層があったとします。地層の順序が保たれ、その火山灰が最初に降った状態であれば、石器を含む層は噴火より前と考える手掛かりになります。ただし、地表にあった火山灰が後で運ばれて積もることもあるため、積もり方も調べます。これは年代の調べ方を示す仮定例です。

地磁気は磁場の履歴、化石は生物の変化、火山灰は噴火の出来事を記録します。研究者はこれらを重ね、放射性元素を用いた年代測定なども加えて、地層の順序と数値年代を対応させます。石器や化石が「いつ」の資料なのかは、そのものの形だけでなく、埋まっていた地層と周囲の記録を読むことで確かめられます。

まとめ

三問の答えは、ヒマラヤ山脈、弧状列島(島弧)、第四紀です。ヒマラヤはインドとユーラシアの衝突、日本列島の原型は中新世を中心とする日本海拡大、第四紀は約258万年前から現在までという時間軸で整理すると、三つの知識がつながります。
復習するときは、「約5000万〜4000万年前の衝突」「約2400万〜1500万年前の日本海拡大」「約258万年前の第四紀開始」という順に、何が変化したかを自分の言葉で説明してみてください。

参考資料