問題1:1978年に中国の政界に正式に復帰し、「四つの現代化」(農業・工業・国防・科学技術)を掲げて、市場経済を導入する改革開放路線を推進した人物は誰ですか?
問題2:1978年、福田赳夫内閣のもとで開始された、本来は日米地位協定によってアメリカ側が負担することとされていた在日米軍基地の労働者の賃金などを、日本側が自主的に負担する予算の通称を何といいますか?
問題3:1972年の日中共同声明に基づき、1978年に日本と中国(中華人民共和国)との間で調印された、両国の平和友好関係を維持し、アジア・太平洋地域における「覇権反対」などを明記した条約は何ですか?
問題文には二つ補足が必要です。鄧小平(とう・しょうへい)が主要な党・政府・軍の職務へ正式に復帰したのは1977年7月で、1978年は改革開放への転換が明確になった年です。また、1978年度に日本側が負担を始めたのは、在日米軍施設・区域で働く労働者の福利費等です。基本給等の負担は、後の特別協定のもとで1987年度から始まりました。以下では問題文を入口にしながら、この年代差を正して説明します。
三問の答えは、問題1が鄧小平、問題2が思いやり予算、問題3が日中平和友好条約です。ばらばらの暗記事項に見えますが、1978年という年に並べると、中国の国内改革、日本の対米安全保障負担、日中関係の制度化が同時期に動いていたことが分かります。
1978年の三問を時系列で整理する
最初に、年代をそろえておきます。ここを押さえると、「鄧小平が1978年に復帰した」「1978年から日本が米軍労働者の基本給を負担した」という混同を避けられます。
| 時期 | 出来事 | 意味 |
|---|---|---|
| 1977年7月 | 鄧小平の主要職務が復活 | 政治指導部へ正式に復帰 |
| 1978年度 | 在日米軍駐留経費の日本側負担を拡大 | 労働者の福利費等を日本側が負担 |
| 1978年8月12日 | 日中平和友好条約に署名 | 1972年の日中共同声明を基礎に平和友好関係を条約化 |
| 1978年10月23日 | 同条約が発効 | 東京で批准書を交換。鄧小平副総理も訪日 |
| 1978年12月18〜22日 | 中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議 | 経済建設を重視し、改革開放へ進む大きな転換点 |
1978年の要点は、「一つの事件が三つを生んだ」のではなく、冷戦下の東アジアで異なる三つの調整が重なったことです。同じ年に起きたからといって、改革開放が思いやり予算を生み、その結果として日中平和友好条約が結ばれた、という一本の因果関係ではありません。

鄧小平の復帰は1977年、改革開放の転換点は1978年
鄧小平は文化大革命のなかで失脚と復権を繰り返した政治家です。1976年にも再び職務を失いましたが、1977年7月の中国共産党第10期中央委員会第3回全体会議で、中共中央副主席、国務院副総理などの主要職務が復活しました。したがって、問題1の「1978年に正式に復帰」は一年ずれています。
1978年が鄧小平と強く結びつく大きな理由は、12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議、いわゆる三中全会です。この会議は、党と国家の重点を経済建設へ移し、改革開放へ進む転換点として位置づけられています。
「四つの現代化」は鄧小平が1978年に作った言葉ではない
四つの現代化は、農業・工業・国防・科学技術の近代化を進める国家目標です。構想そのものは鄧小平の1978年の新案ではなく、周恩来(しゅう・おんらい)が1960年代から提起し、1975年の全国人民代表大会でも改めて示していました。文化大革命後、この目標が国家再建の中心課題として強く押し出されていきます。
鄧小平の特徴は、イデオロギーの看板だけで政策を選ぶのではなく、生産や生活の改善に役立つかを重く見る実務的な姿勢にありました。後に「白猫黒猫論」として広く知られた猫の比喩も、もとは1962年に農業生産の回復方法を論じた際の発言です。この比喩を1978年に生まれた改革開放の標語として扱うと、年代を取り違えます。

改革開放は「一夜で市場経済へ移った」という意味ではない
改革開放は、国内の経済制度を改革しながら、外国との貿易・投資・技術交流を広げていく長い過程です。1978年の三中全会はその大きな入口ですが、政策はその後、段階的に具体化されました。たとえば1980年には深圳(しんせん)、珠海、汕頭、厦門に経済特区が設けられ、対外経済協力や技術交流を進める実験の場となりました。
ここで「市場の仕組みを取り入れた」と「政治体制まで自由化した」を同じ意味にしないことが大切です。中国共産党の指導体制は維持され、その枠内で経済運営の方法が変えられていきました。改革開放は、資本主義国への一括転換ではなく、社会主義体制のもとで経済建設を優先する方向へ政策を組み替えた過程として理解すると筋が通ります。

思いやり予算は何を日本が負担し始めたのか
思いやり予算は、在日米軍の駐留に関わる経費のうち、日本側が負担する経費を指す通称です。防衛省の現在の資料では、同盟強靱化予算(在日米軍駐留経費負担)という名称が使われています。
1978年度に始まったのは、日米地位協定の範囲内での駐留軍等労働者の福利費等の負担です。翌1979年度からは提供施設整備費等の負担も始まりました。その後、1987年度からは特別協定を結び、基本給等の労務費にも日本側負担が広がります。制度は一度に完成したのではなく、費目が段階的に増えていったのです。
背景には、1970年代の日本で物価や賃金が上昇し、国際経済情勢も変化したことで、米側が負担する駐留経費が増えていた事情がありました。日本政府は、在日米軍の駐留を円滑で安定的なものにする施策として負担を拡大しました。
「思いやり」という言葉だけを見ると、好意で費用を出したように聞こえます。ところが実際に扱っているのは、安全保障体制を運用するための財政負担です。名前は柔らかくても、中身はかなり制度的です。歴史用語は、ときどき看板と中身の温度差が大きいものですね。
覚えるときは「1978年度=福利費等から開始、基本給等は後」と分けると、問題文の表現に引きずられにくくなります。

日中平和友好条約は1972年の国交正常化をどう受け継いだのか
問題3の答えは日中平和友好条約です。正式名称は「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」。1978年8月12日に北京で、日本の園田直外務大臣と中国の黄華外交部長が署名し、10月23日に東京で批准書が交換されて発効しました。
この条約の前提にあるのが、1972年9月29日の日中共同声明です。共同声明によって日本と中華人民共和国は外交関係を樹立し、両国は平和友好条約の締結を目的として交渉することにも合意しました。つまり、1972年が国交正常化の出発点で、1978年はその関係を条約として安定させる段階です。
「覇権反対」は冷戦と中ソ対立のなかで読める
条約第2条では、両国がアジア・太平洋地域でも他の地域でも覇権を求めず、覇権を確立しようとする他国または国の集団の試みに反対するとしています。さらに第4条は、この条約が第三国との関係に関する各締約国の立場へ影響を及ぼさないと定めています。
この二つを合わせて読むと、当時の外交上の慎重さが見えてきます。1970年代は米ソ冷戦に加えて中ソ対立も続いており、ソ連は反覇権条項が自国へ向けられたものだと強く警戒しました。一方、日本政府は、条約締結が対ソ友好政策と矛盾しないとの立場を示していました。「覇権反対=条文にソ連を名指しした」と読むのは正確ではありません。
同じ1978年10月には、批准書交換に際して鄧小平副総理が訪日しました。日中関係の制度化と、中国が国外の技術や経済発展の姿を積極的に学ぼうとする時期が重なっていた点は、1978年を理解するうえで興味深いところです。ただし、訪日だけを改革開放の直接原因とするのは行き過ぎです。

三つの出来事を一緒に見ると、1978年の位置づけが分かる
三問を一つの年に並べる価値は、共通の原因を探すことではありません。それぞれが何を調整しようとしたのかを見ることにあります。
中国では、文化大革命後の国家運営を経済建設中心へ組み替える動きが進みました。日本では、日米安全保障体制を維持する費用負担のあり方が変わり始めます。そして日中間では、1972年に正常化した外交関係を、平和友好条約という制度的な枠組みで支える段階へ進みました。
1978年は、「中国の内政」「日米同盟」「日中外交」という三つの別の線が、同じ東アジアの時間軸の上で動いた年です。この三本を分けたまま並べられると、年号暗記から一段進み、背景と関係を自分の言葉で説明しやすくなります。
まとめ|1978年を三本の線で覚える
答えは、鄧小平、思いやり予算、日中平和友好条約です。ただし、鄧小平の主要職務への正式復帰は1977年で、1978年は改革開放への転換が明確になった年です。また、1978年度の日本側負担は福利費等から始まり、基本給等は後の段階で加わりました。
復習するときは、「中国の改革」「日米の負担」「日中の条約」という三つの見出しだけを紙に書き、それぞれ1978年に何が動いたのかを一文ずつ説明してみてください。年号と用語が、出来事の関係を考えるための手がかりに変わります。
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- 1972年、沖縄返還・日中国交正常化・ストックホルム会議は何を変えた? — 1978年の日中平和友好条約につながる日中国交正常化の経緯を確認できます。
- 冷戦が終わり、消費税と平成が始まった|1989年、日本と世界の節目 — 1978年の背景にあった冷戦が、約10年後にどう終結へ向かったかを学べます。
参考資料
- 外務省「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」(2026年9月15日確認)
- 外務省「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(2026年9月15日確認)
- 外務省外交史料館「特別展示『日中国交正常化50年』」(2026年9月15日確認)
- 外務省「昭和54年版外交青書 第3章 わが国の行った外交努力」(2026年9月15日確認)
- 防衛省「同盟強靱化予算(在日米軍駐留経費負担)」(2026年9月15日確認)
- 中華人民共和国国家档案局「1977年7月17日:中国共产党第十届中央委员会第三次全体会议关于恢复邓小平同志职务的决议」(2026年9月15日確認)
- 全国人民代表大会「第11期3中全会と改革開放に関する説明」(2026年9月15日確認)
- アジア経済研究所「中国的特色を有する現代化」(2026年9月15日確認)
- 中国共産党新聞網「不管白猫黑猫,会捉老鼠就是好猫」(2026年9月15日確認)
- 中国法院網英語版「広東省経済特区条例承認決議」(2026年9月15日確認)

