問題3:1918年、米騒動の直後に組閣し、「平民宰相」として親しまれた人物が組織した、日本で初めての本格的な政党内閣の首相は誰ですか?
近代史でつまずきやすいのが、第一次世界大戦前後の流れです。サラエボ事件、第一次世界大戦、国際連盟、米騒動、原敬内閣。どれも重要語句ですが、バラバラに暗記しようとすると「どの出来事が先?」「世界史と日本史はどうつながるの?」と混乱しやすくなります。
この記事では、上の3問を最初の入口にして、1914年から1920年ごろまでの世界と日本の動きをわかりやすく整理します。答えだけを覚えるのではなく、なぜその事件が起き、どのように次の時代につながったのかを押さえることで、テストでも選択肢に迷いにくくなります。
まず答えを確認しよう
最初に、3問の答えを確認しておきましょう。
| 問題 | 答え | ポイント |
|---|---|---|
| 問題1 | サラエボ事件 | 第一次世界大戦の直接のきっかけ |
| 問題2 | 国際連盟 | 第一次世界大戦後に設立された国際平和のための組織 |
| 問題3 | 原敬 | 日本で初めての本格的な政党内閣を組織した首相 |
この3つは、ただの暗記事項ではありません。サラエボ事件は第一次世界大戦の始まりに関わり、国際連盟は戦争後の平和を守るために作られました。そして原敬内閣は、第一次世界大戦の時期を経た日本社会の変化や大正デモクラシーの流れと関係しています。
つまり、3問はそれぞれ独立した問題に見えて、実は「戦争が起きる」「戦後の国際秩序が作られる」「日本の政治が変化する」という一つの大きな流れでつながっています。

問題1の答え:第一次世界大戦の直接のきっかけはサラエボ事件
問題1の答えは、サラエボ事件です。1914年、オーストリア帝位継承者フランツ・フェルディナント夫妻が、ボスニアのサラエボでセルビア人青年に暗殺されました。この事件が、第一次世界大戦の直接のきっかけになりました。
ここで大切なのは、「サラエボ事件=第一次世界大戦の原因すべて」ではないという点です。事件そのものは直接のきっかけですが、その背景には、ヨーロッパ諸国の対立、民族問題、同盟関係、軍備拡張など、複数の原因がありました。
サラエボ事件を覚えるときのコツ
サラエボ事件は、次のように整理すると覚えやすくなります。
- 年号:1914年
- 場所:サラエボ
- 被害者:オーストリア帝位継承者夫妻
- 加害者:セルビア人青年
- 結果:第一次世界大戦の直接のきっかけ
テストでは「オーストリア帝位継承者夫妻」「セルビア人青年」「第一次世界大戦の直接のきっかけ」という言葉が出たら、ほぼサラエボ事件を問われていると考えてよいでしょう。
なぜ一つの暗殺事件が世界大戦につながったのか
普通に考えると、一つの暗殺事件が世界中を巻き込む大戦争につながるのは不思議に思えるかもしれません。しかし当時のヨーロッパでは、国同士の対立がすでに高まっていました。
オーストリアはセルビアに強い態度を取り、セルビアを支援するロシア、オーストリアを支えるドイツ、さらにフランスやイギリスなどが関わっていきました。国同士が同盟によって結びついていたため、一国同士の対立が、次々と他国を巻き込む形になったのです。
このように、サラエボ事件は「火種」ではなく「火がつくきっかけ」と考えると理解しやすくなります。すでに燃えやすい状態だったヨーロッパに、事件が決定的な引き金を引いたのです。
第一次世界大戦はどんな戦争だったのか
第一次世界大戦は、1914年から1918年まで続いた大規模な戦争です。ヨーロッパを中心に、多くの国々が参加しました。日本も日英同盟を理由に連合国側で参戦し、中国にあったドイツの権益などを攻撃しました。
この戦争は、それまでの戦争と比べても被害が非常に大きく、機関銃、毒ガス、戦車、飛行機などの新しい兵器が使われました。また、兵士だけでなく、国民生活や経済も戦争に深く巻き込まれました。
ここで押さえたいのは、第一次世界大戦が単に「ヨーロッパの戦争」ではなかったという点です。植民地や同盟関係を通じて、世界各地が戦争の影響を受けました。そのため「世界大戦」と呼ばれます。

第一次世界大戦の流れを簡単に整理
大まかな流れは、次のように押さえましょう。
- 1914年、サラエボ事件が起こる
- オーストリアとセルビアの対立が激しくなる
- 同盟関係によって各国が参戦する
- 戦争が長期化し、国民生活にも大きな影響が出る
- 1918年、第一次世界大戦が終結する
- 戦後、平和を守る仕組みとして国際連盟が作られる
この流れで見ると、問題1と問題2が自然につながります。サラエボ事件で始まった大戦争が終わった後、「同じような戦争を二度と起こさないためにどうするか」という課題が出てきました。その答えとして作られたのが、次に出てくる国際連盟です。
問題2の答え:第一次世界大戦後に設立された組織は国際連盟
問題2の答えは、国際連盟です。国際連盟は、第一次世界大戦後の1920年に設立されました。目的は、国際平和の維持と安全保障です。
世界初の包括的な国際組織として、各国が話し合いによって紛争を解決し、戦争を防ぐことを目指しました。第一次世界大戦で大きな被害を受けた世界にとって、国際連盟は「戦争を繰り返さないための新しい仕組み」だったのです。
国際連盟で押さえるべきポイント
国際連盟は、次の3点をセットで覚えるとテストに強くなります。
- 設立年:1920年
- 目的:国際平和の維持と安全保障
- 特徴:世界初の包括的な国際組織
また、アメリカ大統領ウィルソンが提唱した国際協調の考え方も重要です。ただし、提唱したアメリカ自身は国内事情により国際連盟に加盟しませんでした。この点は、国際連盟の弱点としてよく説明されます。
国際連盟はなぜ作られたのか
国際連盟が作られた理由は、第一次世界大戦の反省にあります。戦争が起きる前の世界では、国同士の対立が深まっても、それを話し合いで止める国際的な仕組みが十分ではありませんでした。
そこで戦後、各国が集まって話し合い、問題を平和的に解決するための組織が必要だと考えられました。国際連盟は、まさにその考えから生まれた組織です。
ただし、国際連盟には限界もありました。すべての国が強く協力したわけではなく、軍事力で強制的に戦争を止める力も十分ではありませんでした。そのため、後の国際情勢の悪化を完全に防ぐことはできませんでした。
日本は第一次世界大戦でどう変わったのか
第一次世界大戦は、日本にも大きな影響を与えました。日本は戦争の主戦場ではありませんでしたが、ヨーロッパ諸国が戦争に集中している間に、アジアでの立場を強めました。また、戦争によって輸出が増え、日本の産業が発展するきっかけにもなりました。
一方で、景気の変化は国民生活にも大きな影響を与えました。物価が上がり、特に米の価格が高騰したことは、人々の不満を高めました。その不満が爆発した出来事が、1918年の米騒動です。
米騒動とは何か
米騒動は、1918年に米の価格が急上昇したことに対して、全国各地で人々が抗議行動を起こした出来事です。最初は富山県の漁村の女性たちの行動から始まったとされ、その後、全国へ広がりました。
米は当時の人々にとって生活の中心となる食料でした。その価格が上がることは、家計に直接大きな負担を与えます。つまり米騒動は、単なる物価問題ではなく、国民生活の苦しさが政治に突きつけられた出来事だったのです。
米騒動の責任を問われ、当時の寺内正毅内閣は退陣しました。その後に組閣したのが、原敬です。

問題3の答え:日本初の本格的な政党内閣の首相は原敬
問題3の答えは、③ 原敬です。原敬は、1918年に内閣を組織しました。米騒動の直後に組閣し、「平民宰相」として親しまれた人物です。
原敬内閣は、日本で初めての本格的な政党内閣とされています。ここでいう政党内閣とは、政党を基盤として組織された内閣のことです。原敬は立憲政友会を中心に内閣を作りました。
なぜ原敬は「平民宰相」と呼ばれたのか
原敬は、藩閥出身の政治家が強い影響力を持っていた時代に、爵位を持たない首相として注目されました。そのため「平民宰相」と呼ばれ、国民から親しみを持たれました。
ただし、「平民宰相」という言葉だけを覚えるのではなく、原敬が登場した時代背景も一緒に理解しましょう。大正時代には、国民の政治参加を求める動きが強まり、政党政治への期待が高まっていました。原敬内閣は、そうした大正デモクラシーの流れの中で重要な意味を持ちます。
3つの問題を一本の年表でつなげよう
ここまで見てきた3問は、年表にすると非常にわかりやすくなります。
- 1914年:サラエボ事件が起こる
- 1914年:第一次世界大戦が始まる
- 1918年:第一次世界大戦が終わる
- 1918年:日本で米騒動が起こり、原敬内閣が成立する
- 1920年:国際連盟が設立される
このように並べると、世界史と日本史が同じ時期に動いていることがわかります。1914年から1920年は、世界でも日本でも大きな変化が続いた時代でした。
世界では、第一次世界大戦によって国際秩序が大きく変わりました。日本では、戦争による経済の変化、米騒動、政党政治の進展が起こりました。だからこそ、この時期はよく出題されるのです。

原因と結果で覚えると忘れにくい
歴史を覚えるときは、年号だけを丸暗記するよりも、原因と結果をセットにする方が記憶に残ります。
| 原因 | 結果 |
|---|---|
| サラエボ事件 | 第一次世界大戦の直接のきっかけ |
| 第一次世界大戦の大きな被害 | 国際連盟の設立 |
| 物価上昇と米価高騰 | 米騒動 |
| 米騒動による政治不安 | 原敬内閣の成立 |
この表のように、出来事同士を「だからどうなったのか」で結ぶと、単語が線になります。歴史のテストでは、この線を理解しているかどうかが問われます。
テストで狙われやすいポイント
この範囲でテストに出やすいのは、次のような問題です。
- サラエボ事件が第一次世界大戦の直接のきっかけであること
- 第一次世界大戦の期間が1914年から1918年であること
- 国際連盟が1920年に設立されたこと
- 国際連盟の目的が国際平和の維持であること
- 米騒動が1918年に起こったこと
- 原敬が「平民宰相」と呼ばれたこと
- 原敬内閣が日本初の本格的な政党内閣であること
特に、問題文に出てくるキーワードを見逃さないことが大切です。「直接のきっかけ」とあればサラエボ事件、「世界初の包括的な国際組織」とあれば国際連盟、「平民宰相」とあれば原敬と判断できます。
ひっかけ問題に注意
この範囲では、ひっかけ問題もよく作られます。たとえば、国際連盟と国際連合を混同する問題です。
国際連盟は第一次世界大戦後の1920年に設立されました。一方、国際連合は第二次世界大戦後の1945年に設立されました。どちらも国際平和を目的とする組織ですが、時代が違います。
また、原敬と加藤高明を混同することもあります。原敬は1918年の本格的な政党内閣、加藤高明は普通選挙法や治安維持法と関連して覚えると区別しやすくなります。
3問を使った覚え方の手順
ここからは、テスト前に使える具体的な覚え方を紹介します。難しい方法ではなく、3問を繰り返し使って流れを確認する方法です。
ステップ1:答えを一問一答で言えるようにする
まずは、次のように即答できるようにします。
- 第一次世界大戦の直接のきっかけは? → サラエボ事件
- 1920年に設立された国際組織は? → 国際連盟
- 平民宰相と呼ばれた首相は? → 原敬
ここまでは暗記です。ただし、これだけでは少し弱いです。選択肢が変わったり、説明文が少し変わったりすると迷う可能性があります。
ステップ2:年号を並べる
次に、年号を並べてください。
1914年 サラエボ事件 → 1918年 米騒動・原敬内閣 → 1920年 国際連盟
この順番が頭に入ると、「どれが先でどれが後か」がわかります。歴史の並べ替え問題にも対応しやすくなります。
ステップ3:原因と結果で説明する
最後に、それぞれの出来事を一文で説明できるようにします。
- サラエボ事件は、第一次世界大戦の直接のきっかけになった。
- 国際連盟は、第一次世界大戦後に平和を守るために設立された。
- 原敬は、米騒動後に組閣し、日本初の本格的な政党内閣を作った。
ここまでできれば、単なる暗記ではなく、流れとして理解できている状態です。

よくある間違いと正しい覚え方
この範囲でよくある間違いを整理しておきます。
間違い1:サラエボ事件を第一次世界大戦そのものと勘違いする
サラエボ事件は、第一次世界大戦そのものではありません。あくまで第一次世界大戦の直接のきっかけです。戦争はその後、国同士の対立や同盟関係によって広がっていきました。
間違い2:国際連盟と国際連合を混同する
国際連盟は1920年、第一次世界大戦後です。国際連合は1945年、第二次世界大戦後です。名前が似ているため混同しやすいですが、時代で分けて覚えましょう。
間違い3:原敬と加藤高明を混同する
原敬は「平民宰相」「本格的な政党内閣」、加藤高明は「普通選挙法」「治安維持法」と関連させると区別しやすくなります。選択肢問題では、キーワードを手がかりに判断しましょう。
まとめ:3問の答えから近代史の流れをつかもう
最後に、この記事の内容を整理します。
- 問題1の答えは、サラエボ事件
- サラエボ事件は、1914年に起こった第一次世界大戦の直接のきっかけ
- 問題2の答えは、国際連盟
- 国際連盟は、第一次世界大戦後の1920年に設立された国際平和のための組織
- 問題3の答えは、③ 原敬
- 原敬は、米騒動の直後に組閣し、日本初の本格的な政党内閣を組織した
この3問は、近代史の大きな流れを理解するための入口です。サラエボ事件で戦争が始まり、戦後に国際連盟が作られ、日本では米騒動をきっかけに原敬内閣が成立しました。
歴史は、言葉だけを覚えるとすぐに忘れやすくなります。しかし、出来事を年号順に並べ、原因と結果で結ぶと、知識がつながります。テスト前には、今回の3問を使って「1914年から1920年までの流れ」を声に出して説明してみてください。答えを覚えるだけでなく、近代史の見方そのものが身につきます。

