エジプト中王国と世俗文学・地中海貿易

ナイル川の河岸で書記がパピルスに記録する、中王国の学習用生成イラスト。 完新世

問1 中王国とアモン信仰

第一中間期の分裂を経て、紀元前21世紀頃、テーベの第11王朝がエジプトを再統一しました。
この再統一に始まる中王国時代の信仰について、最も適切なものを一つ選んでください。

  • (ア)ギザの三大ピラミッドが初めて建設され、王の墓として用いられた。
  • (イ)テーベの神アモンが重要性を増し、太陽神ラーと結び付いたアモン=ラーとしても信仰された。
  • (ウ)アメンホテプ4世がアトン信仰を中心とする改革を行い、アマルナに都を移した。
  • (エ)多神教が廃止され、エジプト全土でアモン以外の神への信仰が禁じられた。

問2 センウセルト3世と対外関係

中王国第12王朝のセンウセルト3世の統治、または中王国時代の対外関係について、誤っているものを一つ選んでください。

  • (ア)センウセルト3世の時代の前後には、地方長官の地位や地方の有力者のあり方が変化し、中央集権化が進んだ。
  • (イ)センウセルト3世はヌビアへ遠征し、第2カタラクト付近の要塞(ようさい)網を通じて南方支配を強めた。
  • (ウ)中王国時代には、東地中海のビブロスやクレタの文化圏との接触を示す記録や遺物(いぶつ)がある。
  • (エ)センウセルト3世がアッシリア王アッシュールバニパルを討ち取り、全オリエントを統一した。

問3 中王国の文学

中王国時代の文学と文字について、最も適切なものを一つ選んでください。

  • (ア)パピルスに神官文字で書かれた『シヌヘの物語』などの写本が伝わり、物語や教訓文学が発達した。
  • (イ)エジプトの文字は完全に廃れ、すべての文書が楔形文字(くさびがたもじ)で書かれた。
  • (ウ)文学は王の名前だけを記すものに限られ、人間の不安や訴えを描く作品は存在しなかった。
  • (エ)神官文字は石壁への彫刻専用で、パピルスの筆記には使われなかった。

エジプト中王国は、分裂した国を再びまとめ、王の統治と豊かな文学を育てながら、ヌビアや東地中海との関係を深めた時代です。
政治では国をどう支えるかが問われ、文学では、その国に生きる一人の人間の不安や願いが描かれました。

再統一された国家、海と川を行き交う人々、言葉で語られる個人の心をつなぐと、中王国の姿が見えてきます。

再統一の拠点はテーベ、その後の第12王朝の行政の中心はイチ・タウイです。
政治の重心が移る様子も、川と海の位置関係に重ねてたどっていきます。

1.分裂の記憶を抱え、ナイルの国が再びつながる

ギザのピラミッドで知られる古王国の末、王の力が弱まると、地方の有力者たちが存在感を増しました。
国が一つの命令で動く状態は崩れ、第一中間期と呼ばれる分裂の時代に入ります。

ここで登場するのが、ノマルコスです。
ノモスという地方行政区の長官を指す呼び名で、土地や人、地域の仕事を動かす立場にありました。
中央の力が弱くなると、こうした地方の指導者が、王から離れて力を持つ余地も広がります。

北のヘラクレオポリスと南のテーベが大きな政治勢力となり、やがてテーベの第11王朝の王、メントゥホテプ2世が再統一を果たします。
本記事では、その時期を紀元前2030年頃とする年代区分を用います。

再統一は、地図の色を塗り直すだけの出来事ではありません。
地方と王の関係を組み直し、国が再びまとまっていることを、人々に示していく過程でもありました。
その後の統治や神殿、王を語る言葉に目を向けると、分裂の後にどのような秩序を築こうとしたかが見えてきます。

中王国の行政施設で、使者が村の収穫報告を渡し、書記が王のもとへ届ける仕事を語る創作2コマ漫画。

中王国はいつから、いつまでか

中王国の開始・終了年代には、資料によって違いがあります。
本記事では、第11王朝の再統一後から第13王朝までを含め、おおむね紀元前2030年頃〜前1650年頃とします。

第12王朝が終わった後も、行政や文化はすべて消えたわけではありません。
王朝が変わった年と、社会の仕組みが大きく変わる時期は、必ずしも一致しないのです。
「いつまで」を覚えるときは、どの王朝まで含む区分なのかも合わせて見ると、年表の違いに戸惑いにくくなります。

2.テーベからイチ・タウイへ――首都と神の役割

テーベは、現在のルクソール周辺にあたる、ナイル川上流側の都市です。
古代エジプトでは、南の上流側を上エジプト、北の河口側を下エジプトと呼びます。
地図の上と下ではなく、川の上流と下流が基準です。

再統一を成し遂げた王家の拠点はテーベでした。
続く第12王朝では、アメンエムハト1世が北方にイチ・タウイという新しい行政の中心を設けます。
メンフィスより南、現在のリシュト付近にあったと考えられていますが、都市の正確な所在地は確定していません。

政治の中心が北へ移っても、テーベの宗教的な重要性は続きました。
王が政務を行う場所と、大切な神がまつられる場所は、いつも同じである必要はありません。
この二つを分けると、「テーベが重要なのに、別の首都も登場する」という関係を理解できます。

アモン=ラーは、神々を消して誕生したのではない

テーベと結び付きの深い神が、アモンです。
アメンとも表記され、中王国の初め頃から重要性を増しました。
太陽神ラーと結び付いたアモン=ラーとしても信仰され、のちの新王国では国家の中心的な神となります。

古代エジプトの神々は、別の神の性質を取り込み、複合した名前や姿で表されることがありました。
アモン=ラーも、そのような結び付きです。
アモンの地位が高くなったからといって、オシリスやホルスなど、ほかの神への信仰が一斉に消えたわけではありません。

テーベのカルナクでは、中王国の王たちによるアモンの神殿整備が進みました。
後世に拡張された巨大な神殿の全体を、そのまま中王国の姿と思い浮かべないことも大切です。
長い年月をかけて建物が重なった場所には、複数の時代の歴史が残っています。

3.センウセルト3世は、地方と南の境界に向き合った

紀元前19世紀頃、第12王朝で大きな力を持った王が、センウセルト3世です。
センウスレト3世という表記もあります。
この王の時代を理解する鍵は、国内では中央集権化、国外ではヌビアへの進出です。

地方の有力者と王の関係が変わる

中央集権とは、国の重要な判断や人・物の管理を、中央政府へ集めることです。
センウセルト3世の治世(ちせい)の前後には、地方長官の地位が抑えられ、あるいは段階的に姿を変えていきます。
地方の有力者が造っていた大規模で装飾豊かな墓が減る一方、王の居所に近い地域の墓地が発展することも、この変化を考える手掛かりです。

ただし、墓の変化だけから、全国で同じ日に地方の権力が消えたとまでは言えません。
大切なのは、地方ごとの有力者が目立つあり方から、王の中央政府へ重心が移ったという流れです。
一人の王がすべてを一度に作り替えたと考えるより、制度と社会の変化として見る方が実態に近づけます。

ヌビアの要塞は、川の通路を押さえる拠点

ヌビアは、エジプトの南、現在のスーダン北部などに広がる地域です。
金などの資源と関係が深く、さらに南の地域から届く品々の中継地でもありました。
エジプトとの関係には、交易だけでなく、軍事的な衝突や支配も含まれます。

センウセルト3世はヌビアへの遠征を繰り返し、第2カタラクト付近、セムナなどの要塞網を通じて南方の境界を固めました。
カタラクトとは、岩が多く、川の流れが速くなる難所を指します。
川を行き来する人や船が通る場所を押さえることには、軍事と交通の両方で意味がありました。

ナイル川沿いの要塞で、役人が使者から巻いた文書を受け取る学習用生成イラスト。

要塞は、兵士が壁の上に立つだけの場所ではありません。
中王国後期の文書には、ヌビアの要塞からの報告を写したものも残ります。
遠い土地の状況を文字で伝え、管理する仕事が、川沿いの支配を支えていたことが分かります。

ここでは「南へ勢力が伸びた」という矢印に加えて、その途中にあった拠点にも注目してみてください。
遠征で勝つことと、その後も地域を管理することは、別の仕事なのです。

4.地中海は境界であり、人と物をつなぐ海でもあった

南のヌビアを見たら、今度はナイルの河口から北と東へ視線を移しましょう。
中王国のエジプトは、東地中海の沿岸地域や、クレタの文化圏ともつながっていました。
川の国の歴史は、川の内側だけでは完結しません。

テーベ、イチ・タウイ推定地域、セムナと、地中海のクレタ・ビブロスの位置を示す概略地図。

中王国期の主要地点の位置関係を示す概略地図です。イチ・タウイは推定地域を示し、領土や実際の航路を表す線は描いていません。

ビブロス――東地中海の接点

ビブロスは、現在のレバノンの海岸に位置する都市です。
中王国期のエジプトと、西アジアの地域を結ぶ重要な交易の接点でした。

この時代の接触は、交易の記録や、エジプトの品が西アジアで見つかることなどから確かめられます。
アメンエムハト2世の年代記には、対外的な取引と戦争に関わる記述があります。
一方、センウセルト3世の時代の碑文にも西アジアへの軍事行動が登場します。

動いた品々の例も見てみましょう。
エジプトのトードでは、アメンエムハト2世の名を記した箱とともに、銀製品やラピスラズリの品が見つかっており、ラピスラズリは西アジアから来たものと考えられています。
反対に、西アジアではエジプトのスカラベや像などが出土します。
スカラベは甲虫(こうちゅう)の形をした小さな品で、護符(ごふ)や印章(いんしょう)に用いられました。
宝石や小さな工芸品も、遠い地域を結ぶ手掛かりになるのです。

海の交流を、平和な売り買いだけで説明することはできません。
取引、贈り物、王同士の関係、戦争は、それぞれ区別して考える必要があります。
品物が遠くへ届いたという事実から、その移動の仕組みまで直ちに決まるわけではないのです。

クレタ――海を隔てた交流を、土器から読む

クレタ島は、エジプトから見て地中海の北西にあります。
当時のクレタでは、ミノア文明、またはクレタ文明と呼ばれる文化が栄えていました。
エジプトで見つかるクレタ系の土器などは、海を隔てた接触を考える材料になります。

例えば、リシュトから出土したカマレス式の小さな容器があります。
この品は、クレタで作られたか、エジプトで模倣(もほう)された可能性があると説明されています。
産地が確定していない品でも、外国の器形や装飾が受け入れられた可能性を考える手掛かりになります。

ただし、外国風の品が見つかったからといって、エジプトの船がその島へ直行した証拠になるとは限りません。
途中の港や商人を介した移動も考えられます。
考古学では、品物の出土場所、素材、作り方、年代を重ねて、交流の姿を探ります。

また、地中海につながるクレタと、内陸の河川世界にあるメソポタミアを、同じ海上航路上の場所として並べないようにしましょう。
広い西アジアとの関係を理解するには、沿岸の港と、その先の陸上・河川のつながりを分けて見る必要があります。

5.『シヌヘの物語』――異国の成功だけでは終われない

国を治める王と、遠くへ向かう人々。
この二つを、ひとりの人生として描いた作品が『シヌヘの物語』です。
中王国に成立したとされ、当時の写本も伝わる、エジプト古典文学の代表作です。

宮廷に仕えるシヌヘは、王の死を知ると、不安に駆られてエジプトを離れます。
異国で助けられ、西アジアの有力者のもとで地位を得て、戦いでも力を示します。
故郷を離れた人物が、新しい場所で自分の居場所を築いていく物語です。

ところが、異国での成功が物語の終着点にはなりません。
年を重ねたシヌヘは、エジプトへ帰り、故郷の習わしに従って葬(ほうむ)られることを望みます。
王に招かれて帰還する結末には、国への帰属(きぞく)意識と、王のもとで得る安らぎが重なっています。

ここで面白いのは、主人公が初めから落ち着いた忠臣として描かれていないことです。
彼は恐れ、逃げ、異国で暮らし、最後に帰郷(ききょう)を願います。
王をたたえる表現と、ひとりの人間の揺れる気持ちが、同じ作品の中にあるのです。

王の交代を聞いて、とっさに国外へ走り出すシヌヘ。
現代の会社員にたとえるなら、「社長交代のお知らせ」を読んだ直後、退職届より先に出国してしまうような慌てぶりです。
もちろん古代の王位継承は現代の人事異動とは違いますが、この落ち着かなさが、遠い時代の人物を急に身近にしてくれます。

中王国の書記が物語を書き写し、異国での成功と帰郷の願いを語る創作2コマ漫画。

世俗文学とは、信仰がなくなった文学という意味ではない

世俗(せぞく)文学という呼び名は、神々や葬送(そうそう)の儀式だけでなく、人間の暮らしや行動、感情を主題とする物語を理解するのに役立ちます。
ただし、古代の人々の世界では、神への信仰、王の権威、生き方は深く結び付いていました。
現代の「宗教から独立した文学」という意味を、そのまま当てはめるとずれが生じます。

また、「世俗文学」と「教訓文学」は、必ずしも互いを除外する分類ではありません。
教訓文学は、人にどのように生き、振る舞うべきかを説く作品の呼び名です。
物語にも教訓を読み取れますが、物語形式の作品と、直接教えを説く作品の特徴を分けて見ると分かりやすくなります。

6.パピルスの上で、人は何を問いかけたのか

中王国の文学を支えた筆記材料の一つが、パピルスです。
植物の茎から作る紙に似た材料で、その上にインクと筆記具で文字を書きました。
実際に伝わる『シヌヘの物語』の断片にも、神官文字で書かれた中王国後期のパピルスがあります。

神官文字は、ヒエラティックとも呼ばれます。
神聖文字、つまりヒエログリフと関係する、手書きに向いた字体です。
「神官」という日本語名が付いていても、神官が宗教の内容を書くときだけに使った文字ではありません。

王名や神々の姿を石に刻む仕事と、帳簿や物語を筆で書く仕事では、材料も書く速さも異なります。
文字の違いを考えるときは、形だけでなく、何のために、どこへ書いたのかにも目を向けてみてください。

『雄弁な農夫の物語』と、言葉で訴える人間

中王国の文学には、『雄弁(ゆうべん)な農夫の物語』もあります。
不正な扱いを受けた人物の訴えを通じて、正しい裁きや、言葉の力が問われる作品です。
王や高官の側から命令する文章だけでなく、訴える人間の声を文学として味わえる点が魅力です。

『シヌヘの物語』では帰郷と王への帰属を、『雄弁な農夫の物語』では不正と正義を考えられます。
どちらも、人が大きな社会の中でどう生きるかという問いにつながっています。
ただし、物語中の事件を、そのまま実際に起きた事件の記録として読むことはできません。

テーベの中王国後期の墓から出た文書群には、この二作品の写本に加え、儀礼(ぎれい)文書や要塞からの報告の写しもありました。
文学、宗教、行政の文書が、同じ時代の書く文化の中にあったことを伝える資料です。

文学が豊かだったことと、誰もが自由に読書できたことは、同じではありません。
写本の存在は書き手や読み手の活動を示しますが、それだけで全国民の読み書きの能力を測ることはできません。
当時の読書を、現代の書店や大量出版と同じ姿で想像しないことも必要です。

7.『メンフィスの劇』と、異なる時代の文書を読む

人間を描く物語が育つ一方で、神々と世界の成り立ちを語る文章も、エジプトの言葉の文化に大切な位置を占めています。
『メンフィスの劇』の名で紹介されることがあるメンフィス神学では、プタハが重要な神として登場します。

その内容を伝える著名な資料が、シャバカ石です。
現存する石碑は中王国の作品ではなく、ずっと後の第25王朝、紀元前8世紀末頃のものです。
そこには、プタハが思考と言葉によって世界を形づくるという創造観が記されています。

碑文(ひぶん)は、傷んだ古い文書を王が写させたという形で語ります。
しかし、そこから直ちに原文の成立年代が決まるわけではありません。
古い文体を用いて権威を与える表現も考慮する必要があり、原形の年代や文書の解釈には議論があります。

シャバカ石を、中王国に成立したことが確定した宮廷演劇の台本として扱うことはできません。

ここで分けて考えたいのは、現存する資料が作られた年代、そこに語られる伝承の年代、実際に上演されたかどうかです。
神々の発言や儀礼的な構成があることと、現代の劇場のような上演があったことは、別に検討する必要があります。

なお、中王国の儀礼を考える資料には、センウセルト1世の像に関わる儀礼を記した、いわゆるラメセウム演劇パピルスもあります。
こちらをシャバカ石と同じ文書と考えず、物語文学、儀礼の文書、後世の神学をそれぞれの資料から読んでいくと、言葉の文化をより立体的に捉えられます。

8.青い工芸品から、時代の違いを見つける

文字を離れ、手のひらに載る工芸品にも目を向けてみましょう。
中王国には、青や青緑に輝くファイアンスの品々がありました。
主に石英(せきえい)を材料とし、表面にガラス質の層を持つ素材で、小像や装身具などに使われました。

見た目がガラスのように光るからといって、器全体がガラスでできているとは限りません。
エジプトで本格的なガラス製造が展開するのは、主に新王国の第18王朝以降のことです。
中王国のファイアンスと、後のガラス容器は、材料と技法を分けて見ると、工芸の変化をつかみやすくなります。

交易で届く品々を調べるときも同じです。
形が似ているかだけでなく、何でできているか、どこで作られたか、いつの層から出たかを重ねることで、交流について言えることが増えていきます。

9.年表と3問の解説で、時代の位置を確かめる

ここまでの出来事を、古王国・中王国・新王国の順に置いてみます。
表の年代は目安です。
王の治世や時代の境目には研究上の違いがあるため、本記事では大きな流れを優先しています。

中王国を中心とする時代の見取り図
時期主な出来事見分ける鍵
紀元前3千年紀の古王国メンフィス周辺を中心に王権が発展。第4王朝にギザの三大ピラミッド巨大な王墓と古王国の王権
古王国後〜前2030年頃第一中間期。地方勢力や複数の政治中心が並び立つ分裂から再統一へ
前2030年頃メントゥホテプ2世が再統一テーベと中王国の始まり
前20世紀頃〜前19世紀頃第12王朝。イチ・タウイを中心に統治。センウセルト3世の中央集権化とヌビア遠征国家の再編と南方の要塞網
前1650年頃〜前1550年頃第二中間期。北のヒクソスと南のテーベの王朝などが並立複数勢力による支配
前1550年頃以降新王国。アハモセ1世の再統一、対外進出テーベのアモン=ラーの大きな権威
前14世紀アメンホテプ4世のアトン信仰改革とアマルナ遷都新王国の宗教改革
前7世紀アッシリアによるエジプトへの軍事進出中王国から千年以上後

中王国から第二中間期への移行は、ヒクソスが突然現れて一度にすべてを倒した、という一場面だけでは説明できません。
王権の変化に加え、ナイル東部デルタに定住した西アジア系の人々を背景とする勢力が力を伸ばし、やがてヒクソスの王たちが北を支配しました。
その後、南のテーベから進んだ王家が再統一を果たし、新王国へつながります。

問1の解答:(イ)

アモンは中王国に重要性を増し、ラーと結び付いた姿でも信仰されました。
その流れが、新王国におけるアモン=ラーの大きな権威につながります。
多神教の中での神の地位上昇と、ほかの神を排除する改革を区別するのがポイントです。

(ア)のギザの三大ピラミッドは古王国、(ウ)のアマルナ遷都は新王国の出来事です。
また(エ)のように、中王国でアモン以外の信仰が全国一律に禁じられたわけではありません。

問2の解答:(エ)

センウセルト3世は紀元前19世紀頃、アッシュールバニパルは紀元前7世紀の王です。
千年以上離れており、この二人が戦ったという関係は成り立ちません。
アッシリアのエジプト進出は、中王国よりはるかに後の歴史に置きます。

(ア)(イ)は、センウセルト3世の統治と南方政策の特徴です。
(ウ)は中王国期の交流についての説明であり、すべてをこの王一人の政策としているわけではありません。
人物の業績と、時代全体の特徴を分けて読むことも、歴史問題を解く手掛かりになります。

問3の解答:(ア)

『シヌヘの物語』などの写本は、中王国の文学と神官文字による筆記を伝えます。
人間の不安、帰郷の願い、正義の訴えといった主題を味わえることが、この時代の文学の魅力です。

エジプトの文字文化が消えたわけではなく、物語の内容も王名の列挙だけではありません。
神官文字がパピルスに書かれた実例があることから、石壁の彫刻専用とする説明も当てはまりません。

まとめ

エジプト中王国は、再統一の後に国家の仕組みを組み直し、南のヌビアと北の地中海へ関係を広げた時代でした。
テーベのアモン信仰、イチ・タウイの政治、センウセルト3世の統治を、それぞれの場所と役割で捉えると、出来事がつながります。

そして『シヌヘの物語』には、その大きな国家の外へ出て、最後に帰郷を願うひとりの人間がいます。
王国の再建と、人間の揺れる心。
その両方を語れるところに、中王国を学ぶ面白さがあります。

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参考資料