三十年戦争が終わり、大名が江戸へ通い、法が王を縛った|17世紀の国家づくり

大学受験歴史

問題1:17世紀前半、ドイツ(神聖ローマ帝国)を主な舞台として起きた「三十年戦争」を終結させ、主権国家による国際社会が成立する契機となった1648年の講和条約は何ですか?

問題2:1635年(寛永12年)、第3代将軍・徳川家光が「武家諸法度」を改訂(寛永令)した際、大名に対して正式に制度として義務づけたものは何ですか?

問題3:17世紀前半、中世の法学者の「国王といえども神と法の下にある」という趣旨の言葉を引用して、国王の権力も法に従うべきだと示したイギリスの法学者は誰ですか?

答えから確認すると、問題1はウェストファリア条約(ウェストファリア講和)、問題2は参勤交代、問題3はエドワード=コーク(Sir Edward Coke)です。

3つとも17世紀の出来事ですが、同じ種類の制度ではありません。ウェストファリア講和はヨーロッパの戦争と国際秩序、参勤交代は江戸幕府と大名の関係、コークはイングランドでの国王と法の関係にかかわります。

試験では3つを別々に答えられることが第一ですが、「誰の権力を、どの関係の中で位置づけたのか」と比べると記憶がつながります。

3問の答えを先に整理

問題 答え 何を押さえる問題か
問題1 ウェストファリア条約 三十年戦争の終結とヨーロッパの国際秩序
問題2 参勤交代 江戸幕府による大名統制
問題3 エドワード=コーク 国王と法の関係、法の支配

ここで一つだけ注意があります。「17世紀には世界中で同じ政治思想が広がり、3つの制度が生まれた」という話ではありません。それぞれ背景も仕組みも異なり、直接の因果関係があるわけでもないからです。

「17世紀の権力」という共通軸は、3問を比較して覚えるための整理方法として使い、歴史上の出来事を一つの原因で結びつけないようにしてください。

問題1の答えはウェストファリア条約

問題1の決め手は、「三十年戦争」「1648年」「神聖ローマ帝国」という組み合わせです。これらがそろえば、答えはウェストファリア条約と判断できます。

三十年戦争は宗教対立だけでは説明できない

三十年戦争は1618年から1648年まで、神聖ローマ帝国を中心に続いた戦争です。発端を理解するうえでは、カトリックとプロテスタントをめぐる宗教対立が欠かせません。

ところが戦争が長期化すると、各国・諸侯の政治的な利害も強く絡むようになります。分かりやすい例がフランスです。フランス王権はカトリックでしたが、ハプスブルク家との勢力関係から、ハプスブルク側と対立しました。

ですから、「カトリック対プロテスタント」という二色だけで戦争全体を塗り分けると、途中から少々苦しくなります。宗教対立から始まりながら、国際政治上の利害が重なった大規模な戦争として押さえるほうが実態に近づきます。

1648年の講和で何が変わったのか

1648年、ミュンスターとオスナブリュックで結ばれた一連の講和が、一般にウェストファリア講和と呼ばれます。これによって三十年戦争は終結しました。

教科書や試験では、ウェストファリア条約を主権国家体制成立の契機として扱うことがあります。日本の公的な試験資料でも、1648年のウェストファリア条約を主権国家から成る国際社会の成立と結びつけた出題例があります。

では、「1648年10月24日に現代と同じ主権国家体制が突然完成した」と理解してよいのでしょうか。ここは歴史を少し丁寧に見る必要があります。

近年までの国際関係史研究では、ウェストファリア講和を現代的な主権・国家平等・内政不干渉の原則が一度に誕生した出来事として説明することには、強い留保も示されています。実際の条約文は、神聖ローマ帝国内の諸身分の権利や宗教問題、領土、同盟権などを具体的に調整した内容です。

試験では「三十年戦争の終結」「1648年」「主権国家体制の成立・確立の契機」という結びつきを押さえつつ、歴史研究では変化を長い過程として見る、と分けて理解すると正確です。

問題文ではこの3語を拾う

  • 1618年~1648年=三十年戦争
  • 1648年=ウェストファリア講和
  • 主権国家体制=教科書上、ウェストファリア講和と結びつけて問われやすい

問題文の表現が「三十年戦争を終わらせた講和」でも、「主権国家から成る国際社会の成立に関係する講和」でも、同じ用語へたどり着けるようにしておくと強いでしょう。

問題2の答えは参勤交代

問題2には、「1635年」「徳川家光」「武家諸法度の改訂」という三つの手がかりがあります。ここから導く答えが参勤交代です。

1635年の武家諸法度で制度として明文化された

武家諸法度は、江戸幕府が大名を統制するための基本的な法令です。最初の武家諸法度は1615年に出され、その後、将軍の代替わりなどに応じて改訂されました。

国立国会図書館で確認できる「武家諸法度写」には、寛永12年(1635年)6月21日という年代が記録されています。家光期の寛永令では、諸大名の参勤について規定が置かれました。

試験で「徳川家光が1635年の武家諸法度で大名に義務づけた制度は何か」と聞かれれば、参勤交代と答えます。

参勤交代は何をする制度だったのか

大名は江戸へ参勤し、国元との間を往来しました。江戸東京博物館も、大名が参勤交代の際に行列を組み、江戸と国許を行き来したことを説明しています。

ここで覚えたいのは、「大名行列をする制度」という外見だけではありません。参勤には、将軍への奉仕や服属関係を示す政治的な意味がありました。

また、移動には家臣を伴い、街道や宿駅を利用します。大名の往来は交通や都市にも大きな影響を与えましたから、参勤交代を単なる江戸観光の壮大版のように覚えてしまうと、本質がすっぽり抜けてしまいます。

「大名を貧しくするためだけの制度」と言い切らない

参勤交代については、「幕府が大名に金を使わせ、反乱できないようにするための制度」と説明されることがあります。確かに参勤や江戸滞在には大きな負担が伴いました。

しかし、費用負担だけを唯一の目的として固定すると、制度の意味を狭くしてしまいます。将軍への奉仕、大名統制、江戸と国元を結ぶ政治的関係などを含めて理解するほうがよいでしょう。

「参勤交代=大名の財力を削るためだけ」と一文で決めつけず、幕府と大名の関係を制度化した仕組みとして押さえてください。

武家諸法度と参勤交代は同じ言葉ではない

ここも選択問題で迷いやすいところです。武家諸法度は大名統制のための法令であり、参勤交代はその中で規定された制度です。

たとえるなら、武家諸法度がルールをまとめた枠で、参勤交代はその中の具体的な規定の一つ。名前が近いわけではないので、むしろ関係を理解してしまったほうが忘れにくくなります。

問題3の答えはエドワード=コーク

問題3の人物は、イングランドの法学者・裁判官であるエドワード=コークです。

決め手になるのは、「国王」「神と法の下」「17世紀前半」という手がかり。コークは国王の権限とコモン・ロー、つまりイングランドで判例などを通じて形成されてきた法との関係を考えるうえで重要な人物です。

「国王も神と法の下にある」はコーク自身が最初に作った言葉ではない

この問題で見落としやすいのが、引用の出どころです。コークは1607年のCase of Prohibitionsで、国王ジェームズ1世との議論の中、中世の法学者ヘンリー・ド・ブラクトンに由来する言葉を引用しました。

英国議会下院図書館の資料では、コークがブラクトンのラテン語句を用い、国王も「神と法」の下にあるという趣旨を示した経緯が確認できます。

したがって、問題が「この言葉を述べた中世の法学者は誰か」と尋ねればブラクトンですが、17世紀前半にこの言葉を引用して国王と法の関係を論じた法学者を聞いているならコークです。問題文の主語を読み落とさないことが得点につながります。

コークが示したのは「国王の判断=そのまま法」ではないという考え

1607年の事件では、ジェームズ1世が裁判判断にかかわる権限を主張したのに対し、コークは法律問題には専門的な法的判断が必要だと論じました。

さらに1610年のCase of Proclamationsでも、国王が布告だけでコモン・ローや制定法を変更できるわけではないという立場が示されています。

試験対策では、コークを「国王であっても法から自由ではないという考えにつながる人物」と覚えると、法の支配との関係が見えやすくなります。

「近代立憲主義をコーク一人が作った」とは考えない

コークの思想は、のちのイギリスにおける王権制限や法の支配を考えるうえで重要です。ただし、現代の立憲主義がコーク一人の主張によって完成したわけではありません。

1628年の権利の請願、その後の国王と議会の対立、17世紀後半の政治変動など、長い過程の中で制度や考え方が積み重なりました。

3問は「誰と誰の権力関係か」で区別すると覚えやすい

ここまでの内容を横に並べると、違いがはっきりします。

用語・人物 主な地域 見るべき関係 試験での核心
ウェストファリア条約 ヨーロッパ 帝国・諸国・諸身分などの関係 1648年、三十年戦争の終結
参勤交代 日本 江戸幕府と大名 1635年の武家諸法度寛永令
エドワード=コーク イングランド 国王と法 国王の権限も法との関係で考える

こう見ると、「権力」という言葉は共通していても、向きが違うと分かります。

参勤交代では、幕府が大名を統制する仕組みが整えられました。コークの場合は、強い国王権力にも法との関係があるという議論です。ウェストファリア講和は、国内統治だけでなく、帝国と諸勢力、ヨーロッパ諸国の関係を再調整する講和でした。

三つを無理に「同じ近代化」とまとめるより、どの権力関係を扱っているのかを区別したうえで並べる。こちらのほうが、選択肢が少しひねられても対応できます。

年代を並べると17世紀前半の距離感がつかめる

  • 1618年:三十年戦争が始まる
  • 1634年:エドワード=コーク死去
  • 1635年:徳川家光期の武家諸法度寛永令、参勤交代を規定
  • 1648年:ウェストファリア講和、三十年戦争終結

年表にすると、コークが活動していた時代と、家光が幕府の統治制度を整えた時代、三十年戦争が続いていた時代がかなり近いことが分かります。

ただし、年代が近いからといって三者が互いに影響を与えたと考える必要はありません。同時代を地域別に眺めるための物差しとして年表を使いましょう。

試験で間違えやすい3つのポイント

1.ウェストファリア講和を「現代国家の完成日」と覚えない

試験では主権国家体制と結びつけて覚えるのが基本です。一方、歴史研究では1648年を現代的国家システムの突然の誕生日とみなす説明には議論があります。

答案では教科書の文脈に応じて答え、理解の段階では「長い変化の重要な節目」と考えておく。この二段構えなら、暗記と歴史理解が衝突しません。

2.参勤交代と武家諸法度を入れ替えない

「何という法令か」と聞かれれば武家諸法度、「そこで義務づけられた制度は何か」と聞かれれば参勤交代です。

問題文の最後の数語まで読むと、答える対象が見えてきます。歴史問題は知識だけでなく、日本語の主語と目的語もしっかり仕事をしています。

3.ブラクトンとコークを区別する

「国王も神と法の下にある」という趣旨の法思想は中世のブラクトンに由来します。17世紀にジェームズ1世との議論でその言葉を引用した法学者がコークです。

引用された言葉の原典を問う問題と、その言葉を使って国王をいさめた人物を問う問題では答えが変わります。

3問を短く説明できれば記述にも強くなる

最後は、用語だけでなく一文で説明できるか試してみてください。

  • ウェストファリア条約:1648年に三十年戦争を終結させ、教科書では主権国家体制成立の重要な契機として位置づけられる講和。
  • 参勤交代:1635年の武家諸法度寛永令で規定され、大名が江戸へ参勤し国元との間を往来する幕府の大名統制にかかわる制度。
  • エドワード=コーク:17世紀前半のイングランドで、ブラクトンの言葉を引用しながら国王と法の関係を論じた法学者・裁判官。

表を閉じて、この3文を自分の言葉で言えるなら、かなり整理できています。途中で詰まったら、人物名だけを何度も書くより、「誰と誰の関係だったか」に戻ると記憶をたどりやすくなります。

まとめ:答えを覚えたら「権力の向き」まで見る

今回の答えは、ウェストファリア条約、参勤交代、エドワード=コークです。

ウェストファリア講和は三十年戦争を終わらせた1648年の講和で、教科書では主権国家体制の成立と結びつけて扱われます。参勤交代は1635年の武家諸法度寛永令で規定され、幕府と大名の関係を考える重要制度です。コークは、国王の権力も法との関係から考えなければならないことを示す人物として押さえます。

「1648年―国家間」「1635年―幕府と大名」「コーク―国王と法」と三方向に分ければ、3問は混ざらず、それでいて17世紀という同じ時間の中で比較できます。

次の復習では、答えの表を見ずに「なぜその答えになるのか」を一文ずつ説明してみてください。そこまでできれば、単語を覚えただけの状態から、問題文の手がかりを使って答えを導ける状態へ進めます。

参考資料

情報確認日:2026年9月1日