1620年代、計算と観察は何を変えた?『塵劫記』とベーコンの帰納法から読む知の転換

大学受験歴史

問1(江戸初期に広まった算術書)
1627年に初版が刊行された、吉田光由の算術書を答えなさい。吉田光由は京都の豪商・角倉一族の出身で、この本ではそろばんによる四則演算のほか、田畑の面積計算や測量など、日常生活に役立つ計算が扱われました。江戸時代を通じて広く普及したこの本は何ですか。

問2(ベーコンが論じた研究方法)
イングランドの哲学者フランシス・ベーコンは、1620年に刊行した『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で、観察や経験から得た個々の事実を調べ、比較しながら、より一般的な判断へ段階的に進む方法を論じました。この論理的手法を何といいますか。

答えだけなら、問1は『塵劫記(じんこうき)』、問2は帰納法(きのうほう)です。ここから、計算の本と自然を調べる方法にどんな共通点があるのか、見ていきましょう。

けれども、この二問を同じ1620年代に置いてみると、もう一つ面白い問いが浮かびます。1620年代の日本とヨーロッパでは、計算を暮らしに役立て、自然の仕組みを確かめるために、どんな手順が工夫されていたのでしょうか。

京都では、生活や商売に使う計算手順が本になりました。一方のヨーロッパでは、観察をどう整理するか、計算をどう軽くするか、天体や人体をどう測るかという試みが続きます。

二つの著作を読み比べた後、計算装置、天文表、血液循環の研究へ視野を広げます。年号に加えて、それぞれが何を使い、どう確かめようとしたのかをたどってみましょう。

1627年の『塵劫記』|計算を暮らしで使える形にした

吉田光由は京都の豪商・角倉一族の出身でした。江戸時代初頭は、商業だけでなく農地開発や土木工事でも計算が必要になります。そろばんは、そうした実務を助ける便利な道具として広まっていました。

もっとも、そろばんは日本で独自に発明された道具ではありません。国立国会図書館の解説では、中国大陸から伝わり、16世紀末には日本国内でも流通していたことが確認できます。

和算も、外から入ってきた数学と無関係に生まれたわけではありません。中国数学の影響を受けながら、江戸時代の日本で独自の発展を遂げました。「日本独自」という言葉は、起源まで完全に日本だけだった、という意味ではないわけです。

そろばんだけでなく、面積・測量・数学遊戯まで扱った

『塵劫記』の特徴は、計算法を抽象的な理論だけで終わらせなかったところにあります。そろばんによる乗除などに加え、田畑の面積や測量に関係する問題、ねずみ算のような遊戯的な問題まで収められました。

現代に置き換えるなら、電卓の操作だけを教える本ではなく、家計、仕事、土地の面積、ちょっとした数学パズルまで一緒に学べる実用書に近いでしょう。計算の練習が、暮らしの場面と結びついていました。

しかも吉田は一度出して終わりにはせず、生涯に何度も改版しました。国立国会図書館によると、1634年版がとくに普及し、その後もさまざまな版が作られています。したがって、「1627年に一冊の本が突然全国を席巻した」というより、改版や類似書を伴いながら長く広まったと見るほうが実態に近いでしょう。

人気の先で、難問を出し合う文化も育った

『塵劫記』が興味深いのは、実用算術の普及だけで話が終わらない点です。後の版では「遺題」と呼ばれる問題が示され、後続の数学書では先人の問題を解いたうえで、さらに新しい問題を出す流れが育ちました。

現代の問題集なら、「ここまで解けたなら、次の難問へ」というところでしょうか。数学好きの競争心は、時代が変わってもなかなか元気です。

ただし、後の高度な和算が『塵劫記』だけから生まれたわけではありません。 中国から伝わった天元術など、別の数学知識も重要な役割を果たしました。『塵劫記』は大きな入口でしたが、和算の発展を一冊だけの成果にまとめることはできません。

1620年のベーコン|帰納法は「例を集めるだけ」ではない

『塵劫記』より7年前の1620年、フランシス・ベーコンは『ノヴム・オルガヌム』を含む大きな知識改革の構想を公刊しました。

学校では「ベーコン=経験論=帰納法」と覚えることが多いでしょう。これは入口として有効ですが、ベーコン自身の方法は、単純な「多くの例から一般法則を作る」という説明より慎重です。

一般化へ一気に飛ばず、段階を上がる

ベーコンは、感覚や個々の事実から、いきなり最も一般的な原理へ飛びつく考え方を批判しました。観察した事実から低い段階の一般化へ進み、さらに上の段階へ進むという方法を重視しています。

たとえば、ある現象の原因を考えるなら、その現象が起きた例だけを集めるのでは足りません。起きなかった例や、強く現れた場合と弱く現れた場合も比べます。

そこで候補となる説明を一つずつ検討し、合わない候補を除いていく。ベーコンの帰納法では、「自分の予想に合う事例を集める」より「合わない事例まで含めて比較する」ことが重要でした。

注意したいのは、ここで排除されるのは「都合の悪い観察事例」ではなく、その事例と両立しない説明の候補だということです。反例を見なかったことにするのでは、方向が逆になってしまいます。

イドラは「観察する自分も間違える」という警告

ベーコンは、人間の判断をゆがめるものを「イドラ(偶像)」と呼び、種族・洞窟・市場・劇場の四種類に分けました。

大切なのは四つの名前を唱えることより、「人間は事実をそのまま受け取っているとは限らない」と考えた点です。個人の経験、言葉の使い方、受け継いだ学説などが判断へ入り込みます。

頭は便利な道具ですが、頼んでもいないのに先回りして結論まで作ることがあります。そこで観察だけでなく、観察する側の思い込みにも警戒しなければならない。これがベーコンの方法を理解するうえで重要です。

『塵劫記』と帰納法は何が同じで、何が違うのか

『塵劫記』の初版は1627年、ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』は1620年に刊行されました。二つの著作の目的と手順を比べてみましょう。

観点 『塵劫記』 ベーコンの帰納法
主な目的 暮らしや商売などに役立つ算術を伝える 自然の仕組みを調べる方法を組み立てる
具体的な手順 そろばんの乗除、面積や測量に関する問題の解き方を示す 現象の有無や強弱を比較し、説明の候補を検討する
読者が学ぶこと 計算手順を理解し、問題に応用すること 観察や実験を整理し、段階的に一般化する考え方

共通するのは、答えだけを伝えるのでなく、その答えへ進む手順を示そうとした点です。一方、算術の問題を解くことと、自然の仕組みを探ることでは、対象も目的も異なります。

吉田光由とベーコンの直接の交流や影響関係は、今回確認した資料では示せません。 ここでは、異なる地域の著作を「知識を使い、確かめる手順」という観点から比較しています。

同じ1620年代には「計算を助ける道具」も動き始めた

同じ時代の出来事をもう少し見てみましょう。ヨーロッパでは、計算そのものを道具で軽くする試みが進んでいました。

1623年ごろ、シカルトは歯車式計算装置を作った

ヴィルヘルム・シカルトは1623年ごろ、歯車式の計算装置を製作しました。Computer History Museumによれば、加算と減算には歯車機構を使い、乗算と除算にはネーピアの計算棒を組み合わせていました。

同館はこれを「知られている中で最も早い機械式の四則計算機」と位置づけています。ただし、現代の電卓のように四則演算をすべて自動処理した機械ではありません。

「世界初の自動計算機が1623年に完成した」とだけ書くと、自動化の程度を大きく見せすぎます。 歯車による加減算と、別の計算補助具を組み合わせた初期の機械式装置、と理解するのが安全です。

オートレッドは対数の目盛りを動かした

もう一つの方向が計算尺です。1614年にジョン・ネーピアが対数を公表した後、エドマンド・ガンターは対数を目盛りとして利用しました。

スミソニアン国立アメリカ歴史博物館の解説では、ウィリアム・オートレッドが1622年までに二つの対数目盛りを並べ、一方を動かすことで計算結果を直接読めるようにしたとされています。後の計算尺へつながる発想です。

そろばん、歯車、対数目盛り。仕組みはまるで違いますが、「面倒な計算をどう扱うか」という問題に、それぞれ異なる答えを出していたことが分かります。

1627年のルドルフ天文表|観測値を「計算できる未来」へ変えた

『塵劫記』と同じ1627年、ヨハネス・ケプラーの『ルドルフ天文表』がウルムで刊行されました。

もとになったのは、ティコ・ブラーエが残した精密な天体観測です。ティコの死後、その観測資料を利用する立場となったケプラーが、自身の惑星運動研究と組み合わせて天文表を完成させました。

University of Michiganの所蔵解説が強調しているのは、特定の日の惑星位置をただ並べるだけの表ではなかったことです。利用者が任意の時点について惑星の位置を計算できるよう構成されていました。

ここでは、観察した数字が保存されるだけでなく、理論と計算法を通して別の時点を求める材料になります。観測・理論・計算が組み合わさることで、記録が予測に使える情報へ変わったと見ると分かりやすいでしょう。

1628年のハーヴェイ|身体の動きを観察・実験・数量で考えた

1628年には、イングランドの医師ウィリアム・ハーヴェイが、心臓と血液の運動について論じた著作をフランクフルトで刊行しました。

ハーヴェイは、心臓の動きや静脈弁を観察し、血管を縛ったときの血流を調べました。さらに、心臓が短時間に送り出す血液量を概算し、「血液がそのたびに新しく作られ、体内で使い切られている」と考えるには量が多すぎると検討します。

こうして、心臓が血液を送り出し、血液が体内を循環するという体系を、観察・実験・数量的な議論から説明しました。

ハーヴェイ一人が血液循環のすべてを最初に発見したわけではない

ここにも補足が必要です。ハーヴェイ以前に肺循環について論じた人物がおり、静脈弁も彼より前から観察されていました。

また、ハーヴェイ自身は動脈と静脈をつなぐ毛細血管を直接観察していません。毛細血管が顕微鏡で観察されるのは、マルチェロ・マルピーギによる1661年の研究まで待つことになります。

そのため、ハーヴェイの功績は「人体について誰も知らなかったことを一人ですべて発見した」とまとめるより、心臓・動脈・静脈・血液量を一つの循環体系として実験的、数量的に説明したことに置くほうが実態に近くなります。

1624年のガッサンディ|伝統的な自然哲学を問い直す

同じ17世紀前半には、フランスの哲学者でカトリック聖職者でもあったピエール・ガッサンディが、伝統的なアリストテレス哲学を批判する方向へ動き始めました。

1624年には『アリストテレス主義者に対する逆説的演習』の第一部を刊行しています。その後、古代エピクロスの思想を研究し、原子論を自身の自然哲学へ組み込んでいきました。

ただし、ここで年代を急いではいけません。ガッサンディのエピクロス研究に関係する主要著作は1640年代に刊行され、原子論を含む体系的な哲学はその後まで展開します。

ガッサンディを「1620年代に完成した原子論の成果」と置くのは早すぎます。 1620年代には、伝統的自然哲学を問い直し、新しい体系へ向かい始めた人物として見るほうが年代関係をつかみやすくなります。

年表で見る1620年代|同時代でも、つながり方は違う

出来事 理解のポイント
1620年 ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』を含む著作を刊行 事実から段階的に一般化する方法を構想
1622年まで オートレッドが可動式の対数目盛りを利用 掛け算・割り算を道具で軽くする
1623年ごろ シカルトが計算装置を製作 歯車式加減算と計算棒を組み合わせる
1624年 ガッサンディがアリストテレス主義批判を公刊 伝統的自然哲学を問い直す流れ
1627年 吉田光由『塵劫記』初版 実用的な計算手順を広い読者へ伝える
1627年 ケプラー『ルドルフ天文表』刊行 精密観測と理論を惑星位置の計算へ結びつける
1628年 ハーヴェイが血液循環に関する研究を刊行 観察・実験・数量的推論を組み合わせる

年表に並べると、同じ1620年代に計算、観察、実験、出版が大きな役割を持っていたことが見えてきます。

この中には、資料でたどれる具体的なつながりもあります。シカルトはケプラーに計算装置について手紙を送り、ケプラーはティコ・ブラーエの観測資料を利用しました。道具の工夫や観測記録が、実際に人から人へ伝わっていたのです。

地図で見る1620年代|活動した場所と本が出た場所

日本の京都、イングランド、ガッサンディが活動したフランス南部に加え、『ルドルフ天文表』の刊行地ウルム、ハーヴェイの著作の刊行地フランクフルトを地図で確かめると、離れた地域の位置関係が分かります。

ここでは、研究した場所と、本が刊行された場所を区別するのがポイントです。たとえばハーヴェイはロンドンで研究を進め、1628年の著作はフランクフルトで刊行されました。地図の注記にも「活動地」「刊行地」を添えると、人物が何をした場所なのか読み取りやすくなります。

現代とのつながり|大切なのは「答え」だけでなく「確かめ方」

1620年代の出来事をそのまま現代科学の始まりと呼ぶ必要はありません。当時の研究方法は現在と同じではなく、数学、自然哲学、医学、宗教などの境界も今とは違っていました。

それでも、現代と比較して理解しやすい点はあります。

表計算ソフトで正しい式を使っても、入力データが誤っていれば結果も誤ります。大量のデータがあっても、最初に結論を決めて都合のよい事例だけを選べば、判断は偏ります。

一方、計算法を手順として共有しておけば、別の人が同じ方法を試せます。観察条件や計算過程が残っていれば、どこで違いが生じたのかも検討できます。

「何を知っているか」だけでなく、「どう計算したか」「どう観察したか」「どこまで確認できたか」を示す。 この観点で見ると、『塵劫記』とベーコンを同じ記事で学ぶ意味が見えてきます。

まとめ|計算する手順と、自然を確かめる手順

1627年の『塵劫記』は、そろばんや実用的な問題を通じて計算法を伝えました。1620年の『ノヴム・オルガヌム』でベーコンが論じたのは、観察を比較し、説明の候補を検討しながら自然の仕組みを探る方法です。

計算装置、計算尺、天文表、血液循環の研究にも、それぞれ異なる課題に取り組んだ工夫が見えます。人物を一人選び、「何を知ろうとし、どんな道具や手順を使ったのか」を説明してみてください。 言葉に詰まった箇所を読み返すと、年号と出来事が結びついてきます。

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参考資料