問題1|アメリカの文化
1960年代後半、ベトナム反戦運動や公民権運動などを背景に、既成の体制や主流文化の価値観に対抗して広がった文化は何ですか。
問題2|日本の公害
富山県神通川流域で、カドミウム汚染によって引き起こされた四大公害病の一つは何ですか。
問題3|日本の核政策
1967年に佐藤栄作首相が国会答弁で示した「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という原則は何ですか。
答えは、カウンターカルチャー、イタイイタイ病、非核三原則です。アメリカの若者文化、日本の公害被害、日本政府の核政策は、それぞれ異なる背景と担い手を持っています。
三つを同じ時代に並べると、戦争、差別、産業活動、安全保障をめぐって、社会の進む方向が問い直されたことが見えてきます。経済成長で生活水準が向上する一方、その社会で誰が負担を引き受けていたかにも注目してみましょう。
カウンターカルチャー|主流文化に対抗する価値観
カウンターカルチャーは、社会の主流となる価値観や生活様式に対し、異なる価値や生き方を示す文化です。1960年代のアメリカでは若者文化と強く結びつき、戦争、人種差別、権威、消費社会への疑問が、音楽、服装、共同生活などにも表れました。
反戦運動と、暮らし方の模索
アメリカのベトナム戦争への関与が拡大すると、反戦運動も広がりました。1968年のテト攻勢は、戦争の進め方や意味をめぐる対立を深め、戦争への支持が弱まる転機となります。若者たちは集会やデモに参加するとともに、文化表現や生活を通じて従来の価値観に疑問を投げかけました。
カウンターカルチャーには、政治的な抗議と、日々の生き方や社会規範の問い直しが含まれます。反戦運動を重要な背景として押さえながら、文化という言葉の広さにも目を向けましょう。

公民権運動と、ヒッピー文化
公民権運動は、人種差別の撤廃と平等な権利を求める運動です。アフリカ系アメリカ人を中心とする運動は、日常生活の不平等を社会に示しました。スミソニアンの解説も、公民権や黒人解放を求める人々のなかに、反戦と自由・平等の要求を結びつけた動きがあったことを示しています。
1967年のサンフランシスコでは、新しい音楽や共同生活などに関心を持つ若者が集まり、ヒッピー文化が注目されました。ヒッピーはカウンターカルチャーを象徴する存在の一つで、カウンターカルチャーはさらに広い文化的・社会的な動きを指します。
設問では、「1960年代後半―アメリカ―若者―主流文化への対抗」という手がかりに、反戦や平等、音楽・生活様式の背景を結びつけます。
イタイイタイ病|河川の汚染が生活と健康へ及ぶ
イタイイタイ病は、富山県の神通川流域で起きた四大公害病の一つです。神岡鉱山から排出されたカドミウムが河川や農地を汚染し、川の水や汚染された米などを通じて人の体内へ入り、健康被害を引き起こしました。
神岡鉱山は、神通川上流につながる高原川沿いにあります。流域では河川の水を農業に利用していたため、汚染が水田や農作物へ広がりました。「鉱山―カドミウム―河川―農地や米―健康被害」と順に捉えると、原因物質と暮らしのつながりを説明できます。

被害の発生と、社会問題化の時期
富山県の資料では、神通川流域で1890年代ごろから農作物への異変が見られ、1912年ごろから強い痛みを伴う原因不明の病気が発生していたとされています。被害の歴史は、高度経済成長期より前にさかのぼります。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1955年 | 新聞報道で「イタイイタイ病」の名が知られる |
| 1961年 | カドミウム原因説が発表される |
| 1968年 | 厚生省がカドミウムによる慢性中毒を原因とする見解を示す。住民側が提訴 |
| 1971年 | 第一審で住民側が勝訴 |
| 1972年 | 第二審でも住民側が勝訴 |
被害が始まった時期、病名が広く知られた時期、原因の解明と裁判の時期を区別すると、長期にわたった公害問題として理解できます。
裁判と、その後の環境改善
被害者や家族は1968年、神岡鉱山を運営する三井金属鉱業に損害賠償を求めて提訴しました。裁判では、鉱山から排出されたカドミウムと健康被害の因果関係が争われ、1971年と1972年の判決で住民側が勝訴します。

第二審の後、住民側と企業は、被害者への賠償、汚染農地の復元、公害防止に関する取り決めを交わしました。公害防止の取り決めには、住民による神岡鉱山への立入調査も盛り込まれています。判決の後も、救済と環境改善の取り組みが続きました。
昭和48年版の環境白書は、四大公害裁判の判決が原告側の主張を原則的に認め、企業責任を厳しく追及し、行政の姿勢にも反省を促したと振り返っています。公害は、産業活動と人の健康・環境をどう両立させるか、企業や行政がどのような責任を負うかを社会に問う問題となりました。
四大公害病を見分ける
四大公害病は、一般にイタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくを指します。イタイイタイ病は富山県・神通川・カドミウム、水俣病と新潟水俣病はメチル水銀を手がかりに、発生地域と原因物質を組み合わせて覚えましょう。
非核三原則|保有・製造・持ち込みを認めない原則
非核三原則は、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という原則です。佐藤栄作首相が、1967年12月11日の衆議院予算委員会で示しました。
| 原則 | 意味 |
|---|---|
| 持たず | 日本自身が核兵器を保有しない |
| 作らず | 日本自身が核兵器を製造しない |
| 持ち込ませず | 外国の核兵器を日本に持ち込ませない |
日本は広島・長崎への原爆投下を経験し、同時に冷戦下で日米安全保障体制のもとにありました。三つ目の「持ち込ませず」は、同盟国の核兵器を日本国内でどう扱うかにも関わる原則です。

1967年、1971年、1976年を区別する
1971年11月24日の衆議院決議は、政府に非核三原則の遵守を求め、沖縄返還時に核兵器が存在しないこと、返還後も持ち込ませないための措置を取るよう求めました。
外務省が掲載する決議では、1976年4月27日の衆議院外務委員会決議に、三原則が「国是として確立されている」という表現が見られます。同年5月21日の参議院外務委員会決議にも同様の文言があります。
1967年の首相答弁、1971年の遵守を求める決議、1976年の決議で確認できる位置づけを分けて読みます。1976年の文言は、それ以前から確立されているという認識を示すものです。決議の表現から、国是となった時点を一つの年に断定する説明は避けましょう。
三つの分野から、社会の変化を読む
| 出来事・用語 | 主な担い手 | 問われたこと |
|---|---|---|
| カウンターカルチャー | 若者など | 戦争、差別、権威、主流文化と生き方 |
| イタイイタイ病をめぐる運動・裁判 | 被害者、家族、住民など | 健康被害、企業責任、環境の回復 |
| 非核三原則 | 首相、政府、国会 | 被爆経験と冷戦期の核政策・安全保障 |
経済成長と大量消費は、暮らしを支える用品や交通、住宅などを充実させました。一方、戦争や差別、公害による負担は、立場や地域によって異なります。
この比較は、それぞれの担い手が何に異議を示し、何を守ろうとしたかを考えるための視点です。三つの出来事には固有の経緯があり、同じ運動としてまとめたり、直接の因果関係で結んだりすることはできません。
復習|手がかりから、背景まで説明する
- カウンターカルチャー:アメリカ、若者、主流文化への対抗。反戦や平等への関心が音楽・生活様式にも表れた。
- イタイイタイ病:富山県、神通川、カドミウム。河川や農地の汚染が健康被害につながり、住民が救済と企業責任を求めた。
- 非核三原則:1967年、佐藤栄作、持たず・作らず・持ち込ませず。保有・製造・外国の核兵器の持ち込みに関する原則。
答えを隠し、カウンターカルチャーでは何に対抗したのか、イタイイタイ病では汚染がどのように生活へ及んだのか、非核三原則では三つの動詞が何を対象とするのかを説明してみましょう。用語と背景が結びつくと、問題文の読み取りや短い記述にも使えます。
参考資料
- スミソニアン国立米国歴史博物館「The Early Sixties: American Culture」:文化・政治・公民権をめぐる変化。
- スミソニアン「1967 and the Summer of Love」:サンフランシスコの文化と音楽。
- 国立米国歴史博物館「Escalation」:反戦意識と1968年のテト攻勢。
- 国立アフリカ系米国人歴史文化博物館「Black Liberation and the Vietnam War」:自由・平等の要求と反戦の関係。
- 富山県「イタイイタイ病とは」:発生地域と汚染の経路。
- 富山県「Outbreak of Itai-Itai Disease」:初期の被害、1955年の報道。
- 富山県「Investigation of causes, and moves for protecting health and lives」:原因の研究、裁判、取り決めと住民調査。
- 環境庁「昭和48年版環境白書・四大公害裁判の教訓」:判決と企業・行政の責任。
- 国立水俣病総合研究センター「水銀Q&A」:四大公害病とメチル水銀。
- 外務省「非核三原則」:1967年12月11日の首相答弁。
- 外務省「非核三原則に関する国会決議」:1971年・1976年の決議の文言。
情報確認日:2026年10月11日

