1985年の日本は何が変わった?プラザ合意・男女雇用機会均等法・NTT/JT民営化

大学受験歴史

問題1:1985年にニューヨークのプラザホテルでG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)が開催され、アメリカの輸出競争力を高めるためにドル高を是正する協調介入に合意したことを何といいますか?

問題2:1979年に国連で採択された「女子差別撤廃条約」を批准するため、日本で1985年に制定された、雇用における男女の均等な待遇の確保などを目的とした法律は何ですか?

問題3:1985年、中曽根康弘内閣が進めた行政改革(民営化)によって、それまでの「日本電信電話公社」と「日本専売公社」は、それぞれ現在の何という会社になりましたか?

問題2の「1985年に制定」は学習上よく使われる表現ですが、法令上は1972年の勤労婦人福祉法を1985年に大きく改正・改称したもので、施行は1986年4月1日です。また問題3は、1985年当時の会社名と現在の商号を分けて考えると正確です。

3問の答えは、プラザ合意、男女雇用機会均等法、NTTとJTにつながる公社民営化です。ただし、同じ1985年に起きたからといって、三つの出来事が一本の因果関係で結ばれているわけではありません。

1985年は、国際経済では為替調整、雇用では男女平等に向けた制度整備、行政では公社の民営化が同時期に進んだ年として捉えると、時代の姿が見えやすくなります。以下では、「何が変わったのか」を三つの方向から整理します。

3問の答えと、何が変わったのかを先に整理

問題 答え 変化の軸 押さえる点
1 プラザ合意 為替・国際経済 ドル高是正をめざすG5の政策協調
2 男女雇用機会均等法 雇用・社会制度 女子差別撤廃条約の批准に向けた国内法制整備の一つ
3 日本電信電話株式会社、日本たばこ産業株式会社 行政改革・産業 日本電信電話公社と日本専売公社を民営化

この表で大切なのは、出来事の名前を一列に暗記することではありません。プラザ合意は国際的な通貨調整、男女雇用機会均等法は雇用制度、公社民営化は行政と産業の仕組みというように、別の分野で進んだ変化を同じ年の断面として見ることです。

プラザ合意は、ドル高を修正するための国際協調だった

1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルに日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランスの財務当局・中央銀行の代表が集まりました。G5(Group of Five、主要5カ国)の会議で合意されたのがプラザ合意です。

当時はドルが高い状態にあり、アメリカは大きな経常収支赤字を抱えていました。合意では、ドル以外の主要通貨がドルに対して秩序ある形で上昇することが望ましいとの認識が共有され、各国が協調して為替相場の調整に動きました。日本から見れば、その後の大幅な円高・ドル安につながる転換点です。

円高は「1ドル何円」の数字が小さくなる

円高と円安は、数字だけを見ると向きを取り違えやすいところです。たとえば1ドル240円から200円へ動くと、1ドルと交換するのに必要な円が少なくなります。これは円の価値が上がった状態なので円高です。

円高になると、海外から見た日本製品の価格が上がりやすく、輸出企業には不利に働く場合があります。一方、ドル建ての輸入品は円換算で安くなりやすいという面もあります。為替は「数字が大きいか小さいか」ではなく、どちらの通貨の価値が相対的に上がったのかで判断します。

プラザ合意からバブルまでは、一本の原因ではない

プラザ合意後、日本では円高が急速に進み、輸出の減少などから景気が鈍化しました。日本銀行は1986年に公定歩合を相次いで引き下げ、その後も低金利が続きます。1980年代後半には株価や地価が大きく上昇し、バブル経済が膨らみました。

ただし、「プラザ合意がバブルを起こした」と一つの原因だけで説明するのは不正確です。金融緩和、銀行融資、不動産取引、資産価格上昇への期待など、複数の要因が重なっています。プラザ合意は、その後の政策対応を考える重要な転換点として位置づけるのが適切です。

男女雇用機会均等法は、条約批准へ向けた国内制度整備の一つ

問題2の答えは男女雇用機会均等法です。国連総会は1979年12月18日に女子差別撤廃条約を採択し、日本は1985年6月25日に批准しました。批准とは、国として条約に拘束される意思を正式に確定する手続です。

日本では批准に向け、国籍法の改正、雇用分野の法整備、家庭科教育の見直しなどが進められました。男女雇用機会均等法につながる1985年の法改正も、その国内条件整備の一つです。

「1985年制定、1986年施行」を少し丁寧に理解する

学習用には「1985年に男女雇用機会均等法が制定され、1986年に施行」と整理されることが多くあります。ただ、法令の沿革をたどると、もとの法律は1972年公布の勤労婦人福祉法です。1985年6月の改正で内容が大きく組み替えられ、法律名も男女の雇用機会均等を掲げるものへ改められました。施行日は1986年4月1日です。

この区別を知っておくと、「1985年」という年号と「1986年から実際に施行」という時系列を混同しません。歴史では、法律の成立・公布・施行が同じ日とは限らないため、ここはよい練習になります。

当初の法律は、現在の内容と同じではない

男女雇用機会均等法は、その後も改正されてきました。したがって、現在の規定をそのまま1985年当時へさかのぼらせて考えるのは避けたほうが安全です。1985年の意味は、雇用における男女の機会と待遇の均等を法律の中心課題として明確にした転換にあります。

条約と国内法の関係も分けて覚えます。1979年に国連で採択された国際条約が女子差別撤廃条約、日本国内で雇用分野を整備した法律が男女雇用機会均等法です。名前が似ているわけではないので、役割で結びつけるほうが記憶に残ります。

1985年の民営化で、電電公社と専売公社は株式会社になった

問題3では、日本電信電話公社日本専売公社の変化を押さえます。1985年4月、日本電信電話公社は民営化されて日本電信電話株式会社となり、日本専売公社の事業・資産を引き継ぐ形で日本たばこ産業株式会社が設立されました。

民営化とは、国や公的組織が担ってきた事業を株式会社など民間の仕組みに移すことです。ここでは単なる社名変更ではなく、事業を運営する制度そのものが変わったと理解する必要があります。

1985年の会社名と、現在の商号を分ける

日本電信電話公社から1985年に発足した会社は日本電信電話株式会社です。その会社は2025年7月1日に商号をNTT株式会社へ変更しました。したがって、1985年の出来事を答えるなら「日本電信電話株式会社」、現在の正式な商号を答えるなら「NTT株式会社」と時点を分けます。

日本専売公社から1985年に発足した会社は日本たばこ産業株式会社で、現在もこの商号です。なお、「JT」というコミュニケーション・ネームの導入は1988年なので、1985年の設立時点から「JT」という呼称だったと考えるのは正確ではありません。

三つを並べると、1985年の日本の「変化の方向」が見える

出来事 主な背景 1985年前後に起きた変化 理解のしかた
プラザ合意 ドル高と国際収支の不均衡 ドル安・円高方向への政策協調 国際経済の変化
男女雇用機会均等法 女子差別撤廃条約批准に向けた国内整備 雇用分野の男女均等を法制度の中心課題へ 社会制度の変化
電電公社・専売公社の民営化 1980年代の行政改革 公社から株式会社へ 行政・産業の仕組みの変化

この三つは、互いに直接の原因と結果ではありません。けれども同じ1985年の出来事として並べると、日本が国際経済への対応、働く仕組みの見直し、公的事業の再編を同時期に進めていたことが分かります。

社会人の学び直しでは、「年号+答え」だけで終えず、何が、どの分野で、どう変わったのかを一文で言えるようにすると理解が安定します。たとえば「プラザ合意は為替」「均等法は雇用」「民営化は行政・産業」と分類してから、それぞれの背景を戻していく方法です。

まとめ:1985年は為替・雇用・行政改革を分けて結びつける

1985年を理解する鍵は、三つの出来事を無理に一本の因果関係へまとめないことです。プラザ合意はドル高是正へ向けた国際協調、男女雇用機会均等法は女子差別撤廃条約の批准に向けた国内制度整備の一つ、電電公社と専売公社の民営化は公的事業の運営の仕組みを変える改革でした。

そのうえで、プラザ合意後の円高と金融緩和が1980年代後半のバブル形成を考える重要な背景になったこと、均等法は1986年施行であること、NTTは2025年に現在の商号へ変わったことまで押さえると、年号暗記から一段進んだ説明ができます。

参考資料