1990年代は何が変わった?マンデラ・京都議定書・阪神淡路大震災を3問からつなぐ

大学受験歴史

問題1|南アフリカの民主化

アパルトヘイトの撤廃と民主化を進め、1994年に南アフリカ共和国初の黒人大統領となった人物は誰ですか。

問題2|地球温暖化への取り組み

1997年に京都で開催されたCOP3で採択され、先進国などに温室効果ガスの排出削減・抑制目標を定めた文書は何ですか。

問題3|震災と市民活動

1995年、兵庫県南部を中心に甚大な被害をもたらし、多数の市民が支援に参加したことから「ボランティア元年」と結びつけて語られる災害は何ですか。

答えは、ネルソン・マンデラ、京都議定書、阪神・淡路大震災です。年代順では、1994年の南アフリカの選挙、1995年の震災、1997年の京都議定書の採択と並びます。

三つから、1990年代の人権、市民社会、国際協力の変化を考えることができます。場所や経緯の異なる出来事を、誰が参加し、社会の仕組みがどう変わったのかという視点で読んでみましょう。

マンデラと南アフリカの民主化

アパルトヘイト|差別を制度に組み込む

アパルトヘイトは、南アフリカの白人少数派政権のもとで制度化された人種隔離政策です。居住、教育、移動、土地、政治参加などが人種によって分けられ、黒人をはじめとする非白人住民の権利が大きく制限されました。

差別が法律と行政の仕組みに組み込まれたことで、生活の場所や学ぶ機会、仕事、政治参加にも影響が及びました。こうした制度への抵抗は長く続き、国内外で撤廃を求める動きが広がります。

アパルトヘイトによる公共施設の人種隔離を説明する概念画像
学習用の概念画像。実際の施設、会議、支援現場を再現した記録写真ではありません。

反対運動、交渉、差別法の廃止

アフリカ民族会議(ANC)などが反アパルトヘイト運動を続け、国外からも批判や圧力が加わりました。ネルソン・マンデラは運動を代表する人物の一人です。

年 民主化へ向かう出来事
1990年 ANCなどへの禁止措置が解除される。27年間投獄されていたマンデラが釈放され、政治交渉が進む
1991年 人口登録法、集団地域法など、主要な差別法が廃止される
1994年4月 人種を問わず成人が参加できる初の民主的な国政選挙が行われ、ANCが勝利する
1994年5月10日 マンデラが南アフリカ初の黒人大統領に就任する

民主化は、長い抵抗、国際的な圧力、政府と政治勢力の交渉、差別法の撤廃を経て実現しました。マンデラの役割を、この過程のなかに位置づけると、人物名と制度の変化が結びつきます。

政治参加の拡大と、残された格差

1994年の選挙によって、それまで国政への参加を制限されていた人々も一票を持つ市民として参加しました。マンデラの就任は、誰が国の意思決定に参加できるかという仕組みの転換を象徴しています。

一方、長期間の制度的差別が残した所得、教育、住環境などの格差は、その後も社会の課題となりました。制度上の民主化と、積み重なった格差の改善は、異なる時間を要する変化として捉えます。

京都議定書|排出削減・抑制を国際的な目標にする

京都議定書は、1997年12月11日、京都で開かれたCOP3で採択されました。COPは「Conference of the Parties」の略で、この会議は国連気候変動枠組条約の第3回締約国会議に当たります。

同条約は1992年に採択されました。京都議定書は、それまでに積み重ねられた気候変動対策の国際的な議論を、具体的な排出目標へ進める重要な段階です。

1997年の京都議定書と気候変動への国際協力を考える概念画像
学習用の概念画像。実際の施設、会議、支援現場を再現した記録写真ではありません。

先進国などに、法的拘束力のある数量目標

京都議定書は、先進国と市場経済移行国などについて、合意された個別目標に沿って温室効果ガスの排出を削減・抑制する仕組みを定めました。法的拘束力を持つ数量目標を国際的な気候変動対策に組み込んだことが特徴です。

温室効果ガスによる気候への影響は国境を越えます。各国が共通の枠組みで対応するため、どの国がどのような負担を引き受けるかを国際交渉で決める必要がありました。

採択と発効を区別する

時期 意味
1997年12月11日 京都議定書を採択し、文書の内容を合意する
2005年2月16日 批准などを経て、議定書が発効する

1997年は採択、2005年は発効。設問では、会議で合意された年と、効力が生じた年のどちらを問うているかを確認します。

京都議定書とパリ協定の違い

比較項目 京都議定書 パリ協定
採択年 1997年 2015年
目標の仕組み 先進国などに個別の排出削減・抑制目標を定める すべての締約国が、自国の目標(NDC)を作成・提出・維持する
学習上の意味 数量目標を伴う国際的な気候変動対策の重要な段階 より広い国々が目標を示す国際的な枠組み

比較すると、目標を課す対象の広がりと、目標を定める仕組みが変わったことが分かります。「1997年―京都―COP3―京都議定書」を、2015年のパリ協定と区別して押さえましょう。

阪神・淡路大震災|被害と、市民活動の広がり

1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部地震が発生し、阪神・淡路地域に甚大な被害をもたらしました。内閣府の令和8年版防災白書は、地震の規模をマグニチュード7.3、最大震度7、災害関連死を含む死者数を6,437人としています。

被害の人数は、資料の作成時期や集計対象の地域、災害関連死を含むかなどによって表記が異なる場合があります。数字を使う際は、出典と集計範囲を確認し、受験では使用する教科書や資料の表記も押さえます。

「ボランティア元年」と呼ばれる背景

震災では、全国から多数の市民が被災地に入り、支援活動に参加しました。同白書によれば、参加者は延べ130万人以上です。多数の市民や民間団体が社会を支える役割を担うことが広く認識され、1995年は「ボランティア元年」と結びつけて語られます。

阪神・淡路大震災後の市民ボランティア活動を考える概念画像
学習用の概念画像。実際の施設、会議、支援現場を再現した記録写真ではありません。

大規模災害への対応では、消防、警察、自衛隊、自治体、医療機関などの公的・専門的な働きとともに、地域や市民団体の支援が必要になります。役割を分担し、互いの活動をつなぐことが重要です。

ボランティアが活動を続けるには、受け入れ体制、情報共有、安全管理、継続できる組織も欠かせません。震災の経験は、支援に参加する気持ちを、実際に活動できる環境へつなぐ課題を社会に示しました。

震災後に整えられた制度

1995年の災害対策基本法改正では、ボランティア活動の環境整備に関する規定が初めて設けられました。市民の活動を制度の側から支える動きも進んだのです。

内閣府NPOホームページの年表には、1995年の震災、1996年の市民活動促進法案提出、1998年3月の特定非営利活動促進法(NPO法)成立が示されています。同法は1998年12月に施行されました。

市民活動を支える制度には、それ以前からの検討や運動がありました。阪神・淡路大震災は、ボランティアや市民活動の制度整備への関心が高まる大きな契機の一つとして捉えます。

人権・市民社会・国際協力から1990年代を読む

年と出来事 視点 社会に関わる主体と、変化
1994年・南アフリカの民主化 人権 人種を問わず成人が国政選挙へ参加し、政治の仕組みが変わる
1995年・阪神・淡路大震災 市民社会 市民、地域、民間団体が支援に参加し、活動を支える制度への関心が高まる
1997年・京都議定書の採択 国際協力 各国が交渉し、国境を越える気候変動に共通の枠組みで対応する

この表は、同じ1990年代の社会変化を比較する視点を示しています。人権を求める運動、環境をめぐる国際的な議論、市民の社会活動には、それ以前からの長い蓄積があります。

冷戦後の1990年代には、こうした動きが大きな制度変更や国際合意として表れました。国家に加え、国際機関、市民団体、地域社会などの役割にも注目すると、出来事の意味を具体的に理解できます。

復習|名前、出来事、意味を一文にする

  • ネルソン・マンデラ:反アパルトヘイト運動を代表し、民主化後の1994年に南アフリカ大統領へ就任した人物。
  • 京都議定書:1997年のCOP3で採択され、先進国などに温室効果ガスの排出削減・抑制目標を定めた文書。発効は2005年。
  • 阪神・淡路大震災:1995年1月17日に発生した災害。多数の市民ボランティアの参加と、その後の制度整備を考える重要な契機。

表を見ずに1994年、1995年、1997年の出来事を並べ、それぞれの意味を一文で説明してみましょう。マンデラでは政治参加の変化、京都議定書では目標の対象と採択・発効、震災では被害と支援、制度整備まで結びつけると、短い記述にも使えます。

参考資料

情報確認日:2026年10月11日