氷河時代の日本列島と旧石器時代|ナウマンゾウはどこから来たのか

ナウマンゾウの群れと旧石器時代の人々を題材にした創作イメージ 洪積世

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問1(氷河時代と陸橋の形成)
第四紀更新世の氷期には、陸上の氷床が拡大して海水面が低下しました。大陸と日本列島の間では、時期と海峡によって陸橋が形成され、動物が移動する機会が生まれました。大陸側から渡来し、本州・四国・九州を中心に広く生息した、更新世を代表する大型の象の名称を答えなさい。

問2(旧石器時代)
日本列島で土器が出現する前、人々は打製石器を中心に木や骨の道具も使い、狩猟と採集を組み合わせて移動しながら暮らしていました。この時代を何時代と呼びますか。

答えと解説|ナウマンゾウと旧石器時代

問1の答えはナウマンゾウです。学名はパレオロクソドン・ナウマンニ(Palaeoloxodon naumanni)。日本列島では数十万年前から生息していた更新世のゾウです。小西・吉川の1999年の研究は、化石の初出を約36万〜34万年前、移入を可能にした陸橋の形成を約43万年前と推定しています。化石が最初に確認される年代と、渡来の機会を推定した年代を分けて読んでください。

問2の答えは旧石器時代です。日本列島では、国立歴史民俗博物館が約3万7千年前にホモ・サピエンスがやってきたと説明しており、後期旧石器時代を約3万7千〜1万6千年前として展示しています。人々は狩猟や採集を行い、石を打ち欠いて作る打製石器を使いながら移動性の高い暮らしを営みました。

寒冷化で海面が下がると、海峡の地形と動物の移動条件が変わります。 ナウマンゾウの渡来から日本列島の後期旧石器時代までには、数十万年の時間が流れています。その時間軸に沿って、海面・動物・人々の暮らしをたどりましょう。

深掘り|なぜ氷期になると海面が下がるのか

第四紀は約258万年前から現在まで続く地質時代で、その大部分を占める更新世には、寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が何度も繰り返されました。寒冷化が進むと、雪が夏にも解けきらず、長い時間をかけて巨大な氷床へ成長します。海から蒸発して陸へ降った水が氷として陸上にとどまるため、その分だけ海の水が減り、海面が低下します。

最終氷期最盛期には、世界の海面は現在より100メートル以上低かったと考えられています。現在は海底にある浅い大陸棚が広く陸地となり、日本列島周辺でも海峡が狭く、浅く、あるいは場所によって陸化しました。国立科学博物館も、氷期と間氷期の繰り返しの中で、氷期に陸化した海峡を通って大陸から生物が移り住んだことを展示で説明しています。

氷床の拡大と海面低下を題材にした創作イメージ
氷床と海岸線を題材にした創作画像です。景観は概念的に描いています。

海岸線が動くと、生活の舞台も動く

海面が100メートル下がったとき、陸地がどこまで広がるかは、海底の傾きで変わります。急な斜面では海岸線の移動が比較的小さく、平らで浅い大陸棚では広い範囲が陸に出ます。同じ高さの海面低下でも、地図に描く陸地の面積や、向かい合う岸の距離は場所ごとに違ってくるのです。

海峡を横断する経路では、途中に残る最も深い部分が重要です。両岸近くの浅瀬が陸になっても、中央に水路が残れば、そこを越える方法が必要になります。「海面の高さ」「海底の断面」「時期」を組み合わせると、陸橋という言葉が指す具体的な地形を考えられます。地形の復元には、当時から現在までの地殻の変動も関わります。

現在の海岸線を、そのまま旧石器時代の暮らしの境界として使うこともできません。低海面期に人々が歩いた海岸の平野は、後の海面上昇で水中に沈んだ場所を含みます。現在の陸上で見つかる遺跡は、かつての活動範囲のうち、調査できた部分を示しています。海底の地形を併せて見ることが、人々の移動と暮らしの舞台を復元する手掛かりになります。

陸橋の成立は海峡と時期によって異なる

宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡は、それぞれ水深と海底地形が異なります。どの海峡が陸化したかを確かめるには、対象とする時期の海面の高さと、その場所の地形を照合する必要があります。海面低下は、浅い海域で陸橋ができる機会を増やしました。

対馬海峡を扱った松井・多田・大場の1998年の研究は、最終氷期最盛期の海峡水深をモデルにより数メートル程度、条件を変えると約10メートルと推定し、漂砂で海峡が埋まった場合には短期間の陸橋が成立した可能性を論じています。一方、河村の1998年の研究は、哺乳類化石の分布から、ナウマンゾウ移入後の本州・四国・九州が大陸や北海道から隔離されたと考えています。この時期の接続状態は、使う証拠や復元条件によって見解が分かれています。

日本列島周辺の海峡の位置関係を示す学習用の模式図
海峡の位置関係を示す学習用模式図です。海岸線は模式化されており、実際の接続は時期と海底地形に応じて検討します。

ナウマンゾウはいつ、どこから日本列島へ来たのか

ナウマンゾウの化石は日本各地から見つかっています。分布を整理する際には「南方系のナウマンゾウ」「北方系のマンモスゾウ」という対比が使われます。ナウマンゾウの渡来については、東シナ海・黄海側から日本列島へ至る西方ルートの陸橋が研究されてきました。方角に加えて、渡来した時期と経路を見ると、それぞれの歴史を追いやすくなります。

小西・吉川の研究は、ナウマンゾウの初出を海洋酸素同位体ステージ10(MIS10)、約36万〜34万年前としました。化石を含む地層の年代を、火山灰層序と海洋の酸素同位体記録を使って照合した結果です。移入を可能にした陸橋は、それ以前の低海面期、MIS12の約43万年前に形成されたと推定されています。渡来の説明には、化石記録と陸橋の成立条件の両方が必要です。

化石の「初出」は、地層から読める最初の記録

化石の年代を求める作業では、まず標本がどの地層から出たかを確かめます。上下にある火山灰層や、その地域の地層の重なり方を調べ、年代が分かっている別の記録と対比します。化石の名前と産地に加えて、出土した層の位置が必要なのは、この順序を組み立てるためです。

約36万〜34万年前という初出は、研究で年代を対比した地層の中で、ナウマンゾウが最初に確認される時期です。実際に最初の個体が列島へ到着した瞬間を直接記録した数字とは性質が違います。約43万年前の陸橋形成は、低海面期と動物相の変化を対応させて、移入が可能だった機会を推定した年代です。二つの数字は、別々の資料から列島への移入を探る際の手掛かりとなります。

たとえば、ある地域で新しい動物の化石が現れたら、その前後に海峡の接続を可能にする低海面期があったかを調べます。同時に、ほかの哺乳類の分布の変化も比較します。地層、海面、動物相という異なる資料を重ねることで、渡来の経路と時期について検討できる範囲が広がります。

マンモスは北方から北海道へ渡来した

マンモスゾウの仲間は、後期更新世の後半にシベリアからサハリンを経て北海道へ入ったと考えられています。これに対し、ナウマンゾウはそれより前から本州・四国・九州を中心に分布していました。北海道では時期によってナウマンゾウとマンモスゾウの分布が入れ替わった可能性も研究されています。

北海道のマンモス化石の年代を調べた研究は、寒冷な時期にマンモスが生息し、比較的温暖な時期にナウマンゾウへ入れ替わった可能性を示しています。化石の数や分布には限りがあり、入れ替わりの全過程には未解明の点が残ります。海面変化で移動経路が変わることに加え、気候と生息環境の変化も動物相に関わりました。

ナウマンゾウの群れを描いた創作イメージ
ナウマンゾウの群れを描いた創作画像です。図中の「人類登場」は、日本列島への人類の到来を指します。

2026年の再測定が示す、絶滅年代の新しい推定

日下宗一郎ほかの2026年の研究は、本州・四国のナウマンゾウ化石を、不純物を減らす限外ろ過法で再測定しました。最も新しい化石記録は約3万6400〜3万5700年前で、統計的な絶滅推定は約3万4100〜3万2700年前です。いずれも暦年へ較正した年代で、最後の化石と絶滅時期の推定を分けて示しています。

著者らは、旧石器時代の遺跡分布と年代を比較し、絶滅に対する気候変動の影響を重視し、人類の影響を限定的と解釈しています。分析できた化石には数と地域の限りがあり、追加の再測定が必要です。人類との関わりや生息期間は、こうした年代資料から検討されます。

化石を洗い分ける方法が、時間の見積もりを変える

骨の放射性炭素年代測定では、骨に残ったコラーゲンというタンパク質から炭素を取り出して調べます。長く地中にあった骨には、後から別の物質が入り込むことがあります。2026年の研究は、化石骨の前処理に限外ろ過法を使い、長い鎖のコラーゲンを抽出して、混入物を減らしました。

放射性炭素は時間とともに減少するため、古い試料ほど測定する量が少なくなります。そこへ新しい炭素が少量混じると、年代が若く見積もられる原因になります。研究チームが測定前の処理を重視したのは、化石そのものに由来する炭素を、できるだけ適切に取り出すためです。骨をどのように処理したかは、結果の数字と同じく大切な情報になります。

最も新しい化石の年代は、実際に測れた標本の終点です。その後も生息していた期間を含めて絶滅時期を推定するには、標本の年代分布を使う統計的な検討が加わります。冒頭に示した二つの年代幅は、それぞれ「最後に確認できる標本」と「分析による絶滅時期の推定」を表しています。追加標本の測定によって、推定の精度を高めていく余地が残っています。

人類の移動は遺跡や石器から確かめる

国立歴史民俗博物館は、約3万7千年前にホモ・サピエンスが日本列島へやってきたと説明しています。この時期には、ナウマンゾウがすでに長く列島に生息していました。動物の渡来と人類の到来は、それぞれの年代と証拠からたどれます。

大型動物の化石は、大陸との陸橋が成立した時期を考える手掛かりになります。人類の到来や移動経路を調べるには、遺跡の分布、石器、年代測定などを照合します。何を証拠にした推定かを確かめると、列島の自然史と人類史を具体的につなげられます。

後期旧石器時代初めの人々と、大型動物の関わり

日本列島の後期旧石器時代には、人々は植物の採集と動物の狩猟を組み合わせ、食料や石材を求めて移動しました。人類の活動を示す遺物と、ナウマンゾウなどの動物化石が、当時の生活環境を知る手掛かりになります。

長野県の野尻湖では、ナウマンゾウやヤベオオツノジカの化石とともに、ナイフ形石器やスクレイパーなどの石器、骨製の道具、木製の槍状遺物が見つかっています。野尻湖ナウマンゾウ博物館は、これらを約4万年前の人々による狩猟・解体の場の証拠と考えています。狩猟・解体場という解釈は、出土した化石と道具にもとづく推定として紹介されています。

野尻湖では、骨と道具の位置関係を調べる

野尻湖の資料には、動物化石と石器に加えて、骨や木を使った遺物があります。博物館が紹介する骨製品には、皮を処理する道具や、骨を割るための道具と解釈されたものが含まれています。大型動物から得られるものは肉に加え、皮や骨もあり、解体後の加工までを考える材料になります。

発掘で調べるのは、遺物の形と、それが見つかった位置です。骨と道具がどの層にあり、どのように散らばっているかを記録することで、同じ場所で行われた活動を検討できます。博物館の狩猟・解体場という推定も、こうした遺物と分布の観察にもとづきます。自然に流されて集まった可能性など、堆積の過程を確かめることが、活動の解釈に関わります。

木製の槍状遺物が残ったことは、石以外の材料を使う技術を知るうえでも重要です。植物や骨の材料が保存された場所からは、石器中心の資料だけでは見えにくい加工の仕事を考えられます。道具の用途や年代は個々の出土条件に即して検討し、野尻湖の資料を列島全体の一律の生活像へ広げる際には地域差を確かめます。

打製石器を中心に、木や骨も道具にした

打製石器は、石を打ち欠いて刃や形を整えた道具です。旧石器時代の暮らしを知る重要な資料で、切る、削るなどの作業に使われました。木や骨も道具の材料になりました。木は腐りやすく、骨も土壌の条件などによって残り方が変わるため、石器に比べて遺跡で確認できる機会が限られます。

日本の旧石器時代は、土器の出現に先立ち、打製石器を中心とする道具で狩猟採集生活を営んだ時代として整理できます。約1万6千年前ごろから土器が現れ、縄文時代草創期へ移ります。国立歴史民俗博物館は草創期を約1万6千〜1万1千年前とし、土器の出現を重要な変化として展示しています。

獲物を探し、石材を選び、道具を作り、肉・皮・骨を利用するには、経験と技術が必要でした。道具の形と材料、出土した場所を合わせて見ることで、食料を得る作業から暮らしの仕組みへと理解を広げられます。

石器や木・骨の道具を作る人々を描いた創作イメージ
旧石器時代の道具作りを描いた創作画像です。人物・服装・道具は学習用のイメージです。

石器の破片から、道具作りと移動を読み解く

石を割る順序は「接合」で確かめられる

石器を作ると、刃として使う部分と、打ち落とされた破片が生まれます。出土した破片どうしを合わせ、割れる前の石の形や、割った順序を復元する研究を「接合」と呼びます。完成した道具の種類に加えて、作る途中の作業を調べられる方法です。

埼玉県の砂川遺跡は、明治大学博物館が石器の接合と移動生活の研究例として紹介する遺跡です。ばらばらに見つかった石器を合わせると、同じ石に由来する破片が、どの場所へ分かれて残ったかを確かめられます。出土位置の記録があるからこそ、石を加工した場所と、破片や道具が移った場所の関係を検討できます。

移動の多い生活では、次の場所で必要な刃を作るための石も大切になります。原石を持ち運ぶ、あらかじめ刃を取り出す、使った刃を整え直す、といった作業は、出土した石核や破片、加工された刃の組み合わせから考えられます。石核は、剥片を取り出すもとになった石です。石器群を一式で見ると、道具作りが移動生活の準備と結びついていたことを理解しやすくなります。

刃の形と石材を、仕事に結びつけて見る

石を打ち割ると鋭い縁ができますが、どの向きから、どの位置を打つかで、得られる破片の形が変わります。道具を調べる際には、刃の加工、握ったり柄に取り付けたりする部分、作る途中の痕跡を観察します。同じ「石器」という名の中にも、必要とする形や加工の仕方に違いがあります。

明治大学博物館では、岩宿遺跡の資料として刃部磨製石斧と打製石斧を紹介しています。刃部磨製石斧は、刃になる部分を磨いて整えた道具です。打ち欠く作業と磨く作業は、道具の部位に応じて組み合わせられました。木の加工を含めて暮らしを考えると、石の刃を作る技術と、別の材料を加工する技術がつながります。

黒曜石が伝える、山と海を越える往来

原産地を調べると、石材の移動が見える

黒曜石は、火山活動によってできた天然のガラスで、割ると鋭い刃を作れる石材です。産地が限られているため、どの産地の石がどこで使われたかを調べると、人々の活動範囲や石材の受け渡しを考えられます。遺跡で見つかった道具を、原産地の岩石と比較する研究が、その手掛かりを与えます。

原産地推定に使われる方法の一つが蛍光X線分析です。石に含まれる元素の特徴を測定し、原産地の資料と照合します。国立科学博物館の航海プロジェクトで黒曜石研究を紹介する池谷信之は、この方法で旧石器時代の神津島産黒曜石の移動を調べてきました。見た目の色だけで産地を決めるより、比較の根拠を具体的に示せます。

神津島産の黒曜石は、約3万8千年前までさかのぼる本土側の資料から確認されています。石材の産地と出土地点の間に海があるため、この資料は、後期旧石器時代初めの海上運搬を考える重要な証拠です。材料を得るための活動には、海岸での移動や舟の準備、運ぶ量の判断も関わったと考えられます。

原産地の分かる石材は、物が移動したことを示します。採取した人が利用地点まで運んだのか、途中で別の人へ渡したのかは、複数遺跡の分布や年代、加工の段階からさらに検討する問題です。完成品だけが届いた場所と、製作途中の破片が多い場所を比べると、石材を得る仕事と道具を作る仕事のつながりを探れます。

海を越える技術は、実験でも検討されている

旧石器時代の海上移動を研究する方法には、当時利用可能だった材料と道具で舟を作り、航海の可能性を調べる実験もあります。国立科学博物館の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」は、台湾と与那国島の間で、丸木舟による実験航海を行いました。

2019年には5人が舟を漕ぎ、星や太陽を頼りに針路を定めて、225キロメートルを渡りました。2025年に公表された最終分析は、当時の黒潮と舟の性能を併せて検討しています。海流、舟、漕ぐ人、針路の取り方が、海を越える条件として互いに関わることが分かります。

これは台湾・与那国間で行った実験であり、神津島航路そのものを再現したものとは区別します。また、実験で航海できた事実は、旧石器時代の舟の形を直接発掘した証拠とは別です。黒曜石の移動が示す海上運搬と、実験が示す技術的な可能性を組み合わせると、人々が海と向き合った具体的な条件を考えられます。

ギュンツ氷期・ミンデル氷期はどう扱えばよいか

ギュンツ、ミンデル、リス、ヴュルムは、アルプス北麓の地形や堆積物をもとに20世紀初頭に組み立てられた氷期区分です。古い地学書や歴史教材にも登場します。アルプスの氷河が残した地形を地域内で整理し、寒冷期の繰り返しをとらえた区分でした。

国際層序委員会の第四紀層序小委員会は、アルプスの古典的区分が20世紀前半には広く用いられたものの、近年は海底堆積物や氷床コアから得られる酸素同位体記録に置き換えられたと説明しています。現在は海洋酸素同位体ステージ(MIS)という尺度がよく使われます。海底堆積物に残る酸素同位体の変化を手掛かりに、寒冷期と温暖期を世界規模で対比する方法です。

地域の氷期名と、証拠から求める年代

アルプスの氷期名は、その地域の氷河堆積物や地形にもとづく名称です。日本列島の出来事へ年代を当てはめる際には、地域の地層や化石を、海洋酸素同位体ステージなどの尺度と照合します。名称と年代の対応には、地域差や対比の根拠を確かめる必要があります。

ナウマンゾウの移入を調べるなら、日本列島での化石初出の年代と、それに先行した低海面期が手掛かりになります。約36万〜34万年前の初出、約43万年前の陸橋形成という研究上の推定を、根拠となった化石・火山灰・海洋記録とともに読んでください。

MISで海洋記録と地域の証拠を照合する

海洋酸素同位体ステージは、一般に奇数が比較的温暖な時期、偶数が比較的寒冷な時期を表します。海底堆積物に残る酸素同位体比を使い、氷床量や海水準の大きな変化を比較する尺度です。地域の気温や植生には差があるため、日本列島の環境や人類活動を復元するときは、化石、火山灰、花粉、石器など、その地域の証拠を重ねます。

ナウマンゾウについて「MIS10に初出する」と説明できるのは、化石が見つかった地層を火山灰層序や酸素同位体層序と対比したためです。共通の時間尺度へ置くことで、化石の初出と、陸橋が成立した可能性のある低海面期を比較できます。

第四紀・更新世・最終氷期の時間幅

第四紀は約258万年前から現在まで続く地質時代で、更新世と完新世に分かれます。更新世は第四紀の大部分を占め、氷期と間氷期が繰り返された時代です。その終わり近くにある最後の大きな寒冷期が最終氷期です。

ナウマンゾウの渡来を調べるときは数十万年前、最終氷期最盛期の海面低下を調べるときは約2万年前へ目を向けます。どちらも更新世の出来事ですが、対象とする時期に大きな隔たりがあります。年代の範囲を確かめてから、当時の地理や環境を考えると整理しやすくなります。

堆積物の研究と酸素同位体による対比を題材にした創作イメージ
堆積物の研究を題材にした創作画像です。背景のグラフは学習用の模式図です。

学習で押さえる三つの条件

確かめる項目 整理した理解
海峡の接続状態 海峡ごとに水深や地形が異なり、接続状態は時期によって違う
動物が渡来した時期 ナウマンゾウの日本列島への移入は数十万年前までさかのぼり、マンモスの北海道への移入とは時期が異なる
道具の材料 打製石器を中心に、木器や骨器も使われた

復習では、海峡の地形、動物が渡来した年代、道具の材料を一つずつ説明してみましょう。設問の答えに、それを支える理由を添えられるようになります。

まとめ

問1の答えはナウマンゾウ、問2の答えは旧石器時代です。氷期に海面が低下すると、浅い海域の地形と動物の移動条件が変わりました。陸橋の成立は、海峡の水深・地形と対象とする時期によって確かめます。

ナウマンゾウの移入は数十万年前までさかのぼり、最終氷期の北海道のマンモスとは年代と経路が異なります。旧石器時代の人々は打製石器を中心に木や骨の道具も使い、狩猟採集生活を営みました。動物化石と人類の遺物をそれぞれ年代へ置くと、列島の環境と暮らしの関わりが見えてきます。

参考資料