本と時計が知識を広げた時代に、なぜ魔女狩りも広がったのか

大学受験歴史

問1 15世紀半ばにドイツのグーテンベルクが金属活字による活版印刷術を実用化させたのち、この技術は近隣諸国へ広がりました。

(1) 15世紀後半、この印刷技術をイングランドに導入し、ロンドン近郊に印刷所を開設して『カンタベリ物語』などの英語書籍を印刷した印刷工は誰ですか。また、同時期のイングランドで成立した初期の工場として、印刷文化とも関係の深い製品を作った工場は何ですか。

(2) イタリアのヴェネツィアでは、アルドゥス・マヌティウスが印刷所を設立し、携帯しやすい小型本を刊行しました。彼と活字彫刻師フランチェスコ・グリッフォが展開した、手書きの人文主義的筆記体を思わせる傾いた活字・書体を何と呼びますか。

問2 15世紀末前後のヨーロッパ社会における技術の変化と、魔女迫害の歴史について問います。

(1) 重りを動力とする大型時計と並んで発展し、小型化・携帯化へつながった、金属製のばねを動力源とする時計機構を一般に何と呼びますか。

(2) 1484年の教皇イノケンティウス8世の教書や、その直後に広まった魔女論書などと結びつきながら、中世末から近世ヨーロッパで多数の人々が魔術・魔女の嫌疑を受け、裁判や処刑の対象となった迫害現象を何と呼びますか。

問3 15世紀前後の東西の知的世界と実学について問います。

(1) インドで、古典的ニヤーヤ哲学とヴァイシェーシカ哲学の論理・認識論・存在論を精密な専門言語で再構成した学派を何と呼びますか。

(2) 15世紀後半のペグーを中心とするハンターワディー王国で、スリランカとの上座部仏教の関係を強め、僧団の再受戒・改革を進めた王は誰ですか。

(3) 1494年にバーゼルで刊行され、人間の愚行や悪徳を「愚者たちの船」という寓意を使って風刺し、ヨーロッパ各地へ広がったセバスティアン・ブラントの作品は何ですか。

(4) 中国を中心に、植物・動物・鉱物などの薬物について名称・性質・効用を整理し、薬物の知識を体系化していった伝統的学問分野を何と呼びますか。

15世紀後半のイングランドでは英語の本が印刷され、ヴェネツィアでは1501年に小型の古典文学書が刊行されました。金属ばねを動力とする時計も、時間を測る道具の小型化を進めます。

同じ時代、ヨーロッパでは魔女を迫害する議論が印刷物を通じて広がり、後の大規模な魔女狩りへつながりました。情報を広める技術は、文学や学問とともに、恐怖や迫害を正当化する議論も伝えました。

三問から、印刷と時計、魔女迫害、インドの論理学、ペグーの仏教改革、本草学をたどります。それぞれの成立と発展の時期を押さえると、知識が記録され、伝わり、整理される仕組みが見えてきます。

三問の答え

問題 答え 覚える軸
問1(1) ウィリアム・カクストン/製紙工場 1476年ごろのイングランド印刷革命と紙の国内生産
問1(2) イタリック体 アルドゥスとグリッフォ、小型携帯本は1501年が重要
問2(1) ぜんまい式時計・主ぜんまい機構 重りから金属ばねへ、小型・携帯化への道
問2(2) 魔女狩り・魔女裁判 15世紀に形成が進み、最盛期は主に16〜17世紀
問3(1) 新ニヤーヤ派(ナヴィヤ・ニヤーヤ) 精密な論理・認識論の専門言語
問3(2) ダンマゼーディー王 ペグーとスリランカを結ぶ上座部仏教改革
問3(3) 『阿呆船(愚者の船)』 1494年、バーゼルで刊行された風刺作品
問3(4) 本草学 薬用となる植物・動物・鉱物などを整理する薬物学

問1|印刷、紙、小型本が結びつく

カクストン|ウェストミンスターで英語の本を印刷

問1(1)の人物はウィリアム・カクストン(William Caxton)です。大陸ヨーロッパで印刷技術を学び、1476年ごろ、ロンドン近郊のウェストミンスターに印刷所を設けました。

初期の代表的な仕事に、チョーサーの『カンタベリ物語』があります。英語文学が印刷市場に乗り、同じ文章を複数部作って流通させる仕組みが広がりました。

写本では一冊ずつ書き写す作業が必要です。活版印刷は活字を組んだ版から多数の部数を刷れます。人文主義の古典研究や読書文化と、こうした複製・流通の仕組みが結びついていきました。

15世紀の印刷と紙の流通を考える概念画像
学習用の概念画像。当時の人物・道具・裁判の厳密な再現ではありません。

製紙工場|ジョン・テイトと国内の紙生産

同じ設問の工場は製紙工場(paper mill)です。イングランド最初期の工場として知られるのが、ジョン・テイトがハートフォード近郊に設けた工場でした。

1495年のウィンキン・デ・ワードの印刷書には、テイトが製造した紙を使ったことが記録されています。デ・ワードはカクストンの後継者です。

カクストンは印刷の導入、テイトは紙の生産、デ・ワードはその紙を使った印刷を担いました。人物の仕事を分けると、1476年ごろの印刷所と1490年代の国内製紙の関係が明確になります。

印刷物の生産には、活字や印刷機に加え、紙の供給も欠かせません。問1(1)の答案は「カクストン/製紙工場」とし、説明を求められたらテイトとデ・ワードの関係を補足できます。

イタリック体|アルドゥスの出版とグリッフォの活字

問1(2)の答えはイタリック体(italic type)です。ヴェネツィアの出版人アルドゥス・マヌティウスが出版に用い、活字彫刻師フランチェスコ・グリッフォが活字の製作を担いました。

その形には、人文主義者が使った筆記体の影響があります。手書き文字の特徴を、印刷で読みやすく使える活字へと整えた書体です。

アルドゥスの出版活動は15世紀末に始まり、小型の八折判とイタリック体を組み合わせた古典文学書の重要な年が1501年です。4月にウェルギリウス、5月にホラティウスの版が刊行されました。

小型化は、本を持ち運んで読む機会を増やしました。出版を企画した人、活字を製作した人、刊行年を結びつけて覚えましょう。

イタリック体と小型携帯本の概念画像
学習用の概念画像。当時の人物・道具・裁判の厳密な再現ではありません。

問2|時計の小型化と、魔女迫害の拡大

ぜんまい式時計|巻いたばねの力を動力にする

問2(1)の答えは、ぜんまい式時計・主ぜんまい機構です。「ばね駆動式時計」とも表せます。

中世の大型機械式時計では、重りが落下する力を動力とする方式が広く使われました。重りを動かすには高さと空間が必要です。

金属製の主ぜんまい(mainspring)は、巻き込んだばねがほどけようとする力を動力として使います。この仕組みが、時計を小さくし、持ち運べる形にする道を開きました。

15世紀から16世紀初頭にかけて技術が積み重なります。大英博物館は、改造が多く年代の判断に難しさがあると断りつつ、1480~1500年ごろのものとされる初期のばね駆動式卓上時計を紹介しています。

歯車は以前から機械式時計に使われていました。設問で問われる小型化の要点は、主ぜんまいを動力源とすることです。時計の動力と、その力を伝える歯車の役割を分けて押さえます。

魔女狩り|告発と裁判を伴う長期的な迫害

問2(2)の答えは魔女狩り(witch-hunts)です。裁判の過程を指す場合は魔女裁判と表せます。魔術や魔女の嫌疑をかけられた人々が告発され、裁判や処刑の対象となった迫害現象です。

1484年、教皇イノケンティウス8世は、教書「Summis desiderantes affectibus」を発布しました。魔術による被害があるとする主張を記し、異端審問官の活動を支える内容でした。

続いて1486~1487年ごろ、主にハインリヒ・クラーマーが著した『魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)』が刊行されます。魔女を悪魔と結びつけ、尋問や裁判を正当化する議論が印刷物を通じて流通しました。

魔術への告発や迫害はそれ以前にもありました。1484年の教書は、この長い歴史の中で異端審問官への支援を示した文書として位置づけられます。

魔女裁判と迫害を考える概念画像
学習用の概念画像。当時の人物・道具・裁判の厳密な再現ではありません。

大規模な魔女迫害が激しくなったのは、主として16~17世紀です。地域ごとに裁判制度、迫害の規模、激しくなる時期が異なりました。

その背景には、悪魔や魔術をめぐる宗教観、災いへの恐怖、近隣関係の対立、告発を受け入れる司法制度などが重なっています。印刷は、そうした議論を広める媒体の一つでした。印刷の普及だけを、迫害が拡大した原因とする説明には無理があります。

問3|論理学、仏教改革、風刺、薬物の知識

新ニヤーヤ派|知識と推論を精密に分析する

問3(1)の答えは新ニヤーヤ派(Navya-Nyāya、ナヴィヤ・ニヤーヤ)です。「新論理学派」と説明されることもあります。

古典的なニヤーヤ哲学の論理学・認識論と、ヴァイシェーシカ哲学の存在論を引き継ぎ、精密な専門言語で議論を深めました。正しい知識はどう得られるか、推論の根拠は何か、対象や性質はどう関係するかを分析します。

基礎を築いたガンゲーシャの年代には研究上の幅があり、現在の専門事典では14世紀前半の人物として説明されています。その後、15~16世紀のラグナータ・シローマニらによって分析がさらに発展しました。

15世紀の新ニヤーヤ派は、先行する論理学を受け継いで精密化する流れの中にあります。答案では「新ニヤーヤ派」まで記し、知識・推論・存在を専門言語で分析する学派と説明すると、問われている潮流を特定できます。

ダンマゼーディー王|ペグーとスリランカを結ぶ改革

問3(2)の答えはダンマゼーディー王(Dhammazedi/Dhammaceti)です。15世紀後半、現在のミャンマー南部のペグーを中心とするハンターワディー王国を治めた王で、もとは僧侶でした。

王は上座部仏教の僧団秩序を重視し、スリランカへ僧侶を送り、改めて受戒させました。帰国した僧侶を通じて再受戒を進め、1476年前後にはカリヤーニー受戒場を整えて僧団改革を進めています。

この改革を伝える重要史料が、カリヤーニー碑文です。スリランカでの受戒と、帰国後の受戒場の整備や僧団の再編を記録しています。

僧侶と戒律、受戒の正統性は、インド洋を越えて伝わりました。王による仏教保護は、宗教の秩序を整え、統治の正当性を支える政策でもあります。ペグーとスリランカのつながりから、海を越える仏教の交流を理解できます。

『阿呆船』|印刷と木版画が伝える風刺

問3(3)の答えは『阿呆船』です。セバスティアン・ブラントが著し、1494年、バーゼルで刊行されました。「愚者の船」「Ship of Fools」とも訳されます。

愚者たちが船に乗るという寓意を使い、欲、虚栄、無知、貪欲などを風刺しました。100を超える短い章に木版画が組み合わされ、文章と画像の両方から人間の愚行を伝えます。

版を重ね、ラテン語をはじめ複数の言語へ翻訳されました。風刺作品が広い読者へ届くようになった例として、印刷物の流通と結びつけられます。「広く読まれた作品」という事実を押さえると、その文化的な影響を考えやすくなります。

本草学|植物・動物・鉱物の薬物知識を整理する

問3(4)の答えは本草学です。中国を中心に発達し、植物・動物・鉱物など、薬物として用いられた素材の名称・性質・効用・利用法を整理してきた伝統的学問です。

薬草に加え、動物由来の素材や鉱物も対象としました。名称を確かめ、形や産地、性質を記録し、知識を蓄積することが重要でした。

英語の歴史用語では、近い領域をmateria medicaと表す場合があります。本草学は、長い歴史の中で育った伝統的な薬物の学問として位置づけられます。

本草学で扱われた植物や鉱物の概念画像
学習用の概念画像。当時の人物・道具・裁判の厳密な再現ではありません。

日本にも伝わり、後の博物学や自然研究へつながりました。設問ではまず「薬物の知識を体系化する本草学」という軸を押さえ、個別の研究者や書物は、それぞれの教材の時代と地域に沿って確認しましょう。

まとめ|知識が伝わる仕組みと年代を結ぶ

印刷には、文章を複製する技術と紙の供給が必要でした。小型本は知識を持ち運びやすくし、風刺作品や魔女論書も印刷物を通じて流通します。新ニヤーヤ派は知識の根拠を分析し、仏教の受戒は僧侶の移動を通じて、本草学は薬物の記録を通じて伝わりました。

同時代の変化を比較するときは、それぞれの時間の幅が大切です。カクストンの印刷所は1476年ごろ、イタリック体の小型本は1501年、魔女迫害の最盛期は主に16~17世紀。新ニヤーヤ派と本草学にも、15世紀以前からの蓄積があります。

復習では解答表を隠し、各項目を「誰が、どこで、いつ、何を変えたか」で説明してみてください。印刷と紙、主ぜんまいと小型化、告発と裁判、ペグーとスリランカの関係を結びつけると、人物名や用語が具体的な歴史の流れになります。

参考資料

情報確認日:2026年10月11日