問題1:1960年代後半のアメリカで、ベトナム反戦運動や公民権運動などを背景に、既成の体制や主流文化の価値観に対抗する形で広がった文化を何といいますか?
問題2:高度経済成長期の日本で社会問題となった四大公害病の一つで、富山県神通川流域においてカドミウム汚染によって引き起こされた病気は何ですか?
問題3:1967年に佐藤栄作首相が国会答弁で示した「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という三つの原則を何といいますか?
答えは3つ。でも、覚えたいのは「社会を問い直す動き」です
- 問題1:カウンターカルチャー
- 問題2:イタイイタイ病
- 問題3:非核三原則
単語だけなら、ここで答え合わせは終わります。ただ、歴史を学ぶ面白さは、三つの言葉を別々の引き出しにしまうことではありません。なぜ同じ時期に、戦争への抗議、公害被害への訴え、核兵器をめぐる原則が大きな社会問題になったのでしょうか。
三つに共通するのは、国や企業、主流文化が示す「これが発展だ」「これが普通だ」という考え方を、人びとがそのまま受け入れなくなったことです。
アメリカでは、若者を中心にベトナム戦争や人種差別への疑問が広がりました。日本では、経済成長を支えた産業活動の一方で、公害によって生活や健康を損なわれた住民が声を上げます。そして核兵器についても、日本は冷戦下の安全保障と被爆国としての立場を同時に考えなければなりませんでした。
もちろん、カウンターカルチャーとイタイイタイ病、非核三原則の間に直接の因果関係があるわけではありません。三つを無理に一つの運動として扱うのではなく、1960年代後半から1970年代初頭に社会の価値観や政策が問い直されたという共通の時代背景から眺めると、問題文の意味がつかみやすくなります。

問題1:カウンターカルチャーは、主流文化への対抗から生まれた
問題1の答えはカウンターカルチャーです。英語の「counterculture」は、社会で主流となっている価値観や生活様式に対して、異なる価値や生き方を示す文化を指します。
1960年代のアメリカでは、この言葉が若者文化と強く結びつきました。音楽や服装だけを見ると、派手な流行の話に見えるかもしれません。しかし、その背景にあったのは、戦争、人種差別、権威、消費社会などへの疑問です。
ベトナム戦争への反対が若者文化と結びついた
アメリカでは1960年代にベトナム戦争への関与が拡大し、1960年代後半になると反戦運動が大きく広がりました。1968年は特に社会の緊張が高まった年で、テト攻勢などを背景に戦争への支持が弱まり、反戦運動も一段と強まりました。
ここで注目したいのは、政治への反対が選挙や議会の議論だけにとどまらなかったことです。若者たちは集会やデモに参加し、音楽、服装、共同生活などを通して、従来とは異なる価値観を表現しました。
ですから「カウンターカルチャー=反戦運動」と覚えるだけでは少し狭すぎます。反戦運動は重要な背景の一つですが、カウンターカルチャーには、既存の社会規範や生活様式そのものへの問いも含まれていました。
公民権運動も「当たり前」を問い直した
同じ時代、アメリカではアフリカ系アメリカ人を中心に、人種差別の撤廃と平等な権利を求める公民権運動が展開されていました。法律上の権利だけでなく、学校、住宅、就職、公共空間など、日常生活の中に残る不平等が社会に突きつけられます。
こうした運動が示したのは、社会で長く「普通」とされてきた仕組みが、すべての人にとって公平とは限らないという事実でした。若者文化の中にも、権威や既存の価値観を疑う姿勢が広がっていきます。
問題文に「ベトナム反戦運動」「公民権運動」「主流文化への対抗」が並んでいれば、カウンターカルチャーを考える大きな手がかりになります。
ヒッピーだけに限定すると意味を狭めてしまう
1967年のサンフランシスコには、従来とは異なる生活や共同体、新しい文化表現に関心を持つ多くの若者が集まり、ヒッピー文化がカウンターカルチャーを象徴する存在として注目されました。
ただし、カウンターカルチャーとヒッピーは完全な同義語ではありません。ヒッピーは代表的な存在の一つですが、カウンターカルチャーという言葉は、より広い文化的・社会的な動きを含みます。
「長髪や派手な服装をした若者=カウンターカルチャー」と外見だけで覚えると、背景にあった反戦や平等、既成価値への疑問を見失います。

問題2:イタイイタイ病は「川から暮らしへ」、そして裁判へ
問題2の答えはイタイイタイ病です。富山県神通川流域で起きた日本の四大公害病の一つで、神岡鉱山から排出されたカドミウムによる環境汚染が原因となりました。
富山県イタイイタイ病資料館の資料では、神岡鉱山からの排水などに含まれていたカドミウムが河川を通じて流域へ広がり、農地や農作物を汚染した経過が説明されています。
なぜ川の汚染が人の健康につながったのか
この問題を理解する鍵は、カドミウムという物質名だけではありません。神通川の水系と農業がつながっていたことにあります。
神岡鉱山は神通川の上流につながる高原川沿いにあり、鉱山から排出されたカドミウムは川を通じて下流へ運ばれました。流域では川の水が農業に利用されていたため、汚染は水田や農作物にも広がっていきます。
つまり、問題は鉱山の敷地内だけで完結しませんでした。川から農地へ、農作物を通じて人の身体へと影響がつながっていったのです。
「神岡鉱山→カドミウム→河川→神通川流域の農地や米→健康被害」という順で整理すると、病名と原因を一つの流れとして覚えられます。
病名が知られるより前から被害は起きていた
イタイイタイ病を高度経済成長期だけの出来事と考えると、年代を取り違えやすくなります。富山県の資料では、神通川流域で農作物への異変が1890年代ごろから見られ、1912年ごろから原因不明の強い痛みを伴う病気が発生していたとされています。
「イタイイタイ病」という名称が新聞報道によって広く知られるようになったのは1955年です。その後、研究が進み、1961年にはカドミウム原因説が発表されました。そして1968年、厚生省はカドミウムによる慢性中毒以外に原因を見いだしがたいという見解を示しています。
したがって、「高度経済成長期に突然発生した病気」と覚えるのは正確ではありません。被害の歴史はそれ以前にさかのぼります。
四大公害裁判では住民側の主張が認められた
被害者や家族は1968年、原因企業である三井金属鉱業を相手に損害賠償を求めて提訴しました。富山県の資料によると、1971年の第一審で住民側が勝訴し、1972年の第二審でも住民側が勝訴しています。
当時の環境庁の環境白書も、イタイイタイ病、新潟水俣病、四日市公害、熊本水俣病をめぐる四大公害裁判について、各判決が原告側の主張を原則的に認め、企業責任を厳しく追及したと振り返っています。
裁判の意味は、賠償金の話だけではありません。住民が受けた健康被害と企業活動との因果関係が司法の場で争われ、公害防止や企業責任を社会全体で考える大きな契機になりました。

裁判の後も公害問題は終わらなかった
裁判で判決が出れば、汚染された土地や川がその日に元へ戻るわけではありません。富山県の記録では、第二審の後、住民側と企業の間で被害者への賠償、汚染農地の復元、公害防止に関する取り決めが交わされました。
さらに、公害防止の取り決めには住民による神岡鉱山への立入調査も盛り込まれ、その後も環境改善に向けた取り組みが続きます。
イタイイタイ病は、病名を覚えるだけでなく、「経済活動の利益と環境・健康の負担を誰が引き受けたのか」を考える出来事です。
問題3:非核三原則は「もたず・つくらず・もち込ませず」
問題3の答えは非核三原則です。「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という三つの原則を指します。
外務省が掲載する国会答弁では、佐藤栄作首相が1967年12月11日の衆議院予算委員会で、核を保有しない、製造しない、持ち込まないという三原則を示しています。
三つの原則は何を意味するのか
- 持たず:日本自身が核兵器を保有しない
- 作らず:日本自身が核兵器を製造しない
- 持ち込ませず:外国の核兵器を日本へ持ち込ませない
三つとも似たように見えますが、対象は異なります。自国で所有しないのが「持たず」、自国で製造しないのが「作らず」です。さらに外国の核兵器についても、日本への持ち込みを認めないという考えが「持ち込ませず」に当たります。
問題では、この三つの動詞がそのまま大きな手がかりです。年号を忘れても、「持たず・作らず・持ち込ませず」という組み合わせが見えれば、非核三原則に結びつけられます。
1971年の国会決議は何を決めたのか
ここは、簡略化した説明では混同しやすいところです。外務省が掲載している1971年11月24日の衆議院決議では、政府に対して非核三原則を遵守するとともに、沖縄返還時に核兵器が存在しないこと、返還後も核兵器を持ち込ませないための措置を取るよう求めました。
一方、外務省が紹介する国会決議のうち、「非核三原則が国是として確立されている」という表現が確認できる最も早いものは、1976年4月27日の衆議院外務委員会決議です。同じ1976年には、参議院外務委員会の決議でも「国是として確立されている」と記されています。
「1967年に表明し、1971年の決議で初めて国是になった」と一直線に覚えるより、1967年の表明、1971年の遵守を求める決議、その後の「国是」としての位置づけを分けて理解したほうが正確です。
なぜ当時の日本にとって重い問題だったのか
1960年代後半は冷戦のさなかで、アメリカとソ連を中心に核戦力が国際政治の大きな要素になっていました。その一方、日本は広島と長崎への原爆投下を経験した国です。
さらに日本は日米安全保障体制の下にありました。「自国は核兵器を持たない」と言うだけではなく、同盟国の核兵器をどう扱うのかも論点になります。「持ち込ませず」が三原則に入っている意味は、ここにあります。
したがって、非核三原則は単なる暗記用の標語ではありません。被爆国としての経験と、冷戦期の安全保障という二つの現実の間で、日本が示した核政策上の原則として読むと、その重さが見えてきます。

三つの出来事を同じ時代に並べると何が見えるのか
カウンターカルチャー、イタイイタイ病、非核三原則。アメリカの文化、日本の公害、日本の核政策ですから、扱う分野は大きく異なります。
ここで「全部同じ運動だった」とまとめてしまうのは乱暴です。しかし、同じ時代の窓から眺めると、共通する問いが浮かびます。それは、発展や権威が示す方向を、そのまま正しいものとして受け入れてよいのかという問いです。
戦後の発展は多くのものを生み出した
第二次世界大戦後、アメリカや日本では経済成長と大量消費が進みました。技術が発達し、生活用品が増え、都市の姿も大きく変わっていきます。
その変化そのものを「悪かった」と一言で片づけることはできません。多くの人の生活水準が向上し、交通、住宅、家電など暮らしを支える環境も変化しました。
一方で、発展に伴う負担が均等に分かれていたわけでもありません。戦争では兵士や民間人が犠牲となり、人種差別によって平等な権利を得られない人びとがいました。日本の公害では、産業活動による汚染の影響を地域住民が受けています。
「声を上げる人」が社会の見え方を変えた
1960年代後半を見ると、国家、企業、社会慣習といった大きな仕組みに対して、個人や市民が異議を示す場面が目立ちます。
アメリカの若者たちは、反戦運動や文化表現を通して既成の価値観へ疑問を投げかけました。神通川流域では、被害者や住民が公害被害を訴え、裁判を起こします。日本の核政策をめぐっては、被爆体験や世論、外交・安全保障上の判断を背景に、非核の原則が政治の言葉として示されました。
三つをつなぐのは直接の因果関係ではなく、「社会の進む方向を誰が決めるのか」という時代の問いです。
公害裁判は企業と行政の姿勢も問い直した
四大公害裁判では、各判決が被害者側の主張を原則的に認め、企業責任を厳しく追及しました。昭和48年版の環境白書は、これらの判決が行政の姿勢にも強い反省を促したと記しています。
この流れを見ると、イタイイタイ病は一地域だけの出来事ではありません。経済活動を続ける中で、人の健康や環境への被害をどう防ぎ、企業や行政がどのような責任を負うのかを社会に問いかけた出来事でした。
カウンターカルチャーでも、問いの向きは異なりますが似た問題意識が見えます。社会が豊かになったとしても、その仕組みの中に差別や戦争が存在するなら、その方向を無条件に受け入れてよいのか。豊かさの量だけでなく、社会のあり方そのものが問われ始めました。

問題文では、どの言葉を手がかりにすればいい?
背景まで理解したところで、実際の問題へ戻りましょう。歴史問題では、手がかりとなる語を単独で覚えるより、二つか三つを組み合わせたほうが取り違えにくくなります。
カウンターカルチャーは「アメリカ・若者・既成文化への対抗」
「1960年代後半」「アメリカ」「ベトナム反戦」「公民権運動」「既成の体制や主流文化に対抗」という語が並べば、カウンターカルチャーが有力です。
特に「文化」という表現を見落とさないでください。政治運動の名称だけを問う問題ではなく、音楽や服装、生活様式、思想まで含めた広い文化の動きを聞いているからです。
イタイイタイ病は「富山県・神通川・カドミウム」
「富山県」「神通川流域」「カドミウム」がそろえば、答えはイタイイタイ病です。ここは水俣病と混同しやすいところでしょう。
水俣病では有機水銀が重要な原因物質となります。一方、イタイイタイ病はカドミウムです。病名だけを横に並べるより、「場所+原因物質」をセットにしたほうが整理しやすくなります。
非核三原則は「持たず・作らず・持ち込ませず」
非核三原則には、ほとんど答えそのものと言える手がかりがあります。「持たず、作らず、持ち込ませず」です。
1967年、佐藤栄作首相という情報まで加われば、さらに判断しやすくなります。ただし、1971年の国会決議と、その後に「国是として確立されている」と表現された時期を単純に一つにまとめない点は、丁寧に押さえておきたいところです。年号は便利ですが、歴史は年号だけで整列してくれるほど素直ではありません。
間違えやすい点を3つだけ確認しておこう
カウンターカルチャーは単なる若者ファッションではない
音楽や服装は目に見える特徴ですが、それだけを指す言葉ではありません。戦争、差別、権威、既成の価値観への疑問まで含めて理解します。
イタイイタイ病は高度経済成長期に突然始まったわけではない
社会問題として広く注目された時期と、被害が始まった時期は同じではありません。農作物への異変や健康被害は、それ以前から確認されています。
非核三原則の1971年決議と「国是」は分けて読む
1967年の表明、1971年の遵守を求める決議、その後に「国是として確立されている」と表現された国会決議を、一つの年の出来事としてまとめないようにしましょう。
FAQ:3つの用語をもう一度短く確認
カウンターカルチャーとヒッピーは同じですか?
完全な同義語ではありません。ヒッピー文化は1960年代のカウンターカルチャーを象徴する存在の一つですが、カウンターカルチャーは主流社会の価値観に対抗する、より広い文化的な動きを指します。
イタイイタイ病の原因物質は何ですか?
カドミウムです。神岡鉱山から排出されたカドミウムが河川を通じて神通川流域へ広がり、農地や農作物の汚染と健康被害につながったとされています。
四大公害病には何がありますか?
一般に、イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくを指します。原因物質や発生地域はそれぞれ異なるため、場所と原因を組み合わせて整理すると混同を防げます。
非核三原則は何を覚えればいいですか?
「持たず、作らず、持ち込ませず」の三つです。それぞれ、核兵器の保有、製造、国内への持ち込みに対応しています。
まとめ:1960年代後半は、社会の「当たり前」が問い直された時代
今回の答えは、カウンターカルチャー、イタイイタイ病、非核三原則でした。
カウンターカルチャーからは、戦争や差別、既成の価値観に対する若者たちの問いが見えてきます。イタイイタイ病から見えるのは、産業活動による利益の陰で健康や生活への被害を受けた人びとと、責任を求めた住民の行動です。非核三原則には、被爆国である日本が冷戦期の安全保障の中で核兵器とどう向き合うかという問題が表れています。
三つの出来事を直接結びつけることはできません。それでも同じ時代に並べると、社会の「当たり前」をそのまま受け入れず、問い直そうとする動きが各地で目立ったことが分かります。
覚えるときは「答えの単語→問題文の手がかり→背景で起きていたこと」の順に、自分の言葉で説明できるか試してみてください。
カウンターカルチャーなら「なぜ若者は主流文化に反発したのか」、イタイイタイ病なら「なぜ川の汚染が人の健康被害へつながったのか」、非核三原則なら「なぜ三つ目に『持ち込ませず』があるのか」。ここまで説明できれば、丸暗記よりずっと強い理解になっています。
参考資料
- 富山県「イタイイタイ病とは」(確認日:2026年9月4日)
イタイイタイ病とは - 富山県「Outbreak of Itai-Itai Disease」(確認日:2026年9月4日)
Outbreak of Itai-Itai Disease - 富山県「Investigation of causes, and moves for protecting health and lives」(確認日:2026年9月4日)
Investigation of causes, and moves for protecting health and lives - 環境省「環境白書 昭和48年版 第1節 四大公害裁判の教訓」(確認日:2026年9月4日)
環境白書 - 外務省「非核三原則」(確認日:2026年9月4日)
Access Denied - 外務省「(参考)非核三原則に関する国会決議」(確認日:2026年9月4日)
Access Denied - Smithsonian Institution「1967: A Year in the Collections」(確認日:2026年9月4日)
Smithsonian request verification - Smithsonian Institution「1968: A Year in the Collections」(確認日:2026年9月4日)
Smithsonian request verification

