EU・SDGs・第一次オイルショック|3つの問題から学ぶ「国境を越える現代史」

大学受験歴史

問題1:1993年、マーストリヒト条約の発効によって発足した、ヨーロッパの経済・政治統合を推進する国際組織は何ですか?

問題2:2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」が掲げている、共通の理念を表す「誰一人……」から始まるキーワードは何ですか?

問題3:1973年に勃発した第四次中東戦争をきっかけに発生し、日本を含む世界経済に大きな打撃を与え、日本の高度経済成長が終わる大きな転機となった出来事は何ですか?

答えは、問題1がヨーロッパ連合(EU)、問題2が「誰一人取り残さない」、問題3が第一次オイルショック(第一次石油危機)です。

3問をつなぐ鍵は、「国は独立していても、一国だけでは処理しにくい問題が増えた」という現代史の変化です。ヨーロッパでは戦争を繰り返さないために統合が進み、SDGsでは貧困や格差、環境などを世界共通の課題として扱います。第一次オイルショックは、中東の政治と資源問題が日本の物価や産業へ届くほど、世界経済が結びついていたことを示しました。

ただし、この3つが一直線の原因と結果で結ばれているわけではありません。年代も制度も別です。ここでは「統合」「包摂」「相互依存」という三つの角度から、国境を越える現代社会の姿を読み解きます。

問題1の答えはEU|戦後ヨーロッパは「共同管理」から統合を進めた

問題1の答えはヨーロッパ連合(EU)です。マーストリヒト条約、正式には欧州連合条約は1992年2月7日に署名され、1993年11月1日に発効しました。これによってEUという新しい枠組みが始まり、経済だけでなく政治面を含む統合が一段深まりました。

1950年代の出発点は石炭と鉄鋼の共同管理だった

第二次世界大戦後のヨーロッパには、フランスと西ドイツをはじめとする国々が再び大規模な戦争へ向かわない仕組みをどう作るか、という重い課題が残りました。1950年、フランス外相ロベール・シューマンは石炭と鉄鋼の生産を共同管理する構想を示します。

1951年にはフランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6か国が条約に署名し、1952年にヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が動き始めました。石炭は重要なエネルギー源、鉄鋼は工業にも軍備にも欠かせない資源です。そこを共同管理することで、経済協力と同時に、戦争をしにくい関係を制度として作ろうとしたのです。

「仲良くしましょう」という宣言だけでなく、戦争を支える基礎資源まで共同で扱ったところに、戦後ヨーロッパ統合の特徴があります。

EECからEUへ|市場統合に政治的な協力が重なった

1957年にはローマ条約が署名され、1958年にヨーロッパ経済共同体(EEC)が発足しました。協力の対象は石炭と鉄鋼に限らず、より広い経済活動へ広がっていきます。

現在のEU単一市場では、商品・サービス・人・資本の自由な移動が基本とされています。国境を越えて働く、学ぶ、商売をする、投資するといった活動をしやすくするため、加盟国は共通のルールを整えてきました。

その流れをさらに進めたのがマーストリヒト条約です。EU市民という考え方、共通外交・安全保障政策、司法・内務分野の協力など、統合は「市場を作る」だけでは収まらなくなりました。

EUと国際連合(国連)は、どちらも複数の国が参加しますが制度は同じではありません。国連は主権平等の加盟国が国際的な問題を話し合い、協力する世界規模の組織です。一方、EUでは条約に基づく分野で共通法を作り、EUの「規則」のように加盟国で直接適用される法令もあります。独立国家を残しながら、加盟国の政策や法律へより深く共通ルールが入る分野があることがEUの特徴です。

ユーロ圏とEU離脱|統合の範囲は一様ではない

2026年9月13日の確認時点で、EUの加盟国は27か国、ユーロを公式通貨とするEU加盟国は21か国です。ブルガリアが2026年1月1日にユーロを導入し、ユーロ圏の21番目の国になりました。

EU加盟国とユーロ導入国は一致しません。「EU=ユーロを使う国々」と丸ごと覚えないことが重要です。

統合には利益だけでなく調整も伴います。イギリスは2016年の国民投票でEU離脱を選び、2020年1月31日にEUを離れました。ユーロを導入する国としない国があり、EUそのものから離脱した国もあることから、ヨーロッパ統合の範囲や深さは一様ではないと分かります。

問題2の答えは「誰一人取り残さない」|SDGsは全ての国に関わる2030年の目標

問題2の答えは「誰一人取り残さない」です。英語では「Leave no one behind」と表され、2030アジェンダを貫く中心的な約束として位置づけられています。

2015年9月25日、国連総会は「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択しました。そこには17の持続可能な開発目標(SDGs)と169のターゲットがあります。ターゲットとは、各目標を具体化した到達項目のことです。SDGsは2030年までの達成を目指す世界共通の目標で、開発途上国だけでなく先進国を含む全ての国に関わります。

「持続可能」とは、現在の必要を満たしながら、将来世代が自分たちの必要を満たす可能性を損なわないという考え方です。いまの便利さや成長だけを見るのではなく、将来世代へ過大な環境負担を残さない視点も含まれます。

SDGsの前身、MDGsは8つの目標を掲げた

SDGsには前身があります。2000年代の国際社会では、ミレニアム開発目標(MDGs)が極度の貧困、初等教育、乳幼児死亡、感染症などの課題に取り組みました。MDGsは8つの目標を掲げ、2015年を期限として進められました。

SDGsはその成果と残された課題を引き継ぎながら、対象と論点を広げました。貧困や飢餓だけでなく、健康、教育、ジェンダー平等、水、エネルギー、雇用、産業、格差、都市、消費と生産、気候変動、海や陸の環境、平和、国際協力まで含みます。

しかも、これらは別々の箱ではありません。たとえば、干ばつで収穫が減ったと仮定すれば、食料価格が上がり、家計を圧迫し、生活が苦しくなった家庭では教育を続けることが難しくなる場合も考えられます。これは特定の国の実例を示したものではなく、環境、食料、貧困、教育が相互につながりうることを理解するための例です。

「誰一人取り残さない」は平均値だけを見ない考え方

ある国全体で就学率や所得が改善しても、特定の地域や集団だけが改善から取り残されているなら、社会全体の平均だけでは見えません。「誰一人取り残さない」という理念は、誰に成果が届いていないのかを確かめ、差別や排除、不平等にも目を向ける考え方です。

こうした考え方は包摂(ほうせつ)とも結びつきます。包摂とは、立場や条件の違う人を社会から排除せず、ともに参加できるようにすることです。

SDGsの特徴は、「環境にやさしくする17項目」ではなく、経済・社会・環境を結びつけ、全ての国が2030年へ向けて取り組む共通目標であることです。

また、SDGsそのものは世界政府が各国民を直接処罰する法律ではありません。国際社会が共有した目標であり、各国政府だけでなく、企業、自治体、市民社会なども実施に関わります。ロゴを掲げれば自動的に達成したことになる、という仕組みでもありません。大切なのは、目標と実際の行動を分けて見ることです。

問題3の答えは第一次オイルショック|中東の危機が日本経済へ波及した

問題3の答えは第一次オイルショック(第一次石油危機)です。1973年10月に第四次中東戦争が始まると、アラブ産油国による原油価格の引き上げや輸出制限などを通じて、石油輸入国へ大きな衝撃が広がりました。

当時の日本は一次エネルギー、つまり石油・石炭・天然ガスなど、電気などへ転換される前のもとになるエネルギーの供給の77%を石油に依存し、その石油の8割近くを中東から輸入していました。日本から遠い中東の政治情勢が、国内の工場、輸送、物価、家庭の暮らしへ直結したのは、この高い石油依存があったからです。

高度経済成長は1950年代後半から1970年代初めに続いた

日本の高度経済成長の区切り方には資料によって多少の幅があります。内閣府は1955年以降70年代前半までを「いわゆる高度成長の時代」と整理しており、大づかみにいえば1950年代後半から1970年代初めにかけて高い成長が続きました。

この時期には、鉄鋼、石油化学、自動車、電機などの産業が伸び、道路網や物流も発達しました。その成長を支えた重要なエネルギーが、海外から大量に輸入する石油です。

石油価格が上がると、ガソリン代だけでなく、工場の燃料、発電、石油由来の原材料、船やトラックによる輸送など、経済のさまざまな場所で費用が増えます。産油地から日本の店頭価格まで、何段階もの取引を通じて影響が伝わったわけです。

トイレットペーパー騒動は「紙の原料が石油だから」ではない

第一次オイルショック期の日本では、トイレットペーパーの買いだめと品薄が象徴的な出来事として知られています。しかし、「石油が足りないから紙そのものを作れなくなった」という単純な話ではありません。

物不足や値上がりへの不安が広がると、人々は「今のうちに買っておこう」と動きます。一斉の買いだめは、店頭の品薄をさらに目立たせます。歴史を学ぶときは、資源の供給量だけでなく、将来への不安が消費行動を変え、社会現象を大きくすることも見ておきたいところです。

高度経済成長は石油危機だけで終わったのか

学校では「第一次オイルショックを境に高度経済成長が終わった」と整理します。大きな転機であることは確かですが、原因を一つに絞ると歴史の流れを狭く見てしまいます。

1970年代前半には、すでに公害などの環境問題が深刻化し、国際通貨体制は固定相場制から変動相場制へ移り、日本の貿易をめぐる摩擦も表面化していました。そこへ石油危機による原油価格の急騰とインフレーション、つまり物価が全般的・継続的に上がる状態が重なり、日本経済は大きな打撃を受け、その後の成長率は鈍化します。

「石油危機だけが高度経済成長を終わらせた」とするより、すでに進んでいた内外の変化に石油危機が重なり、成長路線の転換を決定づけたと理解するほうが適切です。

危機の後は省エネルギーとエネルギー源の多様化が進んだ

第一次石油ショックで石油依存の弱点が見えたため、日本では省エネルギーとエネルギー源の多様化が強く意識されるようになりました。石油に代わるエネルギーとして天然ガス、石炭などの導入が進み、企業も少ないエネルギーで生産する技術を求めます。

なお、第二次石油ショックは1979年のイラン革命による石油生産の中断などを背景に起こりました。問題文は「1973年」「第四次中東戦争」が手掛かりですから、答えは第一次オイルショックと判断できます。

3問を比べると「統合・包摂・相互依存」が見える

EU、SDGs、第一次オイルショックは、同じ制度や出来事ではありません。ここでいう相互依存とは、国や地域が資源、貿易、制度などを通じて互いの動きから影響を受ける関係のことです。先ほど見た包摂と合わせて、三つのテーマを同じ軸で比べてみましょう。

EU・SDGs・第一次オイルショックを同じ軸で比較
テーマ 中心となる問題 国境を越えた動き 理解の軸
EU 戦争と国家間対立 各国が制度の一部を共同で運営する 統合
SDGs 貧困・格差・環境など 全ての国が共通目標を共有する 包摂
第一次オイルショック 資源と国際政治 中東の危機が世界経済へ波及する 相互依存

国境を越えるつながりは、共同の制度や目標を作る力にもなれば、ある地域の危機を遠くへ伝える経路にもなります。現代史を学ぶときは、「世界がつながったから良くなった」「つながったから危険になった」と一方向に決めず、つながりが何を可能にし、どのような弱点も生んだのかを見ると理解が深まります。

年号は「動詞」と組み合わせると記憶に残りやすい

年号だけでは数字が孤立しやすいので、「何が動いた年か」を一緒に覚えてみてください。1993年はEUが「統合を広げる」、2015年は世界がSDGsという「共通目標を決める」、1973年は石油危機が「世界へ波及する」です。

さらに一つ前の出来事を付ければ、流れが見えます。EUの前にはECSCやEECによる戦後統合、SDGsの前にはMDGs、第一次オイルショックの直前には第四次中東戦争があります。年号は住所の番地のようなもので、前後の道が分かるとたどり着きやすくなります。

まとめ

3問の答えは、EU、「誰一人取り残さない」、第一次オイルショックです。

3つは直接の原因と結果ではありませんが、国境を越える問題への向き合い方を考える材料になります。共同の制度を作ること、取り残される人を減らす共通目標を持つこと、遠くの資源危機が国内へ波及することは、いずれも国家だけでは完結しない現代社会の特徴です。

復習するときは答えを隠し、「なぜ国境を越える問題になったのか」をそれぞれ一文で説明してみてください。そこまで言えれば、用語と年号を現代史の流れとして捉えられます。

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参考資料