『醒睡笑』と仮名草子はなぜ広がった?1620年代の笑い・出版・知識の変化

大学受験歴史

問1(安楽庵策伝と『醒睡笑』)
1623年、浄土宗の僧である安楽庵策伝が京都所司代板倉重宗に捧げた、1000話におよぶ落とし話(笑話)を集めた書物は何ですか。この書物は後の「落語」の直接の祖とされています。

問2(仮名草子の流行)
江戸時代初期、木版印刷の普及によって町衆や庶民向けに出版された、仮名交じり文で書かれた娯楽・訓蒙的な小説・文学の総称を何といいますか。

解答
問1:『醒睡笑(せいすいしょう)』
問2:仮名草子(かなぞうし)

※年代については補足が必要です。『醒睡笑』は1623年に完成しましたが、板倉重宗への献呈は1628年です。答えは変わりませんが、完成年と献呈年は分けて覚えると正確です。

答えだけなら、『醒睡笑』と仮名草子の二語で終わります。しかし、この二問を並べてみると、江戸時代の初めに起きていた大きな変化が見えてきます。

大切なのは、「面白い話が集められたこと」と「それを読む人が広がったこと」を一緒に見ることです。話す文化、本を作る技術、読者の広がりが重なり、江戸の出版文化が育っていきました。

しかも1620年代に目を向けると、日本だけでなくヨーロッパでも、理想社会を文章にする人、心の問題を巨大な本にまとめる人、図書館のあり方を考える人が登場しています。世界が同じ原因で動いたわけではありませんが、「知識をどう残し、どう届けるか」が各地で目立つ時代だったのです。

なお、「1623年に『醒睡笑』を板倉重宗へ献呈した」と覚えると年代がずれます。1623年は完成、献呈は1628年。この五年差は今回いちばん先に直しておきたいポイントです。

まず答えを確認|『醒睡笑』と仮名草子は何が違う?

設問 答え 覚えるポイント
問1 『醒睡笑』 安楽庵策伝がまとめた笑話集。1623年完成、1628年献呈
問2 仮名草子 江戸初期に広がった、平易な仮名中心の読み物の総称

『醒睡笑』は一冊の具体的な書物です。一方の仮名草子は、一冊の題名ではなく、江戸時代初期に盛んになった幅広い読み物をまとめて呼ぶ言葉になります。

たとえるなら、「カレーライス」という一皿と「洋食」という大きな分類を同じものだと思わないのと似ています。歴史用語は、ときどき本の名前とジャンル名が同じページに並ぶので、少々いたずら好きです。

問1|『醒睡笑』は、なぜ「落語の祖」と結びつくのか

1623年に完成し、1628年に板倉重宗へ献呈された

『醒睡笑』をまとめた安楽庵策伝は、浄土宗の説教僧でした。京都の誓願寺で活動し、説教の名手として知られています。

『醒睡笑』は全8巻、42の項目に笑い話や逸話を分類した大規模な笑話集です。伝わっている広い形の写本には1039話が収められ、後に出版された短い形の版本では300話余りへ絞られました。

ここで年代を整理しましょう。策伝は1615年ごろから編集を進め、1623年、元和9年ごろにまとめ終えました。その後、1628年、寛永5年に京都所司代の板倉重宗へ献呈しています。

したがって答案では、単に「1623年=献呈」と結びつけるのではなく、1623年完成、1628年献呈と二段階にしておくと安心です。

策伝は、なぜ1000話もの笑い話を集めたのか

策伝の仕事は、現代の落語家とまったく同じだったわけではありません。もともとは仏教の教えを人々へ伝える説教僧です。

難しい教えを延々と聞かされても、人はなかなか頭に入りません。そこで説教の途中に身近な逸話や笑える話を交え、最後に「落ち」をつければ、人は話を覚えやすくなります。笑いは目的であると同時に、話を伝える方法でもあったわけです。

策伝は長い人生で聞いた話、各地の逸話、僧侶の話、戦国武将にまつわる話、書物から得た説話などを蓄積していきました。京都所司代の板倉重宗も策伝の話を聞き、それを書物にまとめるよう求めたと伝えられています。

言ってみれば、説教で使ってきた「話の引き出し」を巨大な一冊へ整理したようなものです。千を超える話となれば、引き出しというより、もう倉庫に近いですね。

「落語の直接の祖」は、少し丁寧に考えたい

『醒睡笑』には、話の終わりに意外な結末や笑いを置く「落し噺」の形をもつものが数多くあります。策伝自身も説教の場でこうした話を使っていたため、後世には「落語の祖」と呼ばれるようになりました。

ただし、1623年に現在の寄席落語がそのまま完成したわけではありません。現在知られる落語文化は、その後の噺本、口演、寄席など長い変化を経て形成されました。

『醒睡笑』は後世の笑話や落語へ強い影響を与え、策伝は「落語の祖」と呼ばれる、と覚えるのが分かりやすいでしょう。

問2|仮名草子とは、どんな読み物だったのか

答えは仮名草子|一冊の本ではなく江戸初期の文学ジャンル

問2の答えは仮名草子です。

国文学研究資料館では、幕府成立のころから1682年に井原西鶴の『好色一代男』が登場するころまでに書かれた小説・随筆類を、仮名草子として説明しています。

「仮名」という名前から、全部ひらがなだけで書かれた本を想像するかもしれません。しかし大切なのは、漢文を読める一部の知識人だけを相手にせず、より平易な文章で読める世界が広がったことです。

内容も一種類ではありません。教訓を伝える本、中国の物語を翻案した作品、怪異を扱う物語、軍記、名所案内、見聞記など、かなり幅があります。

「仮名草子=恋愛小説」のように一つの内容へ固定すると外してしまいます。棚一段では収まりにくい、江戸初期の多彩な読み物のまとまりだと考えてください。

印刷の普及が「読む人」を増やした

仮名草子が広がった背景には、出版文化の成長があります。ただし、「江戸時代になった瞬間から木版印刷だけが一気に広まった」と覚えるのは少し単純すぎます。

慶長から元和期には、一文字ずつ活字を組む古活字版も盛んでした。その後、17世紀半ばになると、一枚の板へ文字や絵を彫る整版、つまり木版による出版が主流になっていきます。

木版は同じ版木から繰り返し刷れるうえ、文字と挿絵を一つの面に組み合わせやすい利点がありました。商業出版が発達するにつれ、本は寺院や貴族の蔵書だけでなく、都市の読者へ売る商品としての性格を強めていきます。

仮名草子の流行を「木版印刷だけが原因」と考える必要はありません。出版業者の成長、都市の発達、読み書きをする人々の広がりなどが重なった中で、平易な読み物が求められたと見るほうが自然です。

仮名草子から浮世草子へ|読者の関心も変わっていく

仮名草子には教訓的な作品が多い一方、世の中の出来事、都市生活、怪談、旅、男女の物語など、読者の「面白いものを読みたい」という気持ちに応える作品も増えました。

そして1682年、井原西鶴の『好色一代男』が刊行されると、近世小説は浮世草子と呼ばれる新しい展開へ進んでいきます。

ここで見えてくるのは、江戸文化が突然、元禄時代になって華やかになったのではないということです。その前の17世紀前半から、出版する人、売る人、読む人が少しずつ厚くなっていました。

『醒睡笑』と仮名草子を同じ問題に置く意味も、そこにあります。一方では人から人へ語られてきた笑いが書物へ集められ、もう一方では印刷された平易な読み物が広い読者へ届いていったのです。

同じ1620年代、ヨーロッパでは何が本になっていたのか

ここから少し視野を広げます。京都で『醒睡笑』が完成した1623年前後、ヨーロッパでも「知識を文章にして残す」大きな仕事が続いていました。

年代 出来事 見えてくるテーマ
1621年 ロバート・バートンが『憂鬱の解剖』を刊行 心身の問題を大量の知識から考える
1623年 京都で『醒睡笑』が完成 語られてきた笑話を集成する
1623年 カンパネッラの理想社会論がラテン語版で刊行 社会の仕組みそのものを想像する
1627年 ガブリエル・ノーデが図書館についての著作を刊行 本を集め、分類し、利用できるようにする
1628年 『醒睡笑』が板倉重宗へ献呈 笑話集が一つのまとまった書物として伝わる

これらに直接の因果関係があるわけではありません。策伝がバートンを読み、ノーデが京都の出版事情を研究した、という話でもないのです。

それでも時間軸へ並べると、17世紀前半には各地で、ばらばらに存在する知識や経験を「集める」「分類する」「出版する」という行動が目につくことが分かります。

1623年|カンパネッラは獄中の構想を理想社会として描いた

イタリアのドミニコ会修道士トマーゾ・カンパネッラは、政治・宗教上の事件によって長期の投獄生活を送りました。その中で理想社会を描く著作を書き、ラテン語版が1623年にフランクフルトで出版されます。

そこに描かれた都市では、財産を個人で抱え込むのではなく、多くのものを共同で持ち、仕事や教育まで社会全体で組織します。都市の壁にはさまざまな学問の絵が描かれ、知識を視覚的に学ぶ仕組みまで考えられていました。

後世には共産主義思想の先駆として紹介されることもありますが、現代の政治思想をそのまま17世紀へ当てはめるのは注意が必要です。カンパネッラ自身は、宗教、自然哲学、政治を組み合わせながら理想社会を考えていました。

京都では人間のおかしさを集め、フランクフルトでは理想の人間社会を本にする。同じ1623年でも、ずいぶん振れ幅があります。人間という生き物は、笑い話にも理想国家にもなるようです。

1621年|バートンは「メランコリー」を巨大な知識の集成にした

イングランドの学者ロバート・バートンは1621年、『憂鬱の解剖』をオックスフォードで刊行しました。

題名にある「メランコリー」は、現代の医学でいう一つの病名へ単純に置き換えられる言葉ではありません。当時の医学、哲学、宗教、文学などを使いながら、人間が憂鬱になる原因、症状、対処について膨大な引用と考察を積み重ねた本です。

興味深いのは、一つの専門分野だけで答えを出そうとしていない点でしょう。古代の著者から同時代の知識まで大量に集め、一つのテーマを何方向からも眺めています。

策伝が各地で聞いた話や書物から笑話を集めたのとは目的が違います。それでも「散らばった知識を集め、読める形へ組み直す」という点では、同じ時代らしい姿が見えてきます。

1627年|ノーデは「本を持つ」だけでなく「使える図書館」を考えた

フランスのガブリエル・ノーデは1627年、図書館をどのように作るべきかを論じた著作をパリで出版しました。

ノーデが重視したのは、珍しい本を持って所有者が自慢することではありません。さまざまな分野や立場の書物を集め、分類し、知識を利用できる形へ整えることでした。

この著作は、近代的な図書館運営を体系的に論じた最初期の本格的著作として評価されています。また、図書館を一部の特権階級だけの飾りではなく、知識を社会で利用するための場として考える公共性も注目されてきました。

本を増やした結果、今度は「どこに何があるのか分からない」という問題が出てくる。情報が増えると整理が必要になるのは、紙の本でも検索画面でも変わりません。四百年前から、情報整理はなかなか終わらない仕事だったようです。

カリッシミとオラトリオ|1620年代と断定するには少し早い

同じ17世紀の文化として、イタリアの作曲家ジャコモ・カリッシミも覚えておくと時代像が豊かになります。ただし、年代には注意してください。

カリッシミは1620年代に音楽家として活動し、1628年から1629年にはアッシジ、1629年末にはローマのコッレージョ・ジェルマニコで職務に就いています。

しかし、現在「オラトリオ」と呼ばれる宗教音楽の形式が目立ってくるのは主に1630年代以降で、カリッシミがその形式を成熟させた活動も1630〜40年代以降を中心に見るほうが正確です。

したがって、「カリッシミが1620年代にオラトリオを確立した」と年号まで固定するのは避けたほうが安全です。1620年代末にローマでの活動基盤を築き、その後のオラトリオ発展を代表する作曲家になった、と流れで理解してください。

1620年代を「知識が形になる時代」として見る

ここまでの出来事を一つの原因で説明することはできません。江戸日本の出版、イタリアの政治思想、イングランドの学問、フランスの図書館論には、それぞれ別の社会的背景があります。

ただし、比較のための共通軸は作れます。それが「知識や経験を集め、整理し、他人へ渡せる形にする」という動きです。

策伝は、口頭で語ってきた笑話を集めました。仮名草子の出版者は、より平易な文章を本として読者へ届けます。バートンは大量の古今の知識を一つのテーマへ集め、カンパネッラは理想社会を文章化しました。ノーデは、その増えていく本をどう集め、分類し、使えるようにするかを考えます。

ここから「世界で同時に情報革命が起きた」とまで言うのは大げさです。一方で、17世紀前半を戦争や将軍の名前だけで覚えるより、人々が何を読み、何を書き、どう知識を残そうとしたかを見ると、時代の立体感はかなり増します。

試験で混同しやすい5つのポイント

1.1623年は『醒睡笑』の完成年です。
板倉重宗への献呈は1628年なので、二つの年を分けます。

2.写本と版本では収録話数が違います。
広い形の写本では1039話が知られますが、出版された短い形の版本では300話余りです。「どの本でも必ず1039話」と考えないようにしましょう。

3.「落語の祖」は、現在の落語が1623年に完成したという意味ではありません。
策伝の笑話や語りが後世へ大きな影響を与えたことから使われる呼び方です。

4.仮名草子は一作品の題名ではありません。
江戸初期の平易な娯楽・教訓的読み物などを含む大きな分類です。

5.江戸初期の印刷を木版だけで説明しないほうが正確です。
慶長・元和期には古活字版も盛んで、その後、17世紀半ばから整版による出版が主流になりました。

FAQ|答案ではどこまで覚えればよい?

『醒睡笑』は仮名草子なのですか?

資料によって分類の仕方に幅があります。仮名草子として扱う辞典もありますが、笑話本・噺本として説明する資料も多くあります。試験で『醒睡笑』そのものを問われた場合は「安楽庵策伝による笑話集」と押さえておけば混乱しにくいでしょう。

「1000話」と「1039話」はどちらを覚えればよいですか?

概数を問う説明なら「1000話余り」で十分です。より詳しく覚えるなら、広本と呼ばれる写本系統に1039話が収められている、と整理してください。

仮名草子は小説だけですか?

小説だけではありません。教訓書、随筆、翻訳・翻案、怪異物、軍記、名所案内、見聞記など内容は多彩です。「江戸初期の平易な読み物の大きなまとまり」と考えると理解しやすくなります。

カリッシミは1620年代の人物として覚えてよいですか?

人物そのものは1620年代から活動しています。ただし、オラトリオの成熟を1620年代に固定するのは早すぎます。1629年にローマで活動基盤を築き、その後の17世紀中頃にオラトリオを代表する作曲家になった、と時間の幅を持たせてください。

まとめ|笑いが本になり、本を読む社会が育っていった

今回の答えは、問1が『醒睡笑』、問2が仮名草子です。

『醒睡笑』は安楽庵策伝がまとめた大規模な笑話集で、1623年に完成し、1628年に板倉重宗へ献呈されました。説教で使われた笑いと「落ち」を含む話が数多く残され、策伝は後世「落語の祖」と呼ばれています。

仮名草子は、江戸初期に広がった平易な読み物の総称です。古活字版や木版による出版文化が成長し、都市の読者が広がる中で、教訓から怪談、翻案、名所案内まで多彩な本が作られました。

そして同じ1620年代には、ヨーロッパでもバートン、カンパネッラ、ノーデらが、人間の心、理想社会、図書館という別々の問題を「本」という形へまとめています。

二問を覚えるときは、「1623年に笑話集が完成した」→「出版文化の成長で平易な読み物が広がった」→「同時代の世界でも知識を集め、整理し、届ける試みが進んだ」という順で思い出してみてください。

答えを二語だけ暗記するより、「誰が、何を集め、誰へ届けようとしたのか」まで説明できれば、1620年代はずっと忘れにくくなります。

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参考資料