1600年前後、表現はなぜ人間をむき出しにしたのか|『ハムレット』『ドン・キホーテ』と出雲の阿国

大学受験歴史

問1(シェイクスピアと『ハムレット』の誕生)
エリザベス1世からジェームズ1世の時代のイギリス(エリザベス朝・ステュアート朝演劇)において、ロンドンの劇場で空前の大衆的人気を博した偉大な劇作家が登場しました。

(1) 彼は『マクベス』や『リア王』など、人間の尽きない欲望や嫉妬、哀切を描いた数々の傑作を執筆しましたが、1600年頃に書かれた、デンマーク王子の復讐劇をテーマとする彼の「四大悲劇」の最高傑作とされるタイトルは何ですか。
(2) この劇作家( ① )の名前を、問題文の表記(シェークスピア)に基づいて答えなさい。

問2(セルバンテスの『ドン・キホーテ』)
スペインの文学者セルバンテスが、1605年(前編)と1615年(後編)に発表した代表作について問います。

(1) 主人公が自分を騎士だと思い込み、風車を巨人と見誤って突撃するなどの滑稽な旅を通じて、当時流行していた古い「騎士道物語」を痛烈に風刺した、近代小説の重要な先駆とされる作品は何ですか。
(2) この小説は、ルネサンス期の人文主義と近世の散文文学を考えるうえでも重要な作品です。

問3(出雲の阿国とかぶき踊り)
日本においても、戦国末期から江戸初期の1603年(慶長8年)頃、出雲大社の巫女を自称する( ② )が、京都で風変わりな衣装をまとって踊る「かぶき踊り」を始め、大きな人気を集めました。

(1) ②に入る伝説的な女性芸能者の名前を答えなさい。
(2) この踊りは、その後の女歌舞伎、若衆歌舞伎、成人男性による野郎歌舞伎へとつながり、現在の歌舞伎へ至る長い歴史の出発点になりました。

答えを先に確認すると、問1は『ハムレット』とシェークスピア、問2は『ドン・キホーテ』、問3は出雲の阿国です。

ここで三つの名前を暗記して終えると、少々もったいありません。1599年から1615年ほどの短い期間を横に眺めると、ロンドンでは巨大な公開劇場に人が集まり、スペインでは古い騎士物語を笑いへ変える小説が読まれ、京都では風変わりな踊りが評判を呼んでいました。

1600年前後は、古い文化が一斉に消えた時代ではなく、古い型を使いながら新しい表現が次々に生まれた時代として見ると分かりやすくなります。

しかも、変化は演劇と小説だけではありません。フィレンツェでは言葉と感情を前へ出す音楽が試みられ、英国宮廷では遠近法を利用した舞台装置が登場します。明では大量の知識が図入りの書物にまとめられ、ドイツでは一人の靴職人が神・自然・善悪を考える大著を書き始めました。

もちろん、これらが一つの運動として世界を巡ったという意味ではありません。国も宗教も政治制度も違います。同じ年代を横に並べて、「そのとき別の場所では何が起きていたのか」を見ていきましょう。

  1. 1599〜1615年を並べると、出来事が一つの時代になる
  2. 問1|『ハムレット』は、なぜ復讐するまでにこれほど悩むのか
    1. 答えは『ハムレット』、①はシェークスピア
    2. 1599年、まず観客を受け入れる巨大な「器」ができた
    3. 復讐劇なのに、本当に目立つのは「ためらう時間」
    4. 同じ時代の政治も舞台を変えた
  3. 問2|『ドン・キホーテ』は、風車に突進して何を壊したのか
    1. 1605年の第一部、1615年の第二部
    2. 風車事件では「頭の中の物語」と現実が正面衝突する
    3. 「最初の近代小説」と一言で終わらせない
    4. 人文主義との関係も一本線ではない
  4. 問3|1603年の京都で、出雲の阿国のかぶき踊りが評判になった
    1. ②は出雲の阿国
    2. 阿国については、分からないことも多い
    3. 女歌舞伎から若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へ
  5. 同じ頃のフィレンツェでは、「言葉を聞かせる音楽」が動き始めた
    1. カッチーニの歌曲集と独唱の広がり
    2. 複雑さより、言葉と感情を観客へ届ける
  6. 1605年の英国宮廷では、舞台空間そのものが変わった
  7. 1607年の明では、膨大な世界を「図で探せる本」にした
  8. 1612年のゲルリッツでは、靴職人ベーメが宇宙と人間を考えた
  9. 地図で見ると、1600年前後の文化は遠く離れた場所で同時に動いていた
  10. 三つの問題をつなぐ鍵は「古い型を壊した」ではなく「使い直した」こと
    1. 復讐劇の型を使い、迷う人間を描いた
    2. 騎士物語の型を使い、現実とのずれを笑った
    3. 流行の姿を取り込み、舞台の見世物に変えた
  11. 混同しやすいポイントを短く整理する
    1. 『ハムレット』は1600年ぴったりと決めない
    2. 『ドン・キホーテ』は第一部と第二部を分ける
    3. 出雲の阿国は伝説と記録を分ける
    4. 同じ時代だから、直接影響したとは限らない
  12. FAQ|試験と歴史理解で迷いやすいところ
    1. シェークスピアとシェイクスピアは、どちらが正しいですか?
    2. 『ドン・キホーテ』は「世界最初の近代小説」と覚えてよいですか?
    3. 出雲の阿国が今の歌舞伎を完成させたのですか?
    4. 三つの出来事を一緒に覚える方法はありますか?
  13. まとめ|1600年前後は、古い型の中から新しい人間表現が現れた
  14. 関連記事
  15. 参考資料

1599〜1615年を並べると、出来事が一つの時代になる

1600年前後の主な文化的出来事
年代 出来事 注目したい変化
1599年 ロンドンでグローブ座が開場 大勢の市民が演劇を見る公開劇場が栄える
1600〜1601年頃 『ハムレット』成立 復讐劇の中で人間の迷いと内面を深く描く
1601〜1602年 カッチーニの歌曲集が世に出る 独唱と言葉の明瞭さ、感情表現が重視される
1603年 京都で出雲の阿国のかぶき踊り 奇抜な服装や身ぶりが都市の観客を熱狂させる
1605年 『ドン・キホーテ』第一部刊行 騎士道物語の決まりごとを物語そのものの笑いへ変える
1605年 英国宮廷でジョンソンとイニゴー・ジョーンズが協働 遠近法を使う舞台美術が新しい視覚効果を生む
1607年 明の『三才図会』1607年刻本 膨大な知識を分類し、図と文章で見せる
1612年 ヤコブ・ベーメが『アウロラ』を執筆 神・自然・善悪を個人の思索から問い直す
1615年 『ドン・キホーテ』第二部刊行 物語と現実の関係がさらに複雑になる

この年表で大事なのは、「1600年になった瞬間に近代へ切り替わった」と考えないことです。歴史は新年の売り場のように、元日に看板を全部掛け替えてくれるほど几帳面ではありません。

古い劇の形式、騎士道物語、宮廷文化、宗教思想、伝統的な知識体系は残っています。その中で、人間の心、話し言葉、身体、視覚、現実世界を以前とは少し違う形で見せる試みが重なりました。

問1|『ハムレット』は、なぜ復讐するまでにこれほど悩むのか

答えは『ハムレット』、①はシェークスピア

問1の答えは『ハムレット』です。作者名は問題文の指定に合わせるならシェークスピア。現在の日本語では「シェイクスピア」という表記も広く使われています。

成立年は一点に固定しないほうが安全です。シェイクスピアズ・グローブは作品を「1600年頃」とし、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーは作中の少年劇団への言及などから、1601年を最も可能性の高い執筆年としています。

したがって「1600年頃」と覚え、1601年説もあると理解しておけば、年代を必要以上に一点へ固定せずに済みます。

1599年、まず観客を受け入れる巨大な「器」ができた

作品だけを見る前に、その作品が上演された都市を見てみましょう。シェイクスピアの劇団に関係するグローブ座は、旧劇場の木材をテムズ川の南側へ運んで再利用し、1599年5月までには開場できる状態になっていました。

シェイクスピア・バースプレイス・トラストによると、当時のグローブ座は最大約3,000人を収容できました。シェイクスピアズ・グローブは、1600年頃のロンドンでは複数の劇場を合わせ、週に約1万〜2万人が芝居を見ていたと説明しています。

つまり、文学史上の傑作が静かな書斎の中だけで生まれたわけではありません。町には巨大な観客市場があり、役者の声、剣劇、亡霊、笑い、殺人、政治の陰謀を大勢が同時に楽しんでいました。

王子の深い悩みは、大衆娯楽の真ん中で観客へ投げかけられたのです。

復讐劇なのに、本当に目立つのは「ためらう時間」

物語の骨格は分かりやすい復讐劇です。デンマーク王子ハムレットは、亡くなった父の亡霊から、叔父クローディアスに殺されたと告げられ、復讐を求められます。

ところが、命じられたからといって一直線に剣を抜きません。亡霊の言葉は本当なのか、自分が取るべき行動は正しいのか、そもそも生きるとは何なのか。考えるたびに次の疑問が現れます。

ここに作品の大きな特徴があります。敵を倒すという外側の事件だけでなく、決断できない心そのものを舞台上の事件にしたのです。

問題文にある「四大悲劇」は、日本で一般的に使われる分類で、『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』を指します。ただし「最高傑作」という言い方は客観的な順位ではなく、作品評価の表現として受け取るのが適切でしょう。

同じ時代の政治も舞台を変えた

1603年にはエリザベス1世が亡くなり、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位しました。シェイクスピアが所属した劇団は王の保護を受け、国王一座となります。

ここで面白いのは、劇場が単なる余暇の場所ではなかったことです。王位、継承、家族、国家、権力、裏切りといった問題を、観客は舞台上の事件として目の前で見ました。政治史と演劇史は、隣り合って動いていたのです。

問2|『ドン・キホーテ』は、風車に突進して何を壊したのか

1605年の第一部、1615年の第二部

問2の答えは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』です。スペイン国立図書館は第一部初版を1605年、第二部初版を1615年として所蔵しています。

第一部は1604年末までに印刷を終え、1605年の年記を持って販売されました。さらに1615年、セルバンテス自身による第二部が刊行されます。十年間の間に物語の世界そのものが成長していった、と見ると面白いでしょう。

風車事件では「頭の中の物語」と現実が正面衝突する

有名なのが、第一部第8章の風車の場面です。主人公は平原に立つ風車を巨大な敵だと思い、従者が止めても馬を走らせます。そして回転する羽根に突撃し、吹き飛ばされてしまいます。

笑いの中心にあるのは、主人公が見ている「騎士物語の世界」と、読者が見ている現実とのずれです。

昔ながらの騎士道物語なら、勇敢な騎士が巨大な敵へ挑むのは立派な場面になるでしょう。ところがセルバンテスは、その決まりごとを残したまま、敵をただの風車にしてしまいます。

型を捨てたのではありません。型をよく知っていたからこそ、ひっくり返して笑いにできたのです。料理の型を知らなければ「型破り」が成立しないのと少し似ています。

「最初の近代小説」と一言で終わらせない

スペイン国立図書館の解説でも、この作品が後の近代小説の基礎を考えるうえで重要なものとして扱われています。物語の中に別の物語を入れたり、語り手の立場を揺らしたり、登場人物が物語そのものを意識したりする複雑な仕掛けがあるためです。

ただし「1605年に近代小説が突然ゼロから生まれた」と覚えるのは行き過ぎです。

ヨーロッパにはそれ以前から多様な散文物語がありました。大事なのは、既存の物語形式を大量に取り込みながら、それを笑い、現実とのずれを見せ、語る行為そのものまで作品へ組み込んだ点です。

人文主義との関係も一本線ではない

ルネサンス期には、古典を読み直し、人間の言葉や行動、現実の社会へ目を向ける人文主義が発達しました。セルバンテスも、そうした知的環境と無関係な場所にいたわけではありません。

ただし「人文主義が発展したので、その結果として近代小説が生まれた」と単純な因果関係を作るのは避けましょう。文学には印刷、読者市場、既存の物語、言語文化、作者個人の経験など、多くの条件が重なっています。

問3|1603年の京都で、出雲の阿国のかぶき踊りが評判になった

②は出雲の阿国

問3の②は出雲の阿国です。日本芸術文化振興会の文化デジタルライブラリーには、慶長8年(1603年)に京でかぶき踊りを演じた記録があると説明されています。

1603年という年は、歌舞伎の始まりを覚える中心の年号です。

阿国は、当時流行していた「かぶき者」の姿を取り入れたとされます。派手な服装や大きな刀などで町を歩き、普通の身なりや振る舞いから外れた者たちです。その姿を女性芸能者が演じるのですから、観客にとってかなり目を引くものだったでしょう。

現在の感覚なら、流行の服装、踊り、寸劇、人物になりきる演技を一つの舞台へ集めたショーに近い部分があります。芸能は、最初から完成された古典として生まれたのではありません。

阿国については、分からないことも多い

ここは歴史を読むうえで大切なところです。文化デジタルライブラリーは、阿国について「出雲大社に仕える巫女と称していた」としながら、詳しいことは分かっていないと説明しています。

また、1603年に京都で踊った記録は確認できますが、阿国自身の1603年の活動場所を、今回確認した資料だけから「鴨川のこの場所」と細かく固定することはできません。

問題文の表現と、史料から確実に言える範囲は分けて覚えるのが安全です。

一方、阿国の人気が高まった時期には、京都の北野神社境内に専用の舞台を持ったとされ、1607年には江戸城で踊ったという記録も残ります。数年の間に、評判が京都の町だけにとどまらなくなっていた様子が見えてきます。

女歌舞伎から若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へ

阿国の踊りが人気を集めると、多くの女性芸能者がまねをしました。女性による女歌舞伎は大流行しますが、1629年に禁止されます。

その後に盛んになったのが、成人前の少年による若衆歌舞伎です。しかしこちらも1652年に江戸で禁止され、成人男性による野郎歌舞伎へ移っていきました。

重要なのは、出演者が変わっただけではないことです。日本芸術文化振興会の解説によると、野郎歌舞伎の時代には、歌と踊り中心だった芸能から、場面が変化する複雑な筋を持つ演劇へ発展していきます。

つまり1603年のかぶき踊りと、現在の歌舞伎をそのまま同じ姿だと考えてはいけません。しかし、都市の観客を引きつけた新しい踊りが、規制や形式の変化を経ながら長い演劇史へつながったことは押さえておきたいところです。

同じ頃のフィレンツェでは、「言葉を聞かせる音楽」が動き始めた

カッチーニの歌曲集と独唱の広がり

舞台から少し耳を音楽へ向けてみます。フィレンツェで活動した作曲家ジュリオ・カッチーニは、1600年前後の新しい声楽を考えるうえで重要な人物です。

米国議会図書館が所蔵する歌曲集『ヌオーヴェ・ムージケ』は、書誌上の刊年が1601年。一方、同館は巻末の出版者標章に1602年の日付があることも記録しています。

このため「1601年」と「1602年」のどちらかを雑に誤りとするより、書誌上の違いを知っておくほうが正確です。

同書は、通奏低音を伴う歌曲として分類されています。通奏低音とは、低音を土台にしながら和音を補って伴奏する方法で、バロック音楽を支える重要な仕組みになりました。

複雑さより、言葉と感情を観客へ届ける

16世紀末のフィレンツェでは、古代の音楽劇を手掛かりにしながら、歌詞を聞き取りやすくし、人の感情を強く伝えようとする音楽家や知識人が活動していました。

スタンフォード哲学百科事典が紹介するカッチーニの議論では、言葉が理解されなければ、音楽は聞き手の理解を十分に動かせないという考えが示されています。

複数の声を複雑に重ねることだけでなく、一人の声が言葉をはっきり届けることへ重心を移した点が、この時代の大きな変化でした。

ここでロンドンの舞台を思い出してみてください。一方では王子の独白が観客に心の迷いを聞かせ、別の地域では一人の歌手が言葉と感情を明瞭に届けようとしていました。

両者に直接の影響関係を置く必要はありません。それでも、「人間が何を感じ、何を語っているのか」を観客へ届ける方法が重要になったという同時代比較はできます。

1605年の英国宮廷では、舞台空間そのものが変わった

同じイギリスでも、公開劇場とは違う世界がありました。王侯貴族の宮廷で上演された、音楽、舞踊、詩、衣装、舞台美術を組み合わせる「マスク」と呼ばれる宮廷芸能です。

1605年1月、劇作家ベン・ジョンソンと建築家・舞台美術家イニゴー・ジョーンズが宮廷マスクで初めて協働しました。ケンブリッジ版ジョンソン作品集の研究では、ジョーンズが一つの舞台と遠近法的な背景を用い、新しい視覚表現を生み出したことが説明されています。

遠近法を使えば、平らな背景でも奥へ深く空間が続いているように見せられます。今なら映像や照明で簡単に切り替えられそうですが、当時は舞台上の「見え方」そのものが新しい驚きでした。

公開劇場では俳優の声や身体が強い武器になり、宮廷では建築、衣装、音楽、遠近法を合わせて観客の目を驚かせる。1600年代初めのイギリスには、性格の異なる二つの舞台文化が並んでいたのです。

1607年の明では、膨大な世界を「図で探せる本」にした

ヨーロッパから東アジアへ目を移すと、明代の中国では王圻・王思義が編んだ『三才図会』があります。「三才」とは天・地・人のことです。

故宮博物院は所蔵本を、明の万暦35年、つまり1607年の槐蔭草堂刻本、全106巻として紹介しています。東京大学東洋文化研究所も、王圻編の106巻からなる図像資料としてデータベース化しています。

天文、地理、人物、衣服、道具、動物、植物など、非常に広い分野を分類し、文章だけでなく図によって示しました。現代の百科事典や画像検索と同じものではありませんが、「知りたい項目を分類から探し、図でも理解する」という発想は親しみやすいでしょう。

劇場では人物を「見せる」工夫が進み、宮廷舞台では遠近法で空間を「見せ」、中国では知識を図で「見せる」。用途はまったく違っても、視覚が担う仕事の大きさに注目すると、時代の見え方が少し変わってきます。

1612年のゲルリッツでは、靴職人ベーメが宇宙と人間を考えた

ドイツのゲルリッツでは、靴職人として働いていたヤコブ・ベーメが1612年、のちに『アウロラ』と呼ばれる原稿を書きました。

German History Intersectionsが公開する資料では、ベーメ自身が1612年にゲルリッツで著したことが確認でき、神、自然、善と悪、人間、天国と地獄などを大きな枠組みで考えています。

大学教授でも宮廷学者でもない人物が、自然と神と人間を一つの世界像の中で考えようとした点は興味深いところです。その思想は正統派神学者から攻撃も受けました。

ここからシェイクスピアやセルバンテスとの直接的な思想交流まで想像することはできません。

ただ、劇の王子が自分の心を問い、小説の主人公が頭の中の物語と現実の間で揺れ、別の土地では一人の職人思想家が善悪と宇宙を考えていた。同じ十数年間に、人間の内側へ向かう問いが複数の場所に現れていたことは確かです。

地図で見ると、1600年前後の文化は遠く離れた場所で同時に動いていた

ここまでに登場した主な場所を並べると、ロンドン、マドリード、フィレンツェ、ゲルリッツ、京都、そして明の中国です。

ロンドンでは公開劇場と宮廷舞台、マドリードでは新しい小説の出版、フィレンツェでは独唱歌曲、京都ではかぶき踊り、ゲルリッツでは宗教的・哲学的思索、明では大規模な図入り類書が動いていました。

地図に置く意味は、「全部がつながっていた」と証明することではなく、「同じ年の世界には、これだけ違う出来事が同時に存在した」と実感することです。

当時の人が現在の世界地図を広げ、各都市の文化ニュースを毎朝確認していたわけではありません。情報が移動する速度も、届く範囲も現代とは大きく違います。

それでも私たちは、後世から同じ年代を横に見ることができます。国別に暗記した出来事を「同じ時間の上」に戻すと、文化史は急に立体的になります。

三つの問題をつなぐ鍵は「古い型を壊した」ではなく「使い直した」こと

復讐劇の型を使い、迷う人間を描いた

『ハムレット』には復讐、亡霊、殺人という昔から人気のある要素があります。しかし、その中に膨大な独白と自己疑念が入り込みました。

外側の筋は昔からあるのに、観客が注目する中心には「自分はどう行動すべきか」と考え続ける人間がいます。

騎士物語の型を使い、現実とのずれを笑った

『ドン・キホーテ』も、騎士道物語をすべて捨てたのではありません。騎士、冒険、敵、姫への思慕という材料を使いながら、その決まりごとと現実がぶつかったときの滑稽さを描きました。

風車事件が今も分かりやすいのは、私たち自身にも「思い込みによって同じ景色が別物に見える」経験があるからでしょう。

流行の姿を取り込み、舞台の見世物に変えた

出雲の阿国のかぶき踊りでは、当時の町で目立っていた「かぶき者」の服装や振る舞いが、舞台の表現へ取り込まれました。

その後、規制によって出演者や形式は大きく変わります。それでも、時代の流行を舞台へ持ち込み、観客を驚かせるという力が、芸能を広げる出発点の一つになりました。

三つに共通して見えるのは、伝統を全部捨てたことではなく、すでにある型を別の角度から使ったことです。

混同しやすいポイントを短く整理する

『ハムレット』は1600年ぴったりと決めない

シェイクスピアズ・グローブは1600年頃、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーは1601年を最も可能性の高い年としています。試験では出題資料の指定を優先し、歴史として理解するときは「1600〜1601年頃」と幅を持って考えるとよいでしょう。

『ドン・キホーテ』は第一部と第二部を分ける

第一部が1605年、第二部が1615年です。「1605年に全編が完成した」と覚えてしまうと、第二部まで十年あることが消えてしまいます。

出雲の阿国は伝説と記録を分ける

1603年に京で踊ったこと、出雲大社の巫女と称していたことは公的な解説で確認できます。一方、生涯や身分の細部には不明点が残っています。

同じ時代だから、直接影響したとは限らない

ロンドン、スペイン、フィレンツェ、京都、中国、ドイツの出来事を並べるのは、同時代を理解するためです。似た変化があるからといって、人物同士が知り合いだった、作品が直接伝わった、と推測することはできません。

FAQ|試験と歴史理解で迷いやすいところ

シェークスピアとシェイクスピアは、どちらが正しいですか?

日本語の表記には揺れがあります。今回の問題は「シェークスピア」と指定しているため、答案ではその表記に合わせるのが確実です。一般の文章では「シェイクスピア」も広く使われています。

『ドン・キホーテ』は「世界最初の近代小説」と覚えてよいですか?

試験教材によっては「近代小説の先駆」と説明されます。ただし文学史では、それ以前にも多様な散文物語があります。「後世の近代小説につながる重要な作品」と理解しておくほうが、単純化しすぎません。

出雲の阿国が今の歌舞伎を完成させたのですか?

完成させた人物というより、歌舞伎の起源を語るうえで中心となる人物です。1603年頃のかぶき踊りから、女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎などの変化を経て、演劇としての歌舞伎が発展しました。

三つの出来事を一緒に覚える方法はありますか?

「1600年前後、人を見せる方法が変わる」と置いてみてください。ロンドンでは迷う王子、スペインでは現実を読み違える旅人、京都では奇抜な姿で踊る芸能者です。

そのうえで、1599年の劇場、1603年のかぶき踊り、1605年の小説刊行という順に出来事を置けば、単語だけより思い出しやすくなります。

まとめ|1600年前後は、古い型の中から新しい人間表現が現れた

今回の正答は、問1『ハムレット』・シェークスピア、問2『ドン・キホーテ』、問3 出雲の阿国です。

しかし、本当に面白いのは正答の周りで何が起きていたのかを見ることです。1599年にはロンドンで大規模な公開劇場が整い、1600〜1601年頃には復讐劇の中で「迷い続ける人間」が舞台へ現れました。

1603年の京都では、風変わりな装いと踊りが都市の観客を引きつけます。1605年のスペインでは、騎士物語を信じ込んだ主人公が現実の風車へ突進しました。

その周囲では、フィレンツェで言葉と感情を前へ出す歌曲が広がり、英国宮廷では遠近法による舞台が観客の目を驚かせます。1607年の明では膨大な知識が図入りで分類され、1612年のゲルリッツではベーメが神・自然・人間を一つの大きな問題として考えました。

17世紀初頭をつなぐ鍵は、「伝統を捨てた」ではなく、「伝統という器を使いながら、人間、現実、感情、視覚、知識を新しい方法で見せ始めた」と考えることです。

復習するときは、1599→1600〜1601頃→1603→1605→1607→1612→1615と年代をたどり、その年に「誰が何をしたか」だけでなく、「観客や読者に何を新しく見せたのか」を一言で説明してみてください。ばらばらだった名前が、一つの時代の風景として見えてきます。

関連記事

参考資料